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Sage Saga ~セイジ・サーガ~  作者: Eolia
第8章 絡み合う運命の糸
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第54話

 大聖堂の最奥に設けられた礼拝室――


 一般の参列者や、シスターと神官が普段祈りを捧げる中心部の大礼拝堂とは異なり、ここは小さな部屋に小さな祭壇、そしてその上に同じく小さな神像と香炉が載っているだけだった。


 神像は女神フューレインを象っており、この祭壇がなければここは礼拝室というよりも懺悔室と呼ぶにふさわしい部屋だ。


 たった一つだけある明かり取り用の窓から差し込む光が、香炉から立ち上る煙にその軌跡をはっきりと映し、祭壇の前に片膝をついて頭を垂れている一人のシスターを照らしていた。


 シスターは日々の務めの合間――そこから寝食の時間を除いたほぼ全ての時間をこの礼拝室で祈りを捧げるために費やしている。


 その日々の務めの中にも、朝昼晩と世界中の人々の為に祈りを捧げる時間はあるが、この時間は世界でたった一人の為に祈りを捧げる時間だった。


 それは祈りというよりも、本当は懺悔なのかもしれない。数ある礼拝堂の中で、さながら懺悔室のようであると揶揄されるこの部屋を選んだのには、彼女なりの思いもあったのだろう。


 いつだったか、誰かが彼女の身を心配したことがあった。だが彼女は毎日一日たりとも欠かさずこの部屋で祈りを捧げている。


 こうして祈りを捧げていれば、いつか――


 それがどんなに(よこしま)な願いか分かっていながら、それでも頭を(よぎ)る妄想に近い期待を完全に捨て去ることは彼女にはできなかった。


 不意に後方のドアが開く。この部屋はもはや彼女の為だけにあるようなものだと、大聖堂の人間は皆思っていた。この部屋のドアが閉まっている時は、中で彼女が祈りを捧げているのだと。だから敢えてそのドアを開けて中に入って来る人間など、ここ数年いなかった。シスターも思いがけなかった事に顔を上げて後ろを振り返る。


「お母……さん?」


 振り向いたシスターの眼に、一人の少女の姿が映る。続いて聞こえてきた消え入りそうなほどか細い声は、しかしシスターの耳には驚くほど大きく聞こえた。


「……ルー……っ!?」


 自分の娘も順調に育っていたら……などという考えより先に、シスターは確信した。目の前の少女が、かつて自分が見捨ててしまったあの赤子だということを――


「お母さぁんっ!!」


 ルーがシスター――セリカ・スタンレイに飛び込んだ。慌てて受け止めたセリカの胸の中で大声を上げて泣きじゃくる。


「お母さん……お母さぁん……っ!!」


「ルー……! 本当にルーなのね……っ!」


 力一杯ルーを抱きしめながら、セリカも涙を流した。この瞬間をどれだけ夢想したことか。しかしそれを願うこと自体が罪深いことと、今までずっと葛藤に苦しめられてきた。そしてそれ以上に、自分は娘に恨まれているはずだと思っていた。そんな自分に、娘が会いに来てくれるなんて――


「ルー……私を――」


「お母さん……ごめんなさい……ごめんなさい……っ!」


 セリカより先に謝ったのはルーだった。その言葉にセリカが眼を(みは)る。


 一体何を詫びることがあろうか。地に額を擦りつけてでも謝らねばならないのは自分の方なのに――


「もっとぉ……早く……来れば良かった……っ!」


 物心がつき、自分が捨て子だったという話をドルガから聞いてから、一度も両親を恨みに思わなかったと言えば嘘になる。だがレティアの街でヒルダに真相を聞き、そんな事を少しでも考えた自分が恥ずかしかった。そして、今まで会いに来なかった事も。母に会ったらまず最初に謝らなければと思っていたのだ。


「あなたが謝る事なんか一つもないわ……っ! こんな私を……お母さんって呼んでくれるのね?」


「お母さんはぁ……お母さんですぅ……っ! ルーのぉ、たった一人のお母さんですぅ!」


 ルーは背中に廻した腕に一層力を込めた。もう二度と離れはしないと言うかのように――


「ああ、ルー……っ! 私のルー……っ!」


 一切の遠慮も無く抱きしめるルーの腕が、痛いほど身体に喰い込む。だがその痛みすら、セリカには望むことすら許されなかった幸福だった――











「……そうか。あのお嬢さんは自分の母親に会いに……」


 ヴァンを含めた六人はケニスに案内されて大聖堂の応接間に通された。そこでレヴィエンがケニスにルーの事情を話し、ケニスが自らセリカのいる礼拝室まで案内するためにルーを伴って部屋を出たところで、ヴァンは彼女の目的を知った。同時に、ルーが第一印象からは想像もできないほどの想いを抱えていたことに驚く。


