第68話
またひとつ歳を取りました。
偉大な歴史作家、司馬遼太郎氏と同じ誕生日です^^
のび太くんとも同じなのは内緒です(笑)
フューレイン教には神託騎士団とは別に“法術師”と呼ばれる魔導師集団がいる。その存在目的は神託騎士団と同じで、当然この襲撃に対しても騎士団同様に出撃していた。
「急げっ! ドラゴンを止めるんだっ!」
いかに屈強な神託騎士団とて、鋼のように硬いドラゴンの皮膚に剣は通用しない。もっとも、法術師達の魔法とてドラゴンを仕留めることは不可能であるが、彼らの目的は魔法でドラゴンを足止めし、少しでも導力砲で狙い易くすることにあった。
「よし、ここで陣形を取れ!」
法術師達は一体のドラゴンを射程に収められる広場で立ち止まり、その場で散開しようとした。しかし――
「なっ、何だこれはっ!?」
突然、足元に巨大な魔法陣が浮かび上がり、法術師達はそこから立ち昇る光の壁に閉じ込められてしまった。
「け、結界……っ!?」
光の壁を叩き、法術師の一人が驚愕の表情を浮かべる。何者かの罠であることを理解するまで数秒の時を要した。
「ええい、狼狽えるなっ! 早く解除するんだ!」
リーダー格の壮年の法術師が、狼狽する部下達を激しく叱咤する。それによって我に返った他の法術師達は、この結界を破るために呪文の詠唱を始めた。だが結界はなかなか破れなかった。
「……これだけ人数がいて、この程度の結界も破れんのか」
そこへ、この結界を張った男――フラン・ラドクリフが現れ、呆れたように溜息をついた。
「世に聞こえた教会の法術師とやらも期待外れか」
少しは面白い戦いができるのではという期待が見事に裏切られたと思い、フランは――この男にしては珍しく――ほんの少し腹立たしそうにパチンと指を弾いた。
「うっ、うぁ……うわあーー!」
法術師達の足下から暗黒に染まった炎が噴き出し、まるでそれ自体が意思を持っているかのように妖しく蠢きながら、結界内に閉じ込められた法術師達を次々と呑み込んでゆく。しかし結界の外には一切炎が漏れることはなかった。
「肉も骨も魂さえも、一片残らず消え失せろ」
漆黒の焔が結界の中を埋め尽くし、中に囚われた法術師達はもはや一人残らず焼き尽くされたかと思われた瞬間、パリーン! という破砕音と共に結界の壁が砕け散った。
「ほう……」
結界を破り飛び出してきた男に、フランは意外そうな、それでいて少し嬉しそうな表情を見せた。
「見上げたものだな。他の仲間を見殺しにして、自分だけは防御魔法で身を守ったか」
結界が破られたことで黒い炎も消え、その場には中途半端に焼け残った死体だけが残された。生き残ったのはこの壮年の法術師だけである。元々それだけの力があったのだから、その気になれば皆を守ることもできたはずだ。だがこの法術師は魔力の消耗を最小限に抑える為に仲間を見捨てたのだ。
「……ここで貴様を倒せなければ、結局は同じ事っ!」
フランの言葉を侮蔑と取ったのか、壮年の法術師が顔を紅潮させながら叫ぶ。そして罪悪感を振り払うように戦闘体勢をとった。
「ああそうだ、お前は間違っていない。使えぬ者の命など見捨ててしまえ。もっとも、どの道お前も助かりはしないがな」
「おのれ……っ! 嘗めるなぁ!」
フランの言葉にますます激昂した法術師が素早く呪文を唱え、三連の魔法弾を放った。それら全てがフランに命中する直前に、フランの魔法障壁に阻まれて破裂する。
「こんな蚊が刺すような攻撃をいくら続けても、俺には掠り傷一つ負わせられん。待っててやるから、貴様の最大奥義を見せてみろ」
埃でも払うように法術師の魔法弾を防いだフランが溜息交じりに言った。強力な魔法ほど呪文の詠唱に長い時間と集中力を要する。一対一の戦闘では当然そんな魔法を唱える余裕などはないのだが、フランは法術師の持つ最強の攻撃魔法を要求したのだ。
「どこまでも馬鹿にしおってぇ……っ!」
怒りに我を忘れた壮年の法術師が、フランの要求通り己の持つ最強の魔法を放つための呪文を唱えだした。
「……後悔するがいいっ!」
少なくとも三十秒は経ったであろうか。その間、フランは身動き一つすることなく待っていたのだが、長い長い詠唱を終えて法術師は練り上げた魔力を放出した。それはフランの頭上遥か高い位置で光の塊となり、そして――
――ズドドドドドドオォンッ!
