第71話
今回はミリィとフィゼルがメインです。
高層の建物が多く立ち並ぶ中心街でも一際高く建てられた高級ホテルの屋上で、炎と氷の壮絶な魔法戦闘が繰り広げられていた。
「はあぁぁぁ! ……やぁっ!」
意識を高め、気合と共に振り払った手から無数の氷柱が発生する。それら全ての鋭い先端が目の前にいる男を敵と認め、一斉に襲いかかった。
「ふん」
しかし男の方はそれとは対照的に、埃でも払うように軽く手を振った。たったそれだけで男の目の前に炎が壁のように立ち昇り、目前まで迫った氷柱があっけなく消え去ってしまう。
「ハァ……ハァ……」
もうどれくらい同じことを繰り返しただろう。どれだけ魔法を放っても、ミリィの氷は全てギリアスの炎に阻まれてしまっていた。
「……この程度か。これではお前の欲しがっている情報は教えてやれんなぁ」
ミリィの攻撃を余裕の表情で防いだギリアスが、さらにミリィを挑発する。
「くっ……! 馬鹿にしないでっ!」
一向に攻撃が届かない苛立ちが、ミリィをギリアスの陳腐な挑発に乗せてしまう。正攻法ではどうにもならない相手に対して、何の工夫も戦略も無くただ力の限り魔法を放ち続けた。
「ちっ、こんなものか」
全力を傾けたミリィの魔法も、ギリアスにとっては何の脅威にもならなかった。ミリィの氷雪系魔法は何一つギリアスの炎を上回ることなく、普通の氷が高温の湯の中でそうなるように、ことごとく溶けて消えてしまう。
「ハァ、ハァ……そんな……っ!」
両膝に手を突き、大きく喘ぎながら、ミリィはどうしようもない絶望感に襲われた。相手はまだまだ本気を出していない。それなのに、こんなにも力の差があるものなのか。
「そろそろこちらからも仕掛けさせてもらうぞ」
ただじっとミリィの攻撃を防ぐだけだったギリアスが、ついに攻勢に転じる姿勢を見せた。しかし特に呪文の詠唱をするわけでもなく、右手を眼の高さまで掲げ、パチンと指を弾く。
「――っ!」
たったそれだけの動作だったが、ミリィは胸の前辺りに何か得体の知れない恐怖を感じ、ほとんど本能的に横に飛び退いた。
次の瞬間、先程までミリィがいた空間が何の前触れもなく爆ぜた。小規模な爆発ながら、人一人に致命傷を負わせるには十分な威力だ。
「ふむ、なかなか良い反応だ。ほれ、どんどん行くぞ」
眼には見えないこの攻撃をミリィが無傷でこ躱したとに、ギリアスは満足そうに微笑んだ。そして同じ攻撃を続けざまに浴びせかける。
「あぁ……っ!」
二度三度と躱していく内、次第に爆発とミリィと距離が縮まってきていた。そして直撃こそしなかったものの、その爆風によってミリィは地面に叩きつけられるように薙ぎ倒された。
(やられる――っ!)
ミリィがぎゅっと固く眼を瞑る。今この瞬間にあの攻撃が来たらお終いだった。しかしギリアスは追い討ちをかけず、のんびりと腕を組んでミリィが立ち上がるのを待っている。
(駄目だ……とても敵わない……)
ギリアスは完全にミリィを弄んでいる。その気になればいつでも殺せるのに、ミリィが足掻くのを楽しんでいるかのようだった。
(“力”を使うしかない……でも……)
この状況を打破するには、魔族との契約によって得た“闇の魔力”を解放するしかなかった。しかし、もうすでにミリィの身体は闇に侵されつつある。ここで“力”を使えば完全に闇に呑み込まれてしまう恐れがあった。
(やるしかない……! ここで何も出来ずに殺されるよりはっ!)