「ぽや~んとしてるように見えるけどね、あの子はあの子なりに張りつめていたんだと思うよ」


 レティアからフレイノールへ来る途中、アリアは何度か連絡船の甲板の上で独り物思いに耽っているルーの姿を見ている。そんな姿にアリアはふと娘のジュリアのことを思い出し、胸が詰まる思いだった。


 それから六人はケニスが戻って来るのを応接室で待った。レティアでは全く状況が呑み込めていなかったカイルにも、連絡船の中でアリアが大体のあらましは説明していたので、ここからはケニスを交えないことには話は進まない。しかしケニスがルーを共に部屋を出てからすでに大分時間が立っていた。ただ単にルーを案内するだけにしては少々遅過ぎる――


「やあ、お待たせお待たせ」


 そんな事を皆が考えだしたところで、図ったようなタイミングでケニスが戻って来た。


「いやぁ、いいもんだねぇ、親子愛ってやつは。思わず僕まで目頭が熱くなってしまったよ」


「アンタ、まさか感動の親子対面の場にずっといたんじゃないだろうね?」


 こいつならやりかねないと思いながら、アリアはじろりとケニスを睨んだ。


「フッ、まさか。いくらなんでもそんなデリカシーの無いことはしないよ」


 アリアの追及を笑顔で躱し、ケニスが空いていた席に着く。


「さて、それじゃあ本題に入ろうか。とは言っても、大体のあらましはレヴィエンから報告を受けている。王都の戒厳令の件もね」


 レヴィエンはケニスの密命を受けて各地で王国軍の動静を調べていた。それによって得た情報――王国軍が各地で戦闘行為を繰り返していたこと、魔石を用いて賢者を作り出そうとしていたこと、そして王都の戒厳令騒ぎの件――を逐一ケニスに報告している。


「ちなみに猊下(げいか)の考えもボクと同じさ。この戒厳令騒ぎは王国軍によるクーデターで、恐らく国王ローランド・フォン・イルファリアは殺害されていると見ていいだろうね」


 この件に関しては、皆の意見はほぼ一致している。アリアも独自に調べた情報から導き出した結論はレヴィエンやケニスと同じものであったし、アレンもそう考えていた。だがその王国軍を率いているのがディーンであるという事実が、どうしても彼らの心に重くのしかかる。


「私はディーンがこのような事をするなど、未だに信じられないのです」


 連絡船の中でも、アレンはその事ばかりを考えていた。ここまで明らかになった事実と、かつての仲間を信じたいという気持ちが真っ向からぶつかっている。


「アーリィ……まだそんな事を言っているのかい? 現に――」


「アンタは黙ってな。これは“あの戦い”を知る者じゃなきゃ分かんないんだよ」


 レヴィエンの溜息交じりの言葉を鋭く遮って、アリアもアレンに同調した。そして改めて意見を求めるようにケニスを見る。


「……“あの戦い”を知る者、か。だがそれを知っているからこそ、もう二度と同じ過ちを繰り返してはならないという思いが僕にはある。たとえかつての友と敵対することになっても……」


