第69話
バネッサは相手のことを「自分」と言います。
関西の人じゃなければ理解できないですね……^^;
「およ? なんや、もう自分一人かいな」
気付けば城壁上に立っている守備兵の騎士は一人だけになっていた。両手の鉄扇にこびり付いた血を振り払い、バネッサが最後の一人に妖艶な笑みを浮かべる。
「うぁ……あ……ぁ……!」
目の前で次々と上官や先輩騎士が斬り殺されていくのを、この若い新米騎士は何もできずただ見つめていた。がたがたと震える足は、今すぐここから逃げ出したいという思いとは裏腹に、その場に縛り付けられてしまったかのように動かない。
「あぁ……っ! その怯えた顔、ええわぁ~! よく見たら結構可愛い顔しとるし」
ゆっくりと若い騎士に近付き、バネッサがその頬を血に染まった手で優しく撫でる。冷や汗と涙と、そしてねっとりと纏わり付くような血で、若い騎士の頬はぐちゃぐちゃになった。
「残念やわぁ~。結構ウチ好みの顔やねんけどな~」
冷たい鉄扇の感触が首筋に伝わった時、若い騎士は逃れようのない“死”を覚悟した――
――ガーン!
しかし次の瞬間、バネッサが飛び退くように若い騎士から離れた。直後に一発の銃声が城壁上に鳴り響く。
「誰やねんっ!? せっかく今イイとこやったのにっ!」
自分に向けて発射された銃弾を直前に察知し、躱したバネッサが銃声のした方向を睨む。その視線の先から姿を現した男は、そんなバネッサに怯む様子もなく、細く煙の立ち上る銃口にキザっぽく息を吹きかけた。
「あ……あなたは……!」
自分の命を救ったその男のことを、若い騎士は知っていた。いや教会に属する人間で彼のことを知らない者などいないだろう。
「残念だけど、彼ではキミのような危険な香りのする美女は荷が重過ぎる。キミのお相手はボクが務めようじゃないか」
男は左手を胸に当て、紳士が貴婦人にそうするように恭しく頭を下げた。
「ほ~お、自分がウチの相手をねぇ。そんなら一応名前聞いとこか」
美女と言われた事に気を良くしたのか、それともようやく骨のありそうな敵と出会えた事が嬉しいのか、バネッサが口角を吊り上げて妖艶な笑みを漏らす。しかしその眼は獲物を品定めする猛獣のようでもあった。
「フフン、美の伝道師にして愛の狩人、神が創り給うた至高の芸術品との呼び声高く、この世の全ての女性を魅了してやまない愛の水先案内人――我が名はレヴィエン・ヴァンデンバーグ!」
完全に自分に酔った口調で高らかに名乗り上げ、ポーズまで決めたレヴィエンの表情は久々に言い切った満足感に溢れていた。城壁の上を乾いた風が吹き抜け、しばしの沈黙が場を支配する。
「……プッ、クク……ッ、アーハッハッハ! おもろいなぁ、兄ちゃん! なかなか顔も綺麗やし、気に入ったわ」
しばらく腹を抱えて笑っていたバネッサだったが、不意に鉄扇を開き、それを緩やかに動かし始めた。
「ほなウチも名乗ろか。ワイズマンNo.9“死出の舞”のバネッサ・ウィルや。よろしくな、おもろい兄ちゃん」
名乗りながら、バネッサの身体は舞うように動き続ける。時折鳴る鈴も、見事なまでにその舞と調和していた。
「そ、その踊りを見てはいけませんっ! その踊りは――」
「ああん、もう。余計な事言うたらアカンで」
レヴィエンの出現により、少しだけ冷静さを取り戻した若い騎士がレヴィエンに警告しようとした瞬間、バネッサの手から鉄扇が若い騎士に向かって放たれた。
「……っ!」
鋭い回転によって銀色の円盤と化した鉄扇は、しかしレヴィエンによって地面に伏せさせられた若い騎士の頭上すれすれを通過し、そのまま円を描くようにしてバネッサの右手に戻った。
「あ……ありがとう……ございます」
一瞬忘れていた恐怖を再び思い出しながら、地面に伏したままの若い騎士がレヴィエンに礼を言う。
「今キミに死なれちゃ困るからねぇ」
バネッサの次の動きを警戒しながら、レヴィエンは続けて言った。
「ボクが彼女を足止めしている間に、キミは導力砲でドラゴンを撃ち落すんだ」
目線をバネッサに向けているため若い騎士の表情は見えなかったが、それでも驚愕に顔を歪めているだろうことが容易に想像付く。
