第4話
「そんな……だって先生がいないと村のみんなが困るじゃないか」
アレンがフィゼルの旅に同行する旨を告げると、フィゼルは驚き戸惑った。
「村の事なら心配いりません。元々あの村の医者はシェラだったのですから」
十年前、アレンがコニス村を初めて訪れた時、そこで村医者をやっていたのはシェラの父親だった。シェラも助手として父を手伝い、薬草の知識に関しては今でもアレンより上である。
「た、旅くらい一人でできるよ。子供じゃないんだから」
自分のことを心配してくれるのは嬉しいのだが、どうしても抵抗があった。これでは初めてのお使い状態だとフィゼルは思った。
「子供みたいなものじゃないですか。今の貴方は」
アレンがにっこり笑って言った。別に馬鹿にしているつもりも、からかっているつもりもない。
フィゼルが「そんなこと――」と反論しようとしたところで、小さい呻き声が聞こえた。二人が同時に声の方へ顔を向けると、少女が眼を覚まそうとしていた。
「う……ん……」
少女がゆっくり眼を開けた。フィゼルがその顔を覗き込むと、焦点の合わない眼が徐々にフィゼルの顔にピントを合わせていく。さっきまでの色の無い瞳ではなく、魅入られるほど美しい青色の瞳だった。
「気分はどうです? 気持ち悪いとかありませんか?」
フィゼルを少し引かせてアレンが問いかけた。フィゼルのように真上から覗き込むようなことはしなかったので、少女は首を横に向けてアレンを見た。そしてそのまま頷くと、ゆっくりと身体を起こす。この状況で慌てた様子が無いのがアレンには意外だった。
「もしかして、さっきまでの記憶があるのですか?」
アレンが問いかけると、少女はゆっくりと身体を起こし、申し訳なさそうに頷いた。
「はい、少しだけ。本当にごめんなさい」
少女はフィゼルに向き直り、頭を下げた。
「い、いや……気にしないでいいよ。別に悪気があったわけじゃないんだし」
フィゼルは慌てて手を振った。なぜか鼓動が早くなる。自分でも顔が赤くなるのが分かった。
「お名前を訊いても宜しいでしょうか? 私はアレン・ファルシス、この先の村で医者をやっています」
「俺、フィゼル!」
アレンに続いてフィゼルも名乗ると、少女は少し間を置いて、俯き加減で名乗った。
「ミリィ・フォルナード……です」
その名を聞いた瞬間、アレンは大きく眼を見開き、そのままじっと少女の顔を凝視した。ミリィと名乗った少女が怪訝そうに「何か?」と訊き返す。
「あ、いえ。いいお名前ですね」
アレンが慌てて笑顔を取り繕い、ミリィはまた小首を傾げた。
「こんな所で何してたの?」
ミリィが何か言う前に、フィゼルが心配そうな声でミリィに尋ねた。一体どのような経緯で“あのような状態”になったのか。この森に原因があるのだろうか。
「えっと、それは……」
ミリィは少し言い辛そうに言葉を詰まらせ、眼を伏せた。
「貴方は何か強力な呪いを受けていますね?」
アレンがそう言うと、ばっとミリィが顔を上げた。
「良かったら事情を話してくれませんか? 力になれるかもしれません」
アレンは相手を安心させるように笑顔で言った。しかしミリィはまた俯いてしまった。
「ありがとうございます。でも……」
ミリィはその事については話そうとしなかった。フィゼルは不満そうな顔をしたが、「無理強いするものではありませんよ」とアレンに諭されて渋々頷いた。
「ですが、女性がこのような森に一人でいるのは危険です。せめてこの森にいた理由だけでも聞かせてくれませんか?」
アレンがそう言うと、ややあってミリィがゆっくりと口を開いた。
「人を……探してるんです」
「人を?」
フィゼルが訊き返す。この先にはコニス村ぐらいしかない。もしかすると、ミリィの探している人物に心当たりがあるかもしれない。
「あの、ルーディスタインという方をご存知ありませんか? “剣聖”の二つ名を持つ賢者なんですけど」
ミリィはアレンに尋ねたのだが、返事をしたのはフィゼルだった。
「剣聖? 賢者? そんな偉そうな名前の人なんていたかなぁ。先生知ってる?」
フィゼルがアレンに振ると、アレンは考え込むような顔で押し黙っていた。フィゼルの問い掛けも聞こえなかったようだ。
先生、ともう一度大きめの声で呼びかけられ、はっと我に返ったアレンが顔を上げる。
