第58話
前回のラストから、少し時間を遡ったところから再開です。
大聖堂に戻ったケニスがまず眼にしたものは、広大な庭に備え付けられたテーブルで優雅に紅茶を飲んでいるレヴィエンと、見知らぬ娘だった。
「あ~! 本物のケニス様だ~!」
ケニスの姿を見た娘が歓声と共に飛び跳ねるように立ち上がった。
「え……え~っと……」
状況を理解できずに戸惑うケニスに、娘はどんどん迫って来る。
「感激です~! やっぱり生ケニス様ってカッコイイ! 私、ファンなんです!」
ケニスに抱きつかんばかりに接近してきた娘は、歓喜に眼を輝かせている。
実際、ケニスはフレイノール一の人気者であった。元々の美しい顔立ちと、年齢を重ねることで備わった大人の色気で、彼目当てに入信する女性もいるほどだ。聖職者としては少々破天荒なところも、若者達に支持される理由のひとつだった。
「いやぁ、猊下に会わせてあげると約束してしまったものですからね」
色紙にサインまでしてやり、ケニスがどうにか娘を帰した後で、レヴィエンは特に悪びれる風もなく言った。
「レヴィエン……街でナンパしたコをここへ連れてくるのは止しなさいと言ってるでしょ。あと、僕をナンパのダシにするのはもっと止めなさい」
教会の人間がナンパをすること自体に問題がありそうなものだが、ケニスはその点は黙認していた。
「まったく……君は僕の似てほしくない所ばっかり似てしまったようだ」
ケニスもまた、若い頃はレヴィエンと同じようなことをしては先輩や上司に叱られたものだ。それゆえ自分によく似たレヴィエンの気質が憎めなかった。
「それはそうと、随分と帰りが遅かったですが何かあったんですか?」
レヴィエンも先程はケニスらと共にアレンを追いかけていたが、早々に諦めてナンパに勤しんでいた。そもそもそんなに慌てるような事態が起こるとは思っていなかったのだ。
「……今回ばかりは君の読みが外れたね」
レヴィエンはフィゼルの事情を全く知らない。よもやフィゼルが“敵”と繋がりがあるなどとは予想だにしなかっただろう。
「――そうですか。まさかフィー吉が襲われるとはねぇ。……もしかして彼には何か秘密でも?」
当然ケニスの口からフィゼルの事情を説明することはなかったが、やはりレヴィエンはそこに何かを感じたようだ。
「それについてはノーコメントだ。それよりも、ヴァン殿とカイル君は帰って来てないかい?」
フィゼルの話を一方的に打ち切って、ケニスは先に帰ったと思われる二人について尋ねた。だがレヴィエンの答えは予想に反したものだった。
「いいえ、ボクは見ていませんけど?」
ケニスが戻ってきてすぐにレヴィエンの姿を発見したように、レヴィエンの居た場所からも大聖堂に入る人間の姿がよく見える。レヴィエンが見ていないというなら二人は帰ってきてはいないのだろう。
「まさか……っ!」
ここでようやくケニスの脳裏に、とある想像が浮かんだ。
「あの二人がどうかしましたか?」
ケニスの深刻な顔に、レヴィエンは首を傾げながら尋ねた。
「レヴィエン、一つ頼まれてくれませんか?」
その問いかけには直接応えず、ケニスはレヴィエンに指示を出した――
「カイル君、これから言う事をよく聞いてほしい」
追跡魔法によって敵の動きが止まったことを認識したヴァンが、行動を共にしていたカイルに真剣な眼差しを向ける。
「な、何だよ……ヴァンさん」
どこか思いつめたような感もあるヴァンの表情に、カイルも思わず息を呑んだ。
「さっきから敵がある地点から動いていない。もしかしたらここがアジトかもしれない」
「ああ、とっとと行って確かめて来ようぜ。そのための追跡魔法だろ?」
傷ついたフィゼルを宿屋に運んだ後、ヴァンはカイルだけを誘って敵の追跡を開始した。追跡するための“印”はあらかじめ付けている。後はそれを追いかけるだけだった。
「だけど僕の魔法は途中で気付かれて解除されると思っていたんだ。それが未だに解除されていない」
「……? なら、気付かれなかったんじゃないか?」
「そうかもしれない。だけど気付いていながら、わざと僕達をおびき寄せる為にそのままにしているのかも」