「ぼっ……僕が一人でですか!?」
若い騎士の反応はある意味当然のものだった。
通常、導力砲はその操作の難しさゆえに数人で扱う兵器である。しかも、この若い騎士はつい最近神託騎士団に入団したばかりなので、導力砲の演習も数えるほどしかやっていない。
「他に誰がいるというんだい? それとも、キミが彼女を足止めしてくれるかい?」
さぁっと若い騎士の顔が蒼くなる。それこそ絶対に無理な注文だ。
「わ……分かりました……」
意を決して若い騎士が頷いた。
「なるべく早く頼むよ。こっちもあまり長くは持ちそうにないからね」
言うと同時に、レヴィエンが引鉄を絞る。けたたましい銃声と共に撃ち出された銃弾は、当然のようにバネッサに避けられたが、それを合図に若い騎士が導力砲に向かって走り出した。
「あっ、何しとんねん自分!?」
若い騎士の意図を察知したバネッサが、攻撃の標的をそちらに移そうとした。だがレヴィエンの銃弾がそれを阻む。
「キミのお相手はボクだと言ったはずだよ」
矢継ぎ早にバネッサの足下目掛けて銃を発射する。その度にバネッサは跳ねるように銃弾を躱していた。
――カチン……
弾切れを知らせる乾いた金属音に、にやりとバネッサが口角を上げる。すかさず間合いを詰めてレヴィエンの頚動脈を掻っ切ろうとした――
「甘いっ!」
だがバネッサの身体が寸前まで迫った瞬間、レヴィエンは空いている左手をバネッサに向けた。そこから強い光が溢れ出し、バネッサの視界を真っ白に染め上げる。
「くっ、“灯光”の目くらましかっ!」
何も見えなくなったバネッサが、おおよその見当で鉄扇を振り抜くも、当然そこにはレヴィエンはいなかった。視界が回復した時には、レヴィエンは再び距離を取り、すでに装弾し終えた銃をバネッサに向けていた。
「ちっ!」
レヴィエンの銃から銃弾が発射される。バネッサは舌打ちと共に横に飛び、それを躱した――
「あっ! 猊下!?」
街の中心部に駆けつけようとする神託騎士団の前に、その行く手を遮るようにケニスが現れた。
「街の人達の保護に専念するんだ! 君達の手に負える相手じゃない!」
もうすでにかなりの数の騎士がワイズマンと名乗る襲撃者達の手によって殺されている。
「しかし……! 我等がやらねば一体誰が……っ!?」
騎士団の一人が搾り出すように叫んだ。戦っても敵わないことはもうすでに分かっている。しかし、だからといって何もせずに見ているわけにもいかなかった。
「大丈夫だ。奴らは僕の友人達が必ず止めてくれる」
友人達とケニスは言った。
アレンは戦うのは自分一人と覚悟を決め、他の全員には街の人々の救助と避難を指示していた。だが、それに素直に従う者達でないことはケニスには分かっていたし、アレン自身も覚悟はしているだろう。王都に向かうと覚悟を決めた時から、自分達は皆同列の“戦士”なのだから。
「あの……猊下はどうなさるおつもりですか?」
神託騎士団にとって、教会のトップであるケニスは最も守らねばならない存在だ。もしケニスがこのまま敵と戦うというのなら、黙って見送ることはできなかった。
「僕も大聖堂に向かうよ。街の人々をできる限りそこに避難させるんだ。残っている戦力を集結させて、そこに最終防衛線を張る。怪我人の治療も同時に行うから、重傷者と軽傷者の選別も頼む」
残っている法術師と医師も総動員し、重傷者はケニス自ら治療に当たる。それで大分犠牲者を減らせるはずだ。
「さあ、行くんだ。これ以上犠牲者を増やしてはならない!」
「はっ!」
ケニスの号令に、騎士団が揃って左の拳を自分の胸に叩き付ける。ガシャンという音が街路に響きわたり、彼らは新たな使命を胸に市街に散っていった。
「……死ぬんじゃないよ……レヴィエン」
大聖堂に足を向けながら、ケニスは未だ遠くに聞こえる爆音に“一人息子”の身を案じたのだった――
(確か……ここがこうで……こっちが……)
すぐ傍でレヴィエンとバネッサが戦っている間、若い騎士は導力砲と必死に格闘していた。演習の時の記憶を精一杯辿りながら、ぎこちない手つきで発射準備を整えていく。
(エネルギー充填OK、各機関、回路、オールグリーン!)