抱えきれない程の不安と恐怖を強靭な意志で無理やり押さえ込み、ミリィが一か八かの賭けに出る。
「はあぁぁ――!」
身体の奥底にあるもう一つの魔力源に意識を沈め、ミリィは集中力を高めた。次第にミリィの足下から渦を巻くようにして闇の魔力が漆黒のオーラとなって形作られていく――
「――っ!?」
しかしそれが完全にミリィを包み込む寸前、漆黒のオーラは突然弾け飛ぶように霧散してしまった。魔力の奔流に身を任せようとしていたミリィが、糸の切れた操り人形のように力なくその場にへたり込む。
「そんな……っ! どうし――うっ、ああぁ……っ!」
何故いきなり闇の魔力が消えてしまったのか。しかしそれに動揺する間もなく、ミリィの身体を激しい痛みが襲った。
引き裂かれるのではないかと思う程の激痛が身体全体を駆け抜け、やがてそれは締め付けるような胸の痛みとなって収束する。額から大量の脂汗を噴き出し、ミリィは胸を押さえたまま蹲った。
(身体が……もう限界だっていうの……!?)
魔族から借り受けた強大な魔力に、もうミリィの身体は耐え切れなくなっていた。身体が闇の魔力を拒絶したのか、もしかしたら闇の魔力の方が自らの意思でミリィに力を貸すことを拒んだのかもしれない。どちらにせよ、最後の望みも絶たれたミリィの命運は決まったも同然だった。
「……何か力を隠しているのかと思ったが、つまらんな。もう終わりにするか」
未だ立ち上がることも出来ずにいるミリィに、ギリアスが冷徹な宣告を下す。魔力を込めた両手を交差させるように振り上げると、ミリィを大きく囲むように周囲の空気が渦を巻き始めた。
最初はゆっくりと、しかし次第に渦の流れは速くなり、それに伴ってだんだんと空気の渦が熱を帯び始める。
「満足したとは言えないが、まぁいいだろう。冥土の土産だ。最後に良い事を教えてやる」
ミリィを取り巻く渦が焼け付くような高温に達した時、おもむろにギリアスが口を開いた。何かを期待するように一度にやりと口角を吊り上げ、続ける。
「お前の探している“赤眼の男”はな……お前の仲間の中にいるぞ」
一瞬、ギリアスの言葉の意味が分からず呆然としていたミリィの眼が、突然かっと見開かれる。その脳裏に一人の少年の姿が思い浮かんだ。
「ふははははっ! 良い表情だ!」
真っ青な顔でわなわなと震えるミリィを見ながら、ギリアスが楽しそうに笑う。
「うっ……嘘よ……そん、なの……!」
震える声で精一杯ギリアスの言葉を否定した。“信じられない”のではなく、“信じたくない”のだ。それを認めてしまったら正気を保っていられなくなるような気がして、ミリィは認めようとする理性に必死で抗った。
「ふっ、信じようと信じまいと自由だ。今から死にゆくお前にはどちらでも同じ事だがな」
がたがたと震えるミリィの姿に満足そうな笑みを浮かべ、ギリアスが右手を掲げた。ミリィを囲んでいた熱波の渦がそれに呼応するように激しくなる。
「じゃあな」
ギリアスが指を弾くと、それを合図に熱波の渦が正真正銘の炎の渦に変化した。
「……っ!」
ミリィは悲鳴すら上げることが出来なかった。火柱のように立ち昇る巨大な渦に、ミリィの姿はあっという間に呑み込まれてしまった――
「フィゼルさ~ん!」
逃げ遅れた人々を助けながら自身も大聖堂に向かっていたフィゼルの前に、ルーとその母セリカが姿を見せた。
「ルー!? どうしてここに!?」
駆け寄ってきたルーに、驚いた表情でフィゼルが尋ねた。街の中心からは離れているとはいえ、ドラゴンの攻撃は徐々に外側に広がりつつある。この辺りも安全とは言えなかった。
「私達は街の人達を避難させるために出てきました。私達だけじゃありません。教会の人間は皆そのために街のあちこちに散らばっています」