無数の光の槍がフラン目掛けて雨のように降り注いだ。大地を揺るがすような衝撃が幾重にも重なり、石畳の地面は抉れ、もうもうと土煙が舞う。
「はぁ、はぁ……馬鹿めっ! 一片残らず消え失せたのは貴様の方だったな!」
勝利を確信し、壮年の法術師は土煙の向こうに侮蔑の言葉を投げた。
当然相手は魔法障壁を張ってガードしただろうが、そんなことは関係ない。この魔法が発動しさえすれば、誰だろうと躱すことも防ぐ事もできはしない――はずだった。
「なかなか良い魔法だ。もっと素早く発動することができれば、面白い戦いができただろうに」
しばらくして土煙が晴れ、しかし壮年の法術師が見たものは、平然とその場に立っているフランの姿だった。
「俺の魔法障壁が破られたのは初めてだ」
そう言って笑うフランの頭から、一筋の細い朱が頬を伝う。ほんの掠り傷程度ではあるが、法術師の魔法はフランに届いてダメージを与えたのだ。
「そ……そんな、馬鹿な――」
それが全ての力を使い果たした法術師の最後の言葉だった。魔法によって練り上げられた漆黒の槍が、その左胸を無慈悲に刺し貫く。断末魔の悲鳴すら上げることなく、壮年の法術師はその場に膝から崩れ落ちた――
――ドオォンッ! ドオォォン!
間断なく巻き起こる爆音と炎に、ただ一人恍惚の笑みを浮かべる男がいた。時に右へ、時に左へと、まるでオーケストラの指揮者のように自分の意思ひとつでこの爆音のハーモニーを自在に操る。
周りの建物よりも一段高く造られた高級ホテルの屋上からは、この街の大半を視界に収める事ができる。それら全てがこの男――ワイズマンNo.5“焔皇”ギリアス・ヴォルテックの“殲滅”対象だった。
「……いい加減そろそろ飽きてきたところだ。少しは楽しませてくれよ?」
不意に、ギリアスが独り言のように呟く。そして高く跳躍してその場から離れた瞬間、寸前までギリアスが立っていた屋上の淵に氷の矢が降りかかった。
「氷の魔法か。昨日フランが言っていた魔導師とは違うようだな」
ピキピキと音を立てて、矢に撃たれた部分が凍り付く。それをちらりと横目に見て、ギリアスは姿を現した少女に視線を移した。そして軽く身構え、続けて来るであろう攻撃に備える。
「あなたに訊きたい事があるの」
しかしギリアスの予想に反して、少女――ミリィは攻撃する素振りを見せず、代わりにギリアスに問いかけた。
「あなたの仲間に、“赤眼の男”はいる?」
静かな言葉だったが、何とも言えない妙な鋭さを感じ、ギリアスは質問の意味よりもそのこと自体に興味を持った。
「“赤眼の男”……? ふむ、心当たりが無くもないがな」
ギリアスの言葉にミリィが明らかに反応を見せる。懸命に平静を装ってはいるが、心の動揺が手に取るように分かった。それが面白くて思わず笑みを浮かべたギリアスだが、そこでふと疑問を抱いた。
「……お前は“剣聖”の仲間じゃないのか?」
それがどうした、というような眼でミリィがギリアスを見る。その眼が肯定を示しているが、ミリィにはその質問の意味が分からなかった。
「そうか……なるほど、そういうこともあるか」
ミリィの困惑をよそに、ギリアスが一人納得するように頷く。そして、面白い事でも思いついたかのように再び笑みを浮かべた。
「月並みなセリフで申し訳ないが、俺を満足させることができたら教えてやろう」
そして軽く広げた両手が炎に包まれる。ミリィもこれ以上の問答は無駄と悟り、ギリアスとは正反対の冷気の魔力を身に纏った。
ギリアスは『俺に勝てたら』とは言わなかった。そんなこと、万に一つもあるわけがないと思っていたから――
「……どこ行ったんだよ、ミリィの奴……!」
あちこちで爆炎が巻き起こり、建物が倒壊していく中を、フィゼルは辺りを見回しながら走り抜けていた。逃げ遅れた人を見つけては助け、大聖堂に避難するよう促す。
「いつの間にかカイルもいなくなってるし……」
アレンから「街の人の救助を」と言われ、三人一緒に街中に引き返したはずだった。だが気が付けばフィゼルは一人きりになっている。
「うわっ!」
またすぐ傍の建物が崩れた。ドラゴンは直接人間を襲わず、高いところを旋回しながら時折急降下しては建物を打ち壊していく。それだけで十分多くの死傷者を出していた。
「くそっ、好き勝手やりやがって! 降りて来い!」
空に向かって叫ぶが、当然ドラゴンに反応は無い。フィゼルは拳を握り締め、この襲撃者を直接止めることができない無力感を噛み締めながらも、自分にできる精一杯のことをしようと再び走り出した――
スイーパーズギルド・フレイノール支部のギルドマスター、ヒューイ・カストルは、ギルドのカウンターの中で右往左往していた。遠くで爆音や建物の倒壊する音が聞こえる度、雷に怯える子供のように首を竦める。
元々、フレイノールは教会の神託騎士団が治安を守っており、しかも王国軍とは違って彼らは一般人に対しても親身になって働いてくれているので、ここではギルドの需要はほとんど無かったのだ。したがってギルドを預かるヒューイもそこに所属するスイーパー達も、こんな時どうすればいいのか分からず、ただただ狼狽えている。