そこでようやくカイルにも事態の困難さが理解できた。相手にばれていることがはっきりしているならば追跡を諦めて退くこともやむを得ない。だが本当に気付かれていなかったのだとしたら、敵のアジトが判明するかもしれない絶好の好機をみすみす逃すことにもなる。
「……どうする?」
カイルが強い眼差しでヴァンを見た。カイルの腹はもう決まっている。ここはリスクを冒してでも追跡を続行するべきだ。そしてその思いはヴァンも同じであった。
「もちろん、ここは多少危険でも敵のアジトを突き止めるべきだと思う。だけど罠だった時の事も考えて、作戦を練っておこう」
「作戦?」
「もし罠だったとしても、恐らく敵はあの盲目の青年一人だけだと思う。きっと僕と戦うことを望んでいるはずだ」
「……なんでそんな事分かるんだ?」
「彼が魔導師だからさ。魔導師には魔導師の考えていることがよく分かる」
ヴァンはある種の確信を持っていた。もし罠だとしたらその狙いはただ一つ、この追跡魔法の使い手と腕試しをすることだと。
「へぇ……魔導師ってやつもそういうこと考えるもんなんだな」
カイルは少々違った所に感心した。強い相手と戦ってみたいというのは、カイルにも共感できる。およそ肉体派とは言い難い魔導師にそういう気持ちがあるのが意外だった。
「それはともかく、もしそうなったら僕ではとても歯が立たない」
敵の正体がはっきりしたわけではないが、もし想像通りなら間違いなくヴァンよりも遥かに高い能力を持っているはずだ。まともに戦えばまず勝ち目はないだろう。
「大丈夫だって。俺がいるじゃねえか」
カイルとて敵の力を侮っているわけではないが、ヴァンと二人でなら十分太刀打ちできると考えていた。
だがヴァンの言葉は意外なものだった。
「いや、戦うのは僕一人だ。君は敵に見つからないように身を隠していてもらいたい」
「どういうことだよ、ヴァンさん!?」
今さっき、戦えば勝ち目はないと言ったばかりだ。
「僕が戦って敵に隙を作る。君はその隙を突いて攻撃してくれ」
つまり最初は敵にヴァン一人だけだと思わせておいて、タイミングを見計らってカイルが横合いから攻撃を仕掛けるというのだ。
「……何か卑怯臭えな。そんなんで勝っても寝覚めワリィよ」
いくら相手が強いからといって、騙し討ちのような真似はカイルには納得のいかないものだった。
「勘違いしては困る。これは勝つためにやるんじゃない。逃げるためにすることだ」
「は……?」
「仮に今僕が言ったことが全て巧くいったとしても、敵を倒すことは到底できないだろう。あくまでもその場から退却するだけの隙を作り出すために過ぎない」
それだけヴァンは相手の力を高く見積もっている。
カイルもヴァンの実力は知っているつもりだった。そのヴァンがここまで言うからには、敵の力はカイルの想像を遥かに超えているのだろう。
「……もし僕が敵に一分の隙も作らせることができずに倒されるようなことがあれば、君はすぐに退却するんだ」
「なっ……!? 何言ってるんだ、ヴァンさんっ!?」
先程からずっとヴァンの言葉はカイルにとって意外なものばかりだったが、それは本当に想像だにしない言葉だった。思わずカイルが気色ばむ。
「いくら君でも、相手の隙を突かなければ決定的な打撃は与えられない。それすらできないようであれば、僕のことは見捨てて一人で帰るんだ」
「そんな事……できるわけないだろっ!」
ヴァンの考えていることもよく分かる。ヴァンが手も足も出ずに倒されるような相手なら、カイルが挑んでも同じように倒されるのがオチだろう。それよりは一人でも逃げ延びて、得られた情報を仲間に持ち帰る方がいくらかマシだ。
だが、義に篤いカイルにそんなことができるはずなかった。
「できないというのなら、君を連れてはいけない。僕が一人で向かう」
せっかく敵の拠点が掴めるかもしれない絶好のチャンスなのだ。たとえ自分の命を危険に晒してでも、ここで退くわけにはいかなかった。そして、たとえ自分が命を落とすようなことがあっても、カイルを道連れにするわけにはいかないという決意もある。
「……分かった。約束する」
ヴァンを一人で行かせるわけにはいかないので、カイルは渋々ヴァンの言葉に従った――
(ヴァンさん……!)
