第42話
「ほれほれ、どうした? 防ぐだけで精一杯か?」
魔族は二人の周りを自由に飛び回りながら間断なく魔法攻撃を続ける。
「な、なあ! ちょっとヤバくないか!?」
魔法障壁のおかけで魔族の魔法弾は届いていなかったが、自分のすぐ手前で弾ける攻撃の連続にフィゼルは不安げな声を上げた。
ロザリーは黙っている。周りを縦横無尽に飛び回る魔族をフィゼルのように眼で追うでもなく、じっと前だけを見据えていた。その表情には焦りの様子は見えず、むしろ余裕に笑みを浮かべているようにすら見えた。
次々と放たれる魔法弾を弾く度に、ロザリーの魔法障壁の輝きが弱くなっていく。薄氷のような儚い輝きを見て、魔族はあと少しで破れると確信した。さらに攻勢を強め、渾身の力で集中砲火を浴びせかける。
それが二人を囲む障壁とその周辺に次々と着弾し、撒き上げられた粉雪が完全に二人の姿を覆い隠した。
「フハハハハ! 我が名はリッチー、死者の魂を統べる者!」
もうもうと煙のように撒き上がった粉雪の中、魔族は高らかに勝ち名乗りを上げた。二人の姿を確認するまでもなく勝利を確信している。
「ほう、リッチーといえばそこそこ名の通った魔族ではないか」
どこからともなく聞こえてきた声に、リッチーと名乗った魔族が凍りついた。弾かれるように左右を見回すが、誰の姿も見えない。
「ここだ、愚か者め」
声はリッチーの背後から聞こえた。振り返ると同時に、突風のような激しい風がリッチーを襲う。
「ぬおっ!?」
全く無防備の状態で激しい風に呑み込まれたリッチーは、そのまま地面に身体を激しく打ち付けた。
「ぐっ……馬鹿な……」
雪に埋もれながら、リッチーは首を横に向けた。そこには堅固な魔法障壁に守られたフィゼルの姿だけがある。
「あの程度の攻撃で、我が守りを破れると思うたか?」
ふわりと地に舞い降りたロザリーが文字通り見下すように言った。
「遊んでいないで本気を出せ。それとも、それが貴様の限界か?」
リッチーはまだ雪の中で動かない。だがこの程度で動けなくなるとは思わなかったし、まだまだ本気は出していないだろうとロザリーは思った。
「おのれ、嘗めるな人間っ!」
リッチーは激昂し、再び宙に浮いた。両手から次々と魔法弾をロザリーに向けて発射する。
ロザリーはそれを一発一発弾いていく。フィゼルを守っているからか、それとも今度はロザリーからも攻撃をしているからか、ロザリーは全身を覆うような魔法障壁を張ってはいなかった。
闇の魔法を操るリッチーに対し、ロザリーの魔法は“風”を自在に操る。突風によって相手を弾き飛ばしたり、球状に圧縮した風を放ったりする。その身は風の魔力によって宙に浮いており、同じく宙に浮くリッチーと激しい空中戦を繰り広げていた。
両者の戦いはフィゼルの想像を遙かに超えた壮絶さだった。何とか加勢したいと思っても、動きをその眼で捉えることもままならない。
「思い出したぞ。貴様、“風詠み”だな?」
ロザリーの人間とは思えぬ強大な魔力に、リッチーはその正体に気が付いた。
「ほう、魔族が我の名を知っているのか」
激しく撃ち合いながら、ロザリーも言葉を返す。
「知っているとも。未来を見通す呪われた賢者よ。これまで一体どれほどの死を見通してきた? さぞかしその眼に“業”が疼こうなぁ」
リッチーの言葉に、ロザリーの動きが一瞬止まった。表情は変わらなかったが、一瞬走った動揺は隠せない。
「馬鹿めっ!」
その一瞬の隙をついて、リッチーはロザリーの身体を拘束した。ロザリーの身体に魔法で編まれた光のベルトが巻き付く。
「くっ……」
ロザリーの身体は魔法のベルトに絡め取られてしまい、完全にその自由を奪われた。
「フハハハハ! “風詠み”の魂はさぞや旨かろうて」
動けなくなったロザリーの顔の前に、リッチーは人差し指を突き出した。そこに魔力が集中する――
「うおおぉぉ!」
リッチーがロザリーに止めを刺そうとした時、それを助けようとフィゼルが魔法障壁の中から飛び出した。渾身の力でリッチーに剣を振り下ろす。しかしそれは素早く振り返ったリッチーの腕によって防がれた。
――パキーン!
