第28話
本当は昨日更新するはずだったのにできませんでした……
「こんな時間に何をしていたんだ?」
フィゼル達三人の傍まで駆け寄って来た二人の憲兵が、不信感を湛えた眼でじろりと睨む。三人はすぐには答えられず、モゴモゴと口籠ってしまった。
こうならないように気を付けるつもりだったのに、想像以上に人がいないことや、宿に辿り着いた安堵感で完全に油断していたのだ。不意をつかれて、ミリィまで頭の中が真っ白になってしまった。
「どうも怪しいな」
しどろもどろになる三人の様子を見て、憲兵達は不信感を強めた。
「ちょっと兵舎まで――んっ?」
その時憲兵の一人が、怯えたようにミリィにしがみつくルーの腕に嵌められていたブレスレットに眼を留めた。
「その腕環は確か……ああ、君達は“ウンディーネ”の団員か」
ルーの青いブレスレットを見ながら憲兵は言った。ルーは何の事か分からずにキョトンとしている。もちろんフィゼルやミリィにも意味は分からなかったが、ルーのブレスレットを見たミリィは「あっ」と心の中で叫んだ。
「君の方は持っていないのか? 全員持っているものなんだろう?」
さっきまでの不信感は薄らいだが完全に信用したわけではないという感じで、憲兵の一人がミリィに目を向けた。
「あっ、はい。ええと……」
ミリィは慌てて道具袋から青いブレスレットを取り出して、はっきりと見えないようにさりげなく右手で隠しながら左の手首に嵌めて見せた。二つのブレスレットはよく似た色をしている。
「あの……月がとても綺麗だったものですから」
ブレスレットは一つしかない。追及がフィゼルに及ぶ前にミリィはこの場を切り抜けてしまおうとした。空を見上げれば確かに綺麗な月が出ている。しかしそれを見るために外出してしまったというのは少々無理があるだろうと思ったが、他に言い訳が思いつかなかったのだ。
「ふむ、まあ気持ちは分かるがあまり出歩いてくれるなよ。もうしばらくの辛抱だから」
ミリィの言葉を信用したのか、憲兵達はそれ以上何も言わず去って行った。ブレスレットの効果は思った以上に大きかったようだ。
「た……助かった~」
フィゼルが額の汗を腕で拭いながら大きな溜息をつく。背中がびっしょりと濡れるほど冷や汗をかいていた。
「ミリィさんもぉ、そのブレスレット持ってたんですね~!」
ルーが左腕をミリィに突き出すようにして言った。その表情には単なる偶然に対する驚きとは違った、もっと大きな感情が宿っているように見える。
「いや、これは別に……」
ミリィは言いかけて、もう一度ルーのブレスレットを見た。突き出されたルーの左腕に合わせるように自分の左腕を伸ばし、二つのブレスレットを並べてみる。
そっくりな色をしていると思ったから、咄嗟の思いつきで言い訳に利用しただけのものだったが、よく見てみると二つのブレスレットはデザインまでそっくりだった。
「同じブレスレットだ。っていうか、なんでミリィがこれ持ってるの?」
このブレスレットは昨夜、王都の前から馬車で自分達をグランドールまで乗せて帰ってくれた男から受け取った物だ。王都まで乗せて行った客の落し物だということで、男の代わりにギルドに預けたはずである。
「ギルドを出る間際にジュリアから託されたの。王都に行くならついでにこれの持ち主も探してくれって」
ミリィはちょっと呆れたように笑ったが、フィゼルはぽかんと口を開けて固まってしまった。あの状況でさらについでと言わんばかりに仕事を押し付けたのだ。フィゼルはジュリアの子供らしい無邪気な笑顔を思い出し、その裏に見え隠れする得体の知れない何かにぶるっと身震いした。
だが、結果としてそれが三人を救ったことになる。さらに、ルーにとってこのブレスレットは何か特別な意味があるようだった。