「どうしたんだよ? ぼーっとして」
フィゼルが不思議そうな顔で覗き込む。アレンは慌てて話を合わせた。
「あぁ、いえ、何でもありません。えっと、フォルナードさん」
ミリィでいいですと言われたので、「ではミリィさん」とアレンは言い直し、ミリィの探している人間に心当たりが無いことを告げた。
「そうですか……」
ミリィは明らかに落胆の色を顔に出して肩を落とした。「ここもハズレか」と小さく呟くのが聞こえた。
「そのルーディ……なんとかって人に何の用事があったの?」
ミリィの落胆の様子があまりにも大きかったので、フィゼルは尋ねてみた。尋ねたところでその人物に心当たりが無いのだから、どうしようもないのだが。
「いえ、いいんです」
ミリィが小さく呟く。どうやら、本人がいないのなら誰に話しても仕方のない事情があるのだろう。フィゼルはそれ以上何も言えず、バツが悪そうにアレンを見た。
「ひとつ、提案なんですけど」
アレンが気まずい空気を断ち切るように話題を変えた。ミリィに向かって投げ掛けた言葉なのだが、ミリィが返事をするまでに少し間が開いた。
「このまま私達とここで夜を明かして、明日モーリスまでご一緒しませんか?」
ようやくミリィが気付いたように返事をすると、アレンはそう提案した。いつの間にか陽は完全に沈んでいて、辺りは夜の帳に包まれている。この広場は空を覆うものが無い為、月や星の光が照らしているのだが、木々が生い茂る森の中に入ってしまうと完全に闇の中である。とても抜けられるものではなかった。
「いいんですか?」
ミリィが少々驚き気味に問い返した。見ず知らずの人間を、しかも自分達を襲った上に詳しい事情を話そうとしない人間を、この人達は不審に感じないのだろうかとミリィは思った。
「そうしなよ。俺、君の話もっと聞いてみたいしさ」
ミリィは色々と詮索されることに躊躇いを見せたが、フィゼルにはそんなつもりは無く、ただ島の外からの人間が珍しいだけだった。
それからしばらく、フィゼルとミリィは色々な話をした。話をするのは専らミリィの方で、フィゼルに尋ねられるままに自分の知っている限りの世界の話をして聞かせた。ミリィの眼には、フィゼルは世間の事を何も知らない田舎者としか映らなかっただろう。
フィゼルはミリィに賢者というものについて尋ねた。賢者というといかにも頭脳明晰で世の中のことを何でも知っている仙人のような老人を想像するのだが、ミリィの探しているルーディスタインという人物は“剣聖”の二つ名を持つという。ミリィの話では賢者というのはその能力に応じてそれぞれ固有の異名を持つのだそうだ。ということはミリィの探している賢者はフィゼルの想像とは全く違って、筋骨隆々の剣の達人なのかもしれない。
「それについては私も分からないわ。知っているのは名前だけで顔も年齢も分からないの」
そう言ってミリィは小さく溜息をついた。それだけの情報で一人の人間をこの世界から探し出すことの困難さはフィゼルにだって容易に想像できた。
それからしばらくして、そろそろ休みましょうかとアレンが言ったので、フィゼルは自分の道具袋から毛布を取り出した。そこで初めて、ミリィは何の荷物も持っていないことに気が付いた。手ぶらでこの森に入ってきたのかと尋ねたところ、森に入った後で“あの状態”になり、荷物もどこかに置いてきたみたいだとミリィは言った。
「じゃ、じゃあこれ使いなよ」
フィゼルが自分の毛布を差し出した。
「フィゼル、無理しない方がいいですよ」
ミリィが遠慮しても強引に渡そうとするのを、アレンが制した。
「無理なんかしてないよ」
フィゼルは反論しようとしたが、それよりも早くアレンが自分の毛布をミリィに差し出した。
「使って下さい。私は見張りをしていますから」
そう言ったアレンに、見張りなら私がとミリィは申し出た。さっきまで寝ていたのだから自分がするべきだと言う彼女の言葉に、アレンは首を振った。
「貴方は休んでください。見たところ、随分と消耗しているように思えます。見張りなら私とフィゼルでやりますから」
アレンがにっこり微笑むとミリィは渋々頷いた。「じゃあ私も交代で見張ります」と、自分だけ朝まで休むわけにはいかないと頑なに言い張るので、結局三人で見張りを交代しながら休むことになった。
≪続く≫