目に見えて追い詰められていくヴァンの姿を、カイルはじっと耐えながら見ていた。気配を殺し、敵に悟られない程度の間合いを保ちながら二人の戦いを見守っている。
戦況は圧倒的にヴァンの不利に動いていた。今すぐにでも飛び出していきたい気持ちを懸命に堪えながら、“その時”が来るのを待っている。
「どうした? もうお終いか?」
背後の木に凭れかかるように喘いでいるヴァンに、フランがゆっくりと近づく。右手には魔法で練り上げられた漆黒の剣が握られていた。
「ハァ……ハァ……」
強過ぎる、とヴァンは思った。自分では足元にも及ばないと分かってはいても、それでも何とか隙ぐらいは作れるだろうと期待していたが、とてもカイルが横槍を入れるような隙を作り出すことができそうにない。
フランが左の掌を掲げた。そこに魔力が集中し、右手の剣を小さくしたような漆黒のナイフが形作られる。
「くっ……!」
すぐさまヴァンが素早く印を結んだ。するとフランの左手の上に形成されかかっていたナイフが霧のように掻き消える。もう何度も同じことを繰り返していた。
「面白いな……。こちらの魔法が発動するタイミングに巧く合わせて、その発動を強制的にキャンセルするのか。よほど魔力の流れを熟知していなければできない芸当だ」
この技術を用いて、ヴァンはフランが目くらまし用にアレンジした“灯光”の魔法の発動に合わせて、追跡魔法の“印”をフランの身体に打ち込んだのだ。タイミングをぴったり合わせることで、こちらの発動の気配を完全に消すことができた。
「惜しいな。お前の技は驚愕に値するが、残念ながら力に差があり過ぎた」
フランはもう一度掲げた左手の上にナイフを形成しようとした。当然、同じようにヴァンがそれを打ち消そうとしたのだが、今度はフランの作りだしたナイフは五本だった。その内の一本は打ち消したものの、残りの四本がヴァンの身体めがけて飛んでくる。
「ぐぅ……っ!」
飛来した四本の内、二本は魔法で撃ち落とし、二本は躱した。だがその隙にフランは右手に持っていた漆黒の魔法剣でヴァンの身体を斬りつけた。今までよりも明らかに大きなダメージを負ったことを、飛び散る鮮血が物語る。
「弄る趣味はない。もう終わりにしよう」
もはや木に身体を預けなければ立っていることもままならないヴァンに、フランが魔法剣を高く振り上げた――
「ちっくしょおぉぉ!!」
その瞬間、藪の中からフランのほぼ真横に向けてカイルが飛び出してきた。突進する勢いでそのまま槍を繰り出す。
「お前もよく今まで耐えた。だが最後はやはり非情に徹しきれなかったようだな」
カイルの突然の攻撃にフランは微塵も動じる様子はなく、左手を槍の切っ先に合わせるように突き出した。するとカイルの槍はその左手のすぐ手前のところで、まるで見えない壁に阻まれるかのように停止する。
「く……っそ……!」
フランの掲げた魔法剣が、ヴァンにではなくカイルに振り下ろされる。カイルはそれを横っ飛びで躱し、ヴァンを守るようにフランとの間に入り込んだ。すぐさま槍を薙ぎ払い、フランを一旦後退させることに成功する。
「カイル君……どうして……っ!? 約束が違うじゃないか!」
かねての取り決めでは、こうなった場合、カイルは自分を見捨てて逃げ帰るはずであった。
「やっぱりヴァンさんを見捨てるなんてできねーよ! 大体、これで俺一人だけ逃げ帰ったらアリアさんに殺されちまう」
ヴァンとの戦いで、フランの驚異的な戦闘力は分った。とても敵わないと知りながら、それでもカイルにはヴァンを見捨てて逃げるなど考えられなかった。
「どうせなら二人で逃げ帰ろうぜ。そんで二人してアリアさんに殴られようじゃねーか」
「……行くも地獄、戻るも地獄だね、これは」
アリアの鬼のような形相を思い浮かべながら、ヴァンはふっと笑みを漏らした。状況は依然絶望的であるにもかかわらず、何故か勇気が湧いてくるような思いだった。
≪続く≫
前回の後書きでヴァン&カイルが頑張るって書いた気がするんですが……
次回こそ……次回こそ頑張ります!
次回は7/23(土)19:00更新予定です。