 アリアの睨むような眼差しに、ケニスも強い視線を返す。そこに秘められた覚悟に、アリアだけでなくアレンも言葉を失い、場は重苦しい空気に包まれた。


 結局、この場は特に何も決まらぬままに終わった。ケニスはレヴィエンの他にも同様の調査員を派遣しており、それらの報告を待ってから今後の動きを検討するという。


「場合によっては王国軍と全面対決になるかもしれない。みんな、覚悟だけはしていてくれたまえ」


 そう締めくくると、ケニスはテーブルの鈴を鳴らした。部屋に入って来たシスター達に、アレン達を部屋に案内するよう指示を出す。


「取り敢えずはゆっくりと旅の疲れを癒すことだ」











 各々に割り当てられた客室で身体を休めていたアレンの元に、ケニスからの使者が訪れたのはその夜のことだった。


「すまないね。こんな時間に呼び出したりして」


 執務室兼寝室にもなっている自室でアレンを迎えたケニスは、昼間の豪奢な法衣ではなく、ゆったりとしたナイトガウンを羽織っていた。


「いえ、何となくそんな気がしていましたから」


 アレンも二人きりでケニスと話したかった。


「ワインでいいかい? ちょうど上物の赤が手に入ったんだ」


 小さなテーブルを挟んだソファの片方にアレンを座らせて、ケニスはビンテージ物のワインの瓶と二つのグラスを置いた。


「随分と高そうなワインですね。いいのですか? 貴方は聖職者の身だというのに……」


「人間、メリハリが大事だよ。清貧の志も立派だが、今の時代はそれだけではやっていけない面もあるのさ」


 アレンの皮肉を笑顔で受け流し、ケニスはグラスにワインを注いだ。


「ともあれ、こうして君と酒を酌み交わせる日が来ようとは。これも女神のお導きというやつかな」


 そう言ってケニスはグラスを持ちあげ、大袈裟に掲げて見せた。アレンも苦笑を浮かべながらそれに合わせる。


「当時はディーンぐらいでしたものね。お酒を飲めるのは」


 ケニスが本当に美味しそうにワインを飲むのを見て、アレンもグラスに口を付けた。


「彼とはあまりウマが合わなかったからねぇ。誘っても付き合ってくれなかったよ」


 ほとんど一気にグラスのワインを飲み干して、ケニスは自嘲気味に笑った。


「貴方はリオナとも仲が悪かったじゃないですか」


 聖職者とは思えない軽薄な言動をとるケニスと、生真面目なディーンやフューレイン教を毛嫌いしていたリオナ・フォルナードは、事あるごとに口論となっていた。今思えば、よくそんなパーティで戦っていけたと思えるほどだ。


「そうだったねぇ。結局、気が合うのは君だけだったな」


「そうでしたっけ? 私も貴方とは喧嘩ばかりしていた記憶しかないのですが……」


「あれ、そうだったかい? なんだ、ただ単に僕が嫌われ者だったということか」


 またもや白々しくケニスが哀しそうな表情を作って見せた。その顔を見てアレンは笑い、ケニスもすぐに笑顔になる。


「ですが、貴方の力は誰もが認めています。貴方がいなかったら、私達は勝てなかったでしょう」


「フフ、あの時の勝利はいくつもの奇跡が重なっての結果さ。それこそ奇跡的な数のね」


 そこでケニスは一旦言葉を切った。空になったグラスに再びワインを注ぎ、しかしそれを口には運ばず言葉を続ける。


「だから、もう一度あのような事態に陥れば、世界は間違いなく破滅する」


 それまでの談笑ムードから一変して、突然ケニスは表情を険しくした。


「ケニス……」


 それはアレンも痛いほど分かっている。


「辛いことかもしれないが、心に迷いがあっては戦えない。君がワイズマンと名乗る二人組に後れを取ったのも、その辺りに原因があるんじゃないのかい?」


 アレンにここまでの手傷を負わせた二人組の実力は本物だった。しかし、二十年前のアレンならここまでやられはしなかったのかもしれない。アレンに実戦的なブランクがあったことも事実だが、やはり心に(わだかま)ったディーンへの迷いが僅かにアレンの剣を鈍らせていたことも否めなかった。


「……貴方は変わりませんね。天秤が掲げた方を躊躇なく捨て去る決断力。それに何度救われたか知れません」


 二十年前の騒乱の時も、ケニスは常に得るものと失うものを秤にかけて行動してきた。何かを成すには犠牲が付きまとう。その中でケニスは、最小の犠牲で最大の効果を上げられる策を常に練り上げていたのだ。


「人は変わるものだよ。それは我ら賢者だって例外じゃない。人も世も常に移ろい、流れていくものさ。もちろん、この僕もね」


「ディーンも……変わってしまったのでしょうか」


 そんなはずがないと言うには、二十年という年月はあまりにも長すぎる。


「人は誰しも変わる。だけど何年経っても変わらない部分もあるだろうさ。彼が彼であることは変わりようがないのだから」


 それを見極める為にも、やはりディーンとは真正面から対決しなければならないだうことをケニスは言外に込め、アレンもかつての友と決別する覚悟をここに固めた。


≪続き≫

ついにルーが母親との感動の再会を果たしましたね。

自分で書いてて泣きそうになりました(笑)


次回は7/17(日)19:00更新予定です。

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