大量のシグナルランプを確認しながら、若い騎士は何とか発射可能な状態までこぎつけた。だが、本当の勝負はここからだ。
導力砲は命中すれば最強の魔獣といわれるドラゴンすら間違いなく仕留められるほどの威力を持っている。しかしクールダウンとエネルギー充填に時間がかかるため、一発撃てばしばらくは使えなくなってしまうのだ。それゆえ、外すことは決して許されない。
(落ち着け……慎重に……慎重に……)
早鐘のように自分を急かす心臓の鼓動に抗うように、若い騎士は甲冑の上から左胸を押さえた。こちらを嘲笑うかのように、照準の向こうのドラゴンは縦横無尽に飛び回っている。
(くそっ、好き勝手やりやがって……っ!)
何度も照準から外れてしまうドラゴンだったが、若い騎士は次第にその動きのパターンを掴みつつあった。ドラゴンの次の行動を予測し、先回りしたポイントに照準を合わせる。
(――今だっ!)
照準内にドラゴンが入った瞬間、若い騎士は発射トリガーを思い切り引いた。
――ドゥオオオォォン!
耳を劈くような爆音を轟かせ、太い光の帯がドラゴンに向けて一直線に放たれる。それはレヴィエンの“グングニル”に酷似していたが、その大きさは比較にならなかった。
「あぁっ! しまった!」
導力砲から放たれた砲弾がドラゴンに命中した瞬間、しかし若い騎士は頭を抱え、後悔の叫び声を上げた。
砲弾は確かにドラゴンに命中している。しかし当たったのは右の翼の部分だけであった。翼は吹き飛ばしたものの、完全に仕留めるには至っていない。
「あ~あ、やってもうた。あれじゃ余計被害が広がるで」
片翼を失い、きりもみ回転しながら市街地に落ちていくドラゴンを見ながら、バネッサは溜息をついた。
ある程度のダメージは与えただろうが、手負いの獣が一番恐ろしいというのはドラゴンも同様である。落下した地点で無差別に暴れ回られれば、今まで以上の被害は目に見えていた。しかも、街のど真ん中に落ちたドラゴンを導力砲で狙うわけにもいかない。
「ああ……僕はなんてことを……っ」
最悪の状況を招いてしまったと、若い騎士は真っ青な顔で頭を抱えた。
「いやいや、キミはよくやったよ。後の事は気にせず、もう一体も頼むよ」
しかし若い騎士の傍まで近寄ったレヴィエンは、この狙撃は大成功だと若い騎士を労った。それは慰めているわけでも励ましているわけでもない。本当にこれでいいと思ったのだ。
「ああ、そういやそっちには“剣聖”がおるんやったなぁ。正直ウチも“剣聖”とはやりたぁないし、落ちたドラゴンの方に行ってくれると助かるわぁ」
仲間のドラゴンが撃ち落とされたというのに、バネッサは陽気に笑った。
「ま、これ以上はさすがにヨシュアかて怒るやろうし、そろそろ本気でやらせてもらおか」
口調は今までと何ら変わりはしなかったが、口元に妖艶な笑みを浮かべたバネッサの眼はそれまでとは違っていた。形容し難い圧力に、思わずレヴィエンも息を呑む。
(さあ、ここからが正念場だ――)
≪続く≫
次回は8/11(木)19:00更新予定です。