甲高い音を響かせて、フィゼルの剣は真っ二つに折れてしまった。王都の地下水道で岩のように硬い“愚者”に何度も斬り付けたせいで、フィゼルの剣はもう限界をとっくに超えていたのだ。
「……脅かしおって。雑魚に用は無い。興醒めだ、失せろ」
リッチーは指を軽く弾いた。ただそれだけなのに、フィゼルの身体はもの凄い衝撃波で吹き飛ばされてしまった。
「さて、余計な邪魔が入ったな。続きと――」
リッチーが振り返ると、そこにいるはずのロザリーの姿が無かった。
「……っ!? 一体どこに――ぐぅっ!」
次の瞬間、リッチーは頭上からの強力な圧力に押し潰された。攻撃の主はもちろんロザリーで、至近距離から強風の魔法を叩きつけたのだ。先程の拘束はすでに解けている。
「大丈夫か?」
リッチーに吹き飛ばされたフィゼルの元にロザリーが舞い降りた。
「う……うん」
ロザリーに助け起こされてフィゼルは立ち上がった。
「そなたに感謝を。そなたが隙を作ってくれたおかげで助かった」
リッチーの拘束を解くことは難しくなかったが、それには一瞬でも隙が必要だった。それを作ってくれたフィゼルの果敢な攻撃にロザリーは感謝した。
「……勝てるの?」
戦況は決して不利だとは思わなかったが、有利だとも思えなかった。何よりリッチーの力の凄まじさを身体で感じてしまった今となっては、不安に思う気持ちの方が強い。
「長引けば確かに不利になろう。そなたも一緒に戦ってくれるか?」
相手が普通の生物なら、じっくり体力を削り取っていくような戦法も有効だろう。だが目の前の敵は無尽蔵の魔力と不死に近い肉体を持った魔族である。持久戦に持ち込めば明らかにこちらのジリ貧になる。ロザリーは短期決戦を期してフィゼルにも共闘を求めた。
「でも、俺の剣は……」
フィゼルはまだ右手に握られている折れた剣に眼をやった。これではとても使い物にならない。
「これを使え」
ロザリーはその小さな身体のどこに隠していたのか、フィゼルに一振りの剣を差し出した。突然現れた剣に眼を丸くしながらも、フィゼルがそれを受け取る。
鮮やかな翡翠色の鞘に納められた刀身はフィゼルがそれまで使っていたものよりやや細身で、引き抜くと瑞々しくも妖しげな輝きを放った。
何よりも驚いたのはその軽さだ。いくら細身とはいえ、羽根のような軽さはとても刀剣の類とは思えなかった。
「“疾風の御剣”という。そなたなれば使いこなせるだろう」
フィゼルが腰の鞘を新しく付け替えるのと同時に、雪に埋もれていたリッチーが静かに浮き出てきた。怒りに身体を震わせ、より一層禍々しい邪気が辺りを覆う。
「我が奴の動きを止める。そなたが止めを刺せ」
固唾を呑むフィゼルにロザリーが作戦を告げる。そしてフィゼルをその場に残すと、再びリッチーと相対した。
「フフフ、相談は終わったかね?」
全身を駆け巡る激しい怒りを精一杯隠すように、抑揚のない口調でリッチーが言った。二人が何かしら企んでいることには気付いている。だがロザリーさえ押さえておけばフィゼルには何もできはしないと高を括っていた。
再び戦端が開かれた。ロザリーが押したかと思えばリッチーが巻き返す。そんな一進一退の攻防が繰り広げられる中、フィゼルは何もできない自分をもどかしく思いながらもじっと耐えていた。
今自分が飛び出していったところで、宙を自在に飛び回るリッチーに剣は届かない。ロザリーが相手の動きを止めるのを信じて待つより他なかった。
「どうした? “風詠み”の賢者がこのまま何もできずに終わるつもりか?」
戦況はまだどちらにも傾いてはいなかったが、このまま持久戦になれば間違いなく自分が優位に立てるとリッチーは確信した。
「我は“風詠み”。我が眼が見通すのは貴様の死だ」
余裕を取り戻したリッチーに対し、ロザリーも焦りを一切見せず淡々と言った。
「フフフ、そうか。それなら、これでどうだっ!?」
突如、リッチーは攻撃の矛先を変えた。固唾を呑んで両者の戦いを見つめていたフィゼルに魔法弾を撃ち込む。
「うわぁっ!」
フィゼルの短い悲鳴を残して、魔法弾は次々と着弾して粉雪を捲き上げた。リッチーとの戦いに力を集中させていたため、ロザリーはそれまでフィゼルの周囲に張っていた魔法障壁を解除している。
一向に勝負を懸けに来ないロザリーを見てリッチーはそれまでの考えを変え、フィゼルが何かしらの鍵を握っているのではと読んだ。その企みを崩してしまえば、もう自分の勝利は確定したも同然だ。
さらにフィゼルが攻撃を受けたことで、ロザリーにも動揺が走ると考えた。そうなれば一気に片を付けてしまうつもりだった。
だがロザリーは動揺するどころか、その一瞬の隙をついてリッチーを風の結界に閉じ込めた。局所的な竜巻のような結界はリッチーをその場に縛り付け、身動きを取れなくする。
リッチーの読みは的中していた。だがそれによってフィゼルに攻撃を加えたことが、結果的に隙を見せることになったのだ。
「今だ、フィゼル!」
ロザリーは残りの力を全て注ぎ込んでリッチーの動きを止めた。かねての計画通り、ここでフィゼルに合図を出す。
「フン、馬鹿な。あの小僧ならもう――」
結界に拘束されながらも、リッチーはロザリーを嘲笑った。合図を送った相手なら先程自分の攻撃を受けたではないか。仮に運よく死んでいなかったとしても、何かできるはずがない。しかし――
――ヒュゥン!
独特の風切り音を響かせて、フィゼルの剣がリッチーの身体を斬り裂いた。フィゼルはリッチーの攻撃を躱していたのだ。所々に傷は負っているものの、どれも軽傷であった。
「ばっ……馬鹿な……!」
胴体を真っ二つに裂かれながら、リッチーは驚愕に震える声を振り絞った。
「ただの……人間に……そ、そうか……貴様も……賢……者……」
そのままリッチーの身体は霧のように消えてしまった。
「ハァ……ハァ……か、勝ったのか?」
肩で大きく息をしながら、フィゼルはその場にへたり込んだ。さっきまで辺りを包み込んでいた邪気はもう感じない。
「ああ、我らの勝利だ」
ロザリーは激戦の直後とは思えないほど静かに言った。
「はは、それにしても君って本当に凄いんだね。あんな化け物に勝っちゃうなんて」
「そなたの力あってのことだ」
ロザリーが手を差し伸べ、フィゼルはその手を充実感に満ちた笑顔で取った。
≪続く≫
今回はフィゼルも活躍……した、よね……?
次回は6/26(日)19:00更新予定です。