第3話
大気が震え、少女の両手から特大の黒い弾が放たれた。自分の身体と同じくらいの大きさの魔法弾がフィゼルに向かって飛んでくる。フィゼルが精一杯逃げるよりもスピードが速く、その差は見る見る縮まってゆく――
「フィゼル!」
その魔法弾がフィゼルをもう少しで飲み込もうかというところで、フィゼルと魔法弾との間に一人の男が割って入った。男が鞘から抜き放った刀で魔法弾に斬りつけると、魔法弾は動きを止め、次の瞬間大きな音を立てて砕け散った。
「せ、先生っ!?」
魔法弾が砕け散った時の衝撃で地面に突っ伏した身体を持ち上げて、自分を助けた男の姿を見たフィゼルは眼を疑った。「どうしてここに?」という言葉を発しようとしたが、うまく声が出ない。
「大丈夫ですか? フィゼル」
振り返り、手を差し伸べてフィゼルを助け起こしたアレンは少し肩で息をしていた。ここまで急いで追いかけてきたのだろう。うっすらと汗も滲んでいる。
「どうして先生が?」
フィゼルの問い掛けを「話は後です」と遮って、アレンは少女の方を向いた。少女は足を地面につけており、また再び両腕を下げ、色の失った瞳でどこを見るともなく見つめている。身体を覆うオーラは消えていて、全ての力を使い切ったかのようだ。
「先生、これって……」
アレンの後ろについて少女に近づいたフィゼルが戸惑いの表情を浮かべた。
「どうやら彼女は何か強い“呪い”を受けているようですね」
フィゼルは「やっぱり」と呟くと、少女の虚ろな瞳を見つめた。表情のない少女の美しい顔立ちが、まるでよく出来た人形のようだ。
「先生って“解呪”もできるんだろ?」
フィゼルがまるで自分の助けを請うようにアレンに言った。以前、アレンは病気の治療だけでなく呪術などを解くこともできるのだとシェラから聞いたことがある。
「確かに簡単な呪いなら解くこともできますが、これほど強力なものだと、彼女自身から詳しい話を聞いてみないことにはどうしようもありませんね。とりあえず彼女の意識を戻しましょう」
アレンが指先で少女の胸の前に小さく印を結ぶと、その箇所から光が溢れ出した。その光が一瞬視界を真っ白に染め、そして光が消えた時には少女が力なくアレンに抱きかかえられるような格好になっていた。少女の虚ろだった瞳は閉じられ、ただ眠っているようにも見える。
「彼女を休ませましょう」
少女を抱きかかえたまま、アレンは持参した道具袋から毛布を取り出すようフィゼルに指示した。アレンが自分と同じように、完全な旅支度をしていたことに驚きながらも、フィゼルは言われた通りに毛布を取り出し、地面に敷いた。その上にアレンが少女を寝かせる。
少女は静かに寝息を立てている。先程のことが嘘のような穏やかな寝顔だ。ちょっと心配そうに少女の寝顔を横目に見ながら、フィゼルはアレンに事の顛末を尋ねた。
「フィゼルが出て行ったあと、私はシェラと話し合いました。やはり、フィゼルを一人で旅に出すわけにはいかないと――」
フィゼルが旅立ってすぐのこと――
テーブルを挟んで向かい合わせに座って、シェラの眼を真っ直ぐに見つめながら、アレンは胸に秘めた決意を語った。我が子のように可愛がっていたフィゼルと別れたばかりのシェラに、こんなことを話すのがどれ程残酷なことなのかは分かっているつもりだ。
「そう。やっぱりね」
シェラは意外にもアレンの言葉に動揺はしなかった。しばらく俯いていたが、顔を上げた時のシェラの表情は微笑を湛えていた。
「あなたがそう考えていることは分かっていたわ。だから、覚悟だけはしていたつもり」
そう言って立ち上がり、奥へ消える。しばらくして戻ってきたシェラの手には、黒い鞘に収められた一振りの刀が握られていた。
「これは――」
以前、アレンが使用していた刀だ。シェラと知り合って結婚する時に、もう必要の無いものだからと捨てたはずだった。
「いつかこんな日が来るんじゃないかって気がしていたの。だから、内緒でずっと持っていたのよ」
手入れの仕方はよく分からなかったけど、とシェラは言ったが、鞘から引き抜いた刀身はあの頃のままの輝きと鋭さを誇っていた。
「再びこの刀を手にする日が来るとは。やはり、運命なんですかね」
手にするのは十年振りなのに、不思議と懐かしいという気持ちは湧かなかった。まるで身体の一部であるかのように、その刀は自然とアレンの手に収まった。二十年前、まだ十五歳だったアレンはこの刀を振るって命懸けの戦いに臨んだ。もう終わったと思っていた戦いが実はまだ続いているのではないかという予感がしたのは、フィゼルと出会った一年前のことである。
フィゼルと出会った時の本当の状況はシェラには隠していた。しかしシェラはそれに気付いていたのだろう。気付いていたからこそ、フィゼルが旅立つ時にアレンも一緒に出て行くことを覚悟していたのだ。
「あなたの事だからきっと心配はいらないんだろうけど、絶対に無理はしないでね」
そう言って微笑むシェラの眼には、うっすらと涙が滲んでいた。本当は心配で心配で堪らないのだが、アレンの決意を鈍らせたくなかった。それが彼の為であり、フィゼルの為でもあると思ったから。
「シェラ……」
アレンがシェラの身体を抱きしめた。必ず無事に帰ってくると誓うと、腕の中でシェラが小さく頷いた。
≪続く≫