第36話
四人は地下水路を歩き続けた。途中、梯子を登って水路とは別の通路に出る。傍らを水が流れていないだけで、周りを無機質な石造りの壁と天井に囲まれているのはさっきまでの水路と変わりがない。複雑に入り組んでいる通路は、明らかに何者かの侵入を阻む目的で造られた迷路だった。
「さあ、ようやく到着だ」
先頭に立って歩いていたレヴィエンが立ち止まり、前方の階段を指差した。どうやらここが終着点らしい。ここまで相当な距離を歩かされていて、先程の戦闘もあってフィゼルとミリィはさすがに疲弊していた。
「一体どこに出るってんだよ?」
これまで何度問い質しても、レヴィエンは「着けば分るさ」とだけでまともに答えなかった。フィゼルが階段を上がるレヴィエンの背中に悪態をつく。
階段を上がった先はまだ屋内だった。宿屋の一室より一回り広いくらいの広さで、天井がやたら高く、円形の壁に沿って螺旋状の階段がその天井に向かって伸びている。
「ここはもしかして……」
ミリィは自分達がいるこの場所に心当たりがあるようだ。レヴィエンは何も言わず建物の外に出た。それを追って三人も外に出る。
「うわぁ……!」
最初に感嘆の声を上げたのはルーだ。ずっと薄暗い地下道を歩き続けて、久しぶりに見た外界の景色は眼下に広がる一面の青海だった。
「やっぱりここって、グランドール近くの灯台ね」
ミリィが振り返って、先程出てきた建物を仰ぎ見た。真っ白い円柱のような建物で、中から見た時に天井があった位置のすぐ上に大きな照明設備が見える。
四人が立っているのはグランドールの東に突き出した岬の先端だった。西に目を向ければグランドールの街並みがもう目前に迫っている。
「こんなルートがあったのか。じゃあもしかして先生も……?」
「多分そうだと思う。私達が通った道には他の人が通った痕跡が無かったもの」
これで謎が解けたとミリィは思った。
「そういえば、キミ達は別のルートで王都に侵入したみたいだね。まさかこの秘密の地下道以外にも王都に忍び込める道があるとは思わなかったよ」
「それはこっちも同じだわ。ジュリアですら把握していなかった道がグランドールの近くにあったなんて」
「それはそうさ。これは本来なら王族、もしくは政治の中枢を担うごく一部の人間しか知らない事だからね。有事の際の王族の避難路として建設されたものなのさ」
いわば国家の最高機密に匹敵する。どうしてそんなものをレヴィエンが知っているのだろうかとミリィは訝しがった。存在だけでなく、道順まで正確に把握していなければあのような迷路は突破できない。改めてレヴィエンの底知れなさを感じた思いだった。
「何はともあれ、二人共無事に帰ってきてくれて何よりだわ。なんか増えてるけど」
陽が西に傾きかけた頃、グランドールのギルドの二階では、フィゼル達四人とジュリアがテーブルを囲んでいた。ルーとレヴィエンは当然ジュリアとは初対面である。
「フフン。ではキュートなキミに自己紹介代わりの愛の詩を贈ろう」
レヴィエンはいつもの調子でリュートを爪弾き始めた。
「余計な事はいいのよ。このコがルー。で、こっちのお調子者がレヴィエンよ」
ミリィがレヴィエンの機先を制してジュリアに二人を手短に紹介した。
「え……と、まあ変な人ってことは分かったわ。それで、王都では何があったの? こっちはあの手配書見てびっくりしたわよ」
ジュリアが今日届いた手配書の内容を話す。それは王都でフィゼル達が見たものと同じだった。アレンと思われる男が国王暗殺未遂犯として指名手配されている。
「私達にも何が何だか……だからこれからアレンさんを追いかけようと思うの。でもその前にジュリアの考えを聞いておきたくて」