「ヒューイ!」
その時、突然ギルドのドアが勢いよく開けられ――いや、蹴破られた。
「ア、アリアさん……っ!?」
そのままの勢いで室内に飛び込んできたアリアに驚きながらも、ヒューイはまるで救世主が来てくれたかのような表情になった。
数日前にふらりと挨拶に来ていたから、彼女がフレイノールに滞在していることは知っていた。
「一応、手持ちのスイーパー達には集合掛けてたみたいだね。アンタにしちゃ上出来だ」
本当はこんな状況におどおどしているだけの新米ギルドマスターをぶっ飛ばしてやりたいところだったが、今はそんな事をしている暇は無い。
「アリアさん……ぼ、僕達はどうしたら……」
迷子の子供のような眼でヒューイがアリアに問う。
「手分けして街の住人を大聖堂に避難させるんだ。けど、この暴れている奴らとは絶対に関わるな。アンタらが束になったって敵う相手じゃない」
頼りないヒューイに代わって、アリアが集まったスイーパー達に指示を出す。遠く離れたフレイノールのギルドにも彼女の名前は知れ渡っていたので、誰一人として異論を唱える者はいなかった――
「……何をしている、シフォン?」
教会の法術師達を倒した後、フランは別の広場でシフォンに遭遇した。怪訝そうな表情でフランが声をかける。
「見て分かんない? お茶飲んでるの」
シフォンはベンチに座って、どこから持ってきたのかティーカップで優雅に紅茶を飲んでいた。その傍らには無数の騎士の死体が横たわっている。そのほとんどが首を刎ね飛ばされていた。だがそんな凄惨な現場も、フランの眼には映らない。
「見て分かるわけないだろ。それより、もう仕事は終わりか?」
シフォンの嫌味に苦笑を漏らしながら、フランが再び問う。まだまだ自分達の仕事は終わってはいない。だがシフォンは既にやる気を失くしているように感じた。
「もう飽きた。私、王都に行くわ」
紅茶を飲み終えたシフォンがカップを放り投げた。ガシャンと音を立ててカップが地面で粉々になる。
「随分と勝手を言ってくれる。そんなこと、許すと思っているのか?」
任務放棄ともいえるシフォンの言葉に、しかしフランは特に意外とも思わなかった。シフォンのわがままは今に始まった事ではない。
「別に許してくれなくてもいいわよ。文句があるなら殺してやるから」
途端にシフォンの身体から恐ろしいほどの殺気が溢れ出た。フランの背筋にぞくりと冷たいものが走る。シフォンを力尽くで抑えようと思えば、こちらもかなりの犠牲を覚悟しなければならなかった。
そして、シフォンが空に向かって指笛を鳴らす。すると空の向こうから一体の魔獣がこちらに向かって急降下してきた。
「……グリフォンか。いつの間にそんなものを……」
今度はさすがのフランも驚いた。眼は見えなくとも、その鳴き声と威圧感から、それがドラゴンに匹敵するとさえ言われる伝説級の魔獣だと悟る。
「“あの人”に貰ったの。私もヨシュアみたいに空飛ぶペットが欲しいって言ったから」
得意げに笑いながら、シフォンは獅子の下半身に鷲の上半身を持つグリフォンの首を撫でた。決して人間には懐かないと言われていたグリフォンが、気持ち良さそうな鳴き声を上げる。
「……お前には随分と甘いのだな、“あのお方”は」
フランが皮肉交じりに笑った。
「そうよ。なんたって私は“特別”だもん。あなた達とは違うんだから」
ひらりとグリフォンの背に飛び乗り、いつもは見上げるはずのフランの顔を見下ろす。ふふん、と鼻で笑うシフォンは、さっきまでと別人のように子供らしかった。
「“熾眼”はどうするんだ? また会えるかも知れんぞ」
フランの言葉に、今にも飛び立とうとしていたシフォンがぴくりと反応を見せる。やはりシフォンのこの不安定さの原因はそこかとフランは思った。
「……知らない。あんなの、レンじゃない!」
一瞬生じた迷いを振り払うように、シフォンが頭を振る。それに応じるかのようにグリフォンが翼を大きくはばたかせ、身体を宙に浮かせた。
「なんならフランも一緒に来る? どうせ街の破壊なんてヨシュアとギリアスに任せとけばいいんでしょ?」
ゆっくりと上昇しながら、シフォンはフランを誘った。確かにグリフォンの背はもう一人乗れるくらいのスペースはありそうだ。
「いや、俺はまだ“大事な仕事”があるんでな」
気紛れな奴だと思いながら、フランはその誘いを断った。するとシフォンは「そう」とだけ応えて、グリフォンと共に東の空へと消えていった。
「……不憫なものだな、“特別製”というのは」
遠く見上げるように東の空へ顔を向けて、心が壊れてしまっている“二人”にフランが同情の溜息を漏らす。
(まあ、俺達は皆どこか壊れているものだがな)
しかしそんなことを考える自分が可笑しくて、フランは自嘲気味に笑った――
≪続く≫
次回は8/9(火)19:00更新予定です。