「また憲兵に見つかったら厄介だわ。話の続きは宿に入ってからにしましょう」
口を開きかけたルーをミリィが制して、三人は宿屋に入った。部屋が空いているだろうかとか、怪しまれずに泊まれるだろうかと心配したが、意外なほどあっさりと部屋を借りることができた。相部屋も覚悟したが、都合よく二人部屋が二部屋空いていた。
「この宿には泊まってなかったな」
閉まる間際の食堂で簡単に夕食を済ませた後、三人は宿屋の一室に集まった。本当は今すぐにでもベッドに潜り込みたかったが、寝る前に明日からの事を話し合う必要があったのだ。
「ここがさっきの地下水路の入り口からは一番近い宿だから、もしかしたらって思ったけど」
念の為フロントでアレンという名の宿泊客がいないか訊いてみたが、答えはノーだった。だが別に落胆はしなかった。王都の宿泊施設は軽く二桁を超える。明日はそれらをしらみ潰しに探すつもりだった。
「あの~……」
フィゼルとミリィの会話が一旦途切れたところで、ずっと何かを言いたそうにうずうずしていたルーが堪えかねたように口を開いた。視線はずっとミリィの左手首に向けられている。
「ああ、そうだったわね」
ルーにはこのブレスレットに関して何か事情がありそうだ。フィゼルとミリィにしてもこれには関心があった。何しろこれを見せただけで戒厳令下の憲兵が何も言わず引きさがったのだ。もしかしたら今後も役に立つかもしれない。他人の落とし物を利用するのは少々気が引けるが、今はそんな事を気にする余裕もなかった。
「あの憲兵達、これを見て“ウンディーネ”がどうとか言ってたよな。それって何なんだ?」
フィゼルもミリィとルーのブレスレットを交互に見比べながら、改めて二つが同じデザインの物であることを確認した。
「“ウンディーネ”っていうのは、確か有名な劇団の名前よ。“水の都レティア”を本拠地に、毎年世界中を周って公演を開いているらしいわ」
ミリィも実際にその演劇を見たことは無かったが、名前だけは知っていた。結構人気のある劇団のようだ。
「えっ、ということはルーってその劇団の人なの?」
フィゼルは意外そうな顔でルーを見た。確かに純真無垢を絵に描いたようなその笑顔は多くの人間に好かれそうではあるが、ルーが舞台の上に立って大勢の人の前で演技をするなんて想像もできなかった。
「ルーはぁ、そのウンディー……ネ? の人じゃないですよぉ」
ルーは否定し、そのブレスレットを嵌めている左手首ごと抱きかかえるように胸に包んだ。
「これはぁ、お父さんとお母さんのぉ、手掛かりなんですぅ」
しばらく間があって発せられたルーの言葉は、フィゼルとミリィにとって意外なものだった。
「両親の……手掛かり?」
「そういえば、ルーのお父さんとお母さんって……?」
ルーに案内されてシルヴィスの彼女の家まで行った時、家に居たのは彼女の祖父のドルガだけであった。思い返せば家裁道具なども、二人だけで暮らしていることを窺わせた。
「私のおじいちゃんはぁ、本当のおじいちゃんじゃないんですぅ……」
またしばらく間を置いて、ルーが一際ゆっくりと話しだした。その表情は、二人に一緒に連れて行ってほしいと頼んだ時と同じように固い。その様子にフィゼルとミリィの表情も固くなった。
ルーの話によると、ルーは赤ん坊の頃、シルヴィスの山の麓に捨てられていたらしい。それを偶然通りがかったドルガが見つけたのだが、ルーが入れられていた籠の中にはルーの名前を記したメモと、このブレスレットだけが一緒に入っていたという。
「おじいちゃんはぁ、ルーをずっと育ててくれましたぁ。ルーはぁ、おじいちゃんのこと大好きですぅ」