ミリィは自分の知る限りの情報をジュリアに与え、それによって導き出されるジュリアの予想に期待した。この幼い情報屋は必ず核心に近づく結論を紡ぎ出すはずだ。
「うん……まあ、ね。私が何を言っても驚かないでよ?」
ジュリアはしばらく無言で考えに落ちた後、静かに顔を上げた。ある一つの結論に至ったが、それはあまりにも途方もない内容だった。
「多分、これはやっぱり軍部によるクーデターだと思う。この手配書には国王は怪我を負って臥せっているってことだけど、恐らくもう……」
国王の身を守るはずの王国軍が黒幕なら、国王の命はもう無いものと考えた方がいい。
「そんな……っ! いきなりそんなこと言われても……」
驚かないで、と最初に言われてもミリィは驚かずにはいられなかった。クーデターの話は事前に聞いてはいたものの、それでも簡単には信じられないような話だ。
「じゃあ先生が犯人にされた理由は?」
フィゼルも当然驚いたが、そのクーデターにアレンが巻き込まれた理由が分からない。フィゼルにとってクーデターの話よりもアレンの方が重要だった。
「それはまだ何とも……もしかしたらこの写真が何かの手がかりになるかもしれないけど」
アレンがクーデターに巻き込まれた理由はジュリアにも分らなかった。アレンが本当にただの民間人なら、偶然居合わせたから巻き込まれたのだと考えるのが自然だが、先程見つけた二十年前の写真でジュリアもアレンの正体について見当を付けている。だがそれでも、巻き込まれる理由になるのかが疑問だった。
「写真って……?」
ミリィは何故かジュリアが自分に目配せしていることに気が付いた。
「うん、ちょっとこれ見て」
ジュリアはミリィにだけ写真を見せた。
「――っ!?」
ジュリアから写真を手渡されたミリィは驚愕に声を失った。
「なあ、どうしたんだよ? その写真に何が写ってるんだ?」
フィゼルが写真を見たそうに言うと、ジュリアが再びミリィに目配せした。これを見せるか見せないかをミリィの判断に委ねたようだ。
「みんな、この写真見て」
しばらく考えた後、ミリィは写真をテーブルの中央に置いた。フィゼル達三人の眼がその写真に集中する。
「あっ――」
フィゼルとルーが同時に声を上げた。
「これ、先生?」
フィゼルが写真のアレンを指差しながらジュリアに訊いた。
「ええ、これは今から二十年前の写真よ。真ん中の人が私のお母さん」
ジュリアも写真の中央の女性を指差した。
「でも、これが一体どうしたって言うんだ? 先生って確かその頃、ここでスイーパーの仕事をやってたんだろ? 写真があったって不思議じゃないよ」
この写真の持つ意味に、フィゼルはまだ気付いていない。
「ふむ、これは若かりし頃の“四大”だね。ジュリア君の母上が彼らの関係者だとは知らなかったよ」
レヴィエンが写真の男女について説明した。
「“四大”……? そういえばお前、牢屋の中でもそんなこと言ってたよな。“四大”って一体何なんだ?」
再び耳にする単語に、フィゼルはレヴィエンの方に顔を向けた。
「“四大”っていうのは二十年前の騒乱の際、世界を救ったと言われる四人の賢者の事よ」
レヴィエンの代わりにミリィが説明した。その表情はどこか暗く沈んでいるように見える。
「先生が……賢者? それも二十年前に世界を救ったって……」
それ自体かなり衝撃的な事実だったが、フィゼルにはまだまだ釈然としない事が沢山あった。
「仮にそうだとして、なんで賢者の先生が今回の事件の犯人に?」
ここまでの話ではそこに繋がらない。フィゼルが知りたい謎はいまだに解決していなかった。
「それが分からないの。でも、アレンさんは単なる一般人として巻き込まれたんじゃないってことは確実だと思う。だとすると、黒幕はアレンさんの正体を知っている人物。もしかしたら二十年前の騒乱の関係者かもしれない」