ルーに代わって答えたのはセリカだった。セリカの話では、教会の神父からシスターに至るまで、総出で街の人々の救助に当たっているという。危険は百も承知で、それでも他人のために動いている彼女達の高潔な意思に、フィゼルは胸が熱くなる思いだった。
「そっか。でも、こっちはもう大丈夫だ。この辺りもじきに危なくなる。後は俺達に任せて、ルーとセリカさんは大聖堂に帰っ――」
その時、不意に背筋に悪寒が走った。咄嗟に後ろを振り向くと、先程フィゼルが通ってきた道の脇から一人の大男が出てくるのが見えた。
「セリカさん……ルーを連れてここから離れて」
男はフィゼル達の存在に気付いていない。しかしその足はこちらに向いていた。
「フィゼルさん……?」
突然変貌したフィゼルの雰囲気に、ルーが首を傾げる。しかしフィゼルにはそれに応えてやる余裕はなかった。
「早くここから離れるんだっ!」
怒鳴りつけるようなフィゼルの声に、ルーは飛び上るほど驚いた。セリカがその手を引っ張らなければ、逆にその場で立ち尽くしていたかもしれない。
「おっ? 誰かいやがるな」
その大声で、男がフィゼル達に気が付いた。もっとも、男はフィゼル達に向かって歩いていたのでいずれは気が付いていたのだが。
フィゼルは一目でこの男が敵であると悟った。贅肉など欠片も見当たらない鍛え上げられた肉体と、その背には身の丈ほどの巨大な剣。その全身からは禍々しいまでの殺気が――恐らく本人は無意識に発しているのだろうが――溢れていた。
この道を真っ直ぐ行けば大聖堂に辿り着く。ここでフィゼルが男を止めなければ、大聖堂に避難させた人々が危険に晒されてしまう。フィゼルはゆっくりと剣を抜いた――
「――っ!」
その瞬間、剣の間合いで言えばまだまだ遠く離れていたはずの男の身体がフィゼルの視界を覆った。驚愕の表情で見上げたフィゼルに、男――ガーランド・ドボルザークが大剣を振り下ろす。
「フィゼルさぁんっ!」
セリカに無理やり手を引かれ、その場を離れようとしていたルーが叫ぶ。ガーランドの大剣は激しく地面を叩き、大地が揺れるような衝撃と共に大量の土煙を巻き上げた。その土煙によって、ルーの位置からはフィゼルの姿は見えなくなった。
「んん?」
大剣から伝わってきた妙な手応えに、ガーランドが眉を顰める。元々手応えなどという繊細なものを気にする性質ではないのだが、地面に深々と突き刺さった大剣の先は明らかに狙いとずれていたのだ。
「フィゼルさん……!」
やがて土煙が晴れ、フィゼルの無事な姿が見えると、ルーはほっと胸を撫で下ろした。
「ハッ……ハッ……!」
フィゼルはガーランドの大剣を横に弾き、バックステップで間合いを取っていた。しかし無我夢中だったため、勢い余ってその場に尻もちを突いている。
「ほ~お、ただのガキじゃなさそうだな――って……オメェ、まさか……!」
フィゼルの顔を改めて確認したガーランドが思わず絶句する。一度大きく眼を見開き、しかしすぐにその眼を伏せ、小刻みに震えだしたかと思うと突然大声を上げて笑いだした。
「ハハ……ッ! ヒャーッハッハッハッハ! まさか本当に生きてたとはよっ! フランの言った通りだったか!」
左手で顔を覆い、身体全体で喜びを表現するかのように右手一本で巨大な剣を滅茶苦茶に振り回す。そんなガーランドの言動が理解出来ず、フィゼルは戸惑いの表情を浮かべた。
「さぁて、どうしたもんかねぇ」
ひとしきり笑い声を上げた後、不意にガーランドの声が低くなった。顔を覆った左手の奥から僅かに覗いた眼光は、見る者全てを竦み上がらせる程に鋭い。