最後の言葉は、これからさらに続く話の前置きのようだった。捨て子だったルーがどうして危険を冒してまで王都に来たかったのか。大体予想のつく話ではあるが――
「この前、これと同じブレスレットをした人達がぁ、王都に来たって聞いてぇ……」
それが“ウンディーネ”と呼ばれる劇団だろう。おそらく王都に公演に来たのをシルヴィス村の誰かが見に行って、その劇団員達がルーと同じブレスレットをしていたのを見たのだ。
「それで王都に来たがったのか」
フィゼルはルーの境遇に同情した。自分とは事情が違えど、その気持ちは痛いほどよく分かったのだ。
「……確かに、そのブレスレットは両親が残してくれた可能性が高いし、それから両親に辿り着けるかもしれないわね」
一方、ミリィの言葉はどこか冷めていた。フィゼルはルーの話に感情移入し過ぎていた分、余計に温度差が感じられて驚いた。
「それで、両親を見つけてどうするの?」
今度ははっきりとそれと分かるぐらいミリィの言葉は冷たかった。フィゼルは意外を通り越して、全く理解できない異世界の言葉を聞いた思いでミリィを見た。
「こんな事言いたくないけど……あなたの両親はあなたを捨てたのよ。今更会ったって、お互いに辛い思いするだけかもしれないわ」
ルーはずっと俯いて黙っている。眼には涙が溜まり、今にも零れ落ちそうだった。ミリィの言葉を否定することができない。それはルー自身もよく分かっていることだった。だからこそ、その言葉の一つ一つがルーの心に突き刺さる。
「あなたを拾ってここまで育ててくれた優しいおじいさんや、シルヴィス村の人達とこれからも暮らしていくことが、あなたにとって幸せなんじゃないかしら」
最後は諭すような口調で言った。何もルーを傷つけたいわけじゃない。それがルー自身の為だとミリィは思った。
「人の幸せを……人の幸せを勝手に決めるなよっ!」
我慢の限界だった。フィゼルが突然立ち上がり、今にもミリィの胸倉を掴みそうな勢いで叫んだ。
「フィっ……フィゼルさぁん!」
驚いたルーが慌てて後ろからしがみ付くようにしてフィゼルを抑えた。ミリィもフィゼルの激昂に眼を丸くしている。
「ルーだって……別におじいさんや村の暮らしに不満があるわけじゃないさっ! でも……でもっ、自分の本当の親が近くにいるかもしれないって思ったら……そんなの、居ても立ってもいられなくなるんだよっ!」
それはルーのことと言うより、自分のことを表した言葉だった。大怪我を負って、記憶を失くした状態で過ごしたコニス村での一年。アレンとシェラは自分の事を本当の子供のように世話してくれたし、村の人達も素性の知れない自分に暖かく接してくれた。アレンもシェラも、村の人達も大好きだった。そんなコニス村でずっと暮らしたいと何度思ったか知れない。村を出た今でも、それが本当に正しい選択だったのかと葛藤に胸を絞めつけられることがある。
「普通の人が持ってるような幸せを……普通に持ってない人間の気持ちが分かるのかよっ!」
まるで自分を否定されている気持ちだった。だから思わずフィゼルは感情的にぶちまけた。ルーは必死にフィゼルを抑えながら涙を零している。
「そう……ね。分かったわ、明日は別行動にしましょう。私はアレンさんを探す」
ミリィはフィゼルの言葉に打ちのめされたかのように力無く言うと、嵌めていたウンディーネのブレスレットをベッドに置いた。そして静かにドアを開けると、口の中で何かを呟いて出て行ってしまった。ルーの眼にはミリィの唇が「ごめんね」と動いたように見えた。
「ミリィさん……」
その姿が凄く寂しげで、ルーは止めることもすぐに後を追いかけることもできなかった。
≪続く≫
ルーが王都を目指した理由が判明しましたね。
作者的には、天然ボケキャラが時折見せるシリアスな涙がツボだったりします^^;