ミリィとレヴィエンのおかげで、アレンの正体ははっきりした。もしかしたらミリィから何か有力な情報が得られるかもしれないとジュリアは期待したが、どうやらそれは叶わないようだ。
「ふむ、ところでルー君。キミはこの写真に一体何を発見したんだい?」
不意にレヴィエンが、それまで一切話に入って来なかったルーに話を振った。
「ふぇっ?」
突然話題を振られて驚いたのか、ルーが頓狂な声を上げる。
「あっ、そういえばさっき……」
フィゼルが写真の中のアレンに気付いた時、一緒にルーも何かを発見したように声を上げた。考えてみればルーはアレンの顔を知るはずがないのだから、ルーが発見したのは別のものということになる。
「ああ~、この人ぉ、あの時の兵隊さんだと思ってぇ」
ルーは写真の左奥に写っている青年を指差した。歳の頃はレヴィエンと同じくらいに見えるが、その精悍な顔つきから受ける印象はレヴィエンと正反対と言ってよかった。
「そういえば確かに……」
ルーに言われて、フィゼルも写真の人物を思い出した。王都で自分を叩きのめした、将軍と呼ばれた男だ。
「あの男も賢者だったのか。それも、二十年前に先生と一緒に戦った仲間――」
そこまで言ってから、ふとフィゼルは大きな疑問にぶつかった。かつての仲間が王国軍にいたなら、なぜアレンは逃げたのか。なぜ王国軍はアレンに濡れ衣を着せるような真似をしたのか。それ以前に、そんな世界の英雄とも言える男がいながら、王国軍がクーデターで国王を暗殺するだろうか。
「せっかく謎が解けたと思ったけど、余計に謎が増えたって感じね」
次から次へと溢れてくる謎や疑問に、ジュリアが溜息をついた。
「仮にこの男が敵だとしたらどうだろう。全ての辻褄が合うんじゃないのかい?」
レヴィエンが究極の結論に至った。いや、この男は最初からここまで承知の上だったのだろう。その上で、皆が共通の認識を持つようにここまで話を誘導したのだ。
「馬鹿な事言わないでっ!」
それまでずっと押し黙っていたミリィが突然声を荒らげた。怒鳴られたレヴィエンだけでなく、その場にいた全員が驚いてミリィの方に顔を向けた。
「ミリィ……」
ジュリアだけは何故ミリィが怒鳴り声を上げたのか分かった。その表情が哀しみを帯びる。
「どっ、どうしたの……ミリィ?」
フィゼルやルーは何が何だかさっぱり分からなかった。恐る恐るフィゼルがミリィに声をかける。
「賢者の……“四大”の一人がクーデターを引き起こし、仲間だったアレンさんを陥れたって言うの!? そんなの……そんなの……っ!」
ミリィの声は震えていた。顔は真っ赤に染まり、今にも泣き出しそうな表情だ。
「ミリィ、落ち着きなよ。そりゃ、昔の仲間に先生が嵌められたなんて信じたくないけどさ――」
「フィゼルは黙ってて」
なんとか取りなそうとするフィゼルを、ミリィがぴしゃりと突っぱねた。そして睨みつけるような眼差しをレヴィエンに向ける。
「レヴィエン、あなたが何を知ってるのか知らないけど、“四大”を貶めるのは私が許さない」
ミリィが射抜くような眼でレヴィエンに言う。場の空気がぴーんと張りつめた。
「ミリィ、落ち着いてっ! みんなには何が何だか分かんないわよ!」
何故ミリィがここまで“四大”を擁護するのか、ジュリアには理由が分かっている。だが当然他の三人の眼にはミリィの行動は異常に映るだろう。
「そう……ね」
ジュリアに咎められて、ミリィは頭を冷やすようにしばらく黙り込んだ。そして俯きながら衝撃的な告白をする。
「……お母さんなの」
≪続く≫
ちょっと中途半端な所で引きとなってしまいました……^^;
少しずつ色んな事が分かり始めてきた感じですね。
でもまだまだ色んな謎がてんこ盛りです(笑)
次回は6/16(木)19:00更新予定です。