「くっ……」
ガーランドの迫力に気圧されながらも、フィゼルが立ち上がって剣を構える。しかしその切っ先は僅かに震えていた。
「しっかし……オメェ、本当に“熾眼”か? 確かに顔はそっくりなんだがなぁ……」
たった一睨みしただけで、目の前の少年は明らかに怯んでいる。自身の知る“熾眼”の名を持つ少年なら、このような無様な姿は晒さないはずだ。
一切感情を宿さない冷たい眼差し。ただでさえ一回り以上も年下の子供が自分と同等以上の扱いを受けていることが気に入らなかったのに、あの眼を向けられると無性に虫唾が走ったものだ。
「ま、どうでもいいか。オメェが“熾眼”だろうがなかろうが、俺様に剣を向けてるってことは、“やる”ってことだろ?」
一人で首を傾げ、一人で納得したガーランドが、今度こそ本当の戦闘態勢に入った。先程までとは比べ物にならない圧力がフィゼルを襲う。
「そういや、さっきのはどうやったんだ?」
大剣を肩に担ぎ、一歩二歩と踏み出しながらガーランドが問いかける。二人の体格差、さらに剣の重量差から考えて、自分の剣が相手に弾かれるとは思わなかった。しかしフィゼルの脳天を狙ったガーランドの剣は、横に流されたように数十センチ横の地面に突き刺さっていた。
「もう一度やってみろよ」
その言葉を聞いた瞬間には、ガーランドの身体は再びフィゼルの寸前まで達していた。先程と全く同じように頭上から大剣が振り下ろされる。
「くっ……!」
フィゼルはその大剣を自身の剣で横に弾いた。通常ならそれでどうにかなる重量差ではないのだが、フィゼルの剣――“疾風の御剣”に込められた風の魔力によって、ガーランドの大剣は再び軌道をずらされた。
――ズゥンッ!
先程と同じように、ガーランドの大剣がフィゼルの横を通過して地面に突き刺さる。その隙にフィゼルは再びガーランドから距離を取った。
「……なるほどなぁ、面白ぇモン持ってるじゃねーか」
同じ攻撃を同じように躱されて、ガーランドは何故自分の剣があのような細剣に弾かれたのか理解した。
「ロイの奴が見たら喜びそうだな」
フィゼルの剣に“風”の魔力が込められていることが分かり、ガーランドは頭の中に“風神”の二つ名を持つ魔法剣士の顔を浮かべた。ここでフィゼルから“疾風の御剣”を奪い取って、この祭りに参加出来なかった彼への手土産にしてやろうかと考える。
「そんなわけでよ、ちょっとその剣よこせよ」
まるでガキ大将がイジメられっ子から玩具を取り上げるような気安さで、ガーランドが歩を進めた。口角を釣り上げ、何の警戒も無く間合いを詰める。
(くそっ……一か八かやってみるしかない……っ!)
恐怖すら感じる程に、彼我の実力は隔たっている。それでもフィゼルは僅かな勝機を見出していた。
チャンスは一度――油断しているガーランドの攻撃を先程と同じように弾き、その隙を突く。
「おっ、目付きが変わったな。覚悟でも決めたか?」
それまで怯えているようだったフィゼルの眼が、急に力強くなったのをガーランドは感じた。しかし、だからといって改めて警戒する気はない。そのまま間合いの一歩外までゆっくりと近づき、外見からは想像も出来ない程のスピードで踏み込むと同時に真横に大剣を薙いだ。
「――っ!」
フィゼルはその軌道を読み、会心のタイミングでガーランドの大剣を下から弾き上げた。風の加護を受けた“疾風の御剣”によってガーランドの大剣が上に軌道をずらされ、フィゼルの頭上を通過する。
(今だっ!)
自身も体勢が崩れそうになるのを必死で堪えながら、フィゼルはがら空きになったガーランドの脇腹目掛けて斬りかかった――
≪続く≫
次回は8/14(日)19:00更新予定です。