第26話
シルヴィスから王都まで続く隠し林道を、三人は黙々と歩いていた。体力的に劣るルーの脚を考えて、頻繁に休憩を入れながらの行程になっている。
ルーは気丈に大丈夫だと言うが、長い間放置されていた林道は獣道と変わりなかった。足手纏いになりたくないと必死でついて来るルーを気遣うまでもなく、健脚のフィゼルとミリィですら休憩を挟まなければ歩き切ることができそうにない道だ。
「もう日が暮れそうだな」
高い木々に囲まれているので、日が暮れかかると一気に暗くなる。そうなる前にこの林道を抜けてしまいたかった。
「もう随分歩いたから、そろそろ王都に着いてもいい頃だと思うんだけど……」
シルヴィスの裏山から延々と続く緩やかな下り坂が先程から平坦になったことをミリィは感じていた。となれば出口も近いはずである。
「あっ!」
前方を指さしながら最初に声を上げたのはルーだった。それから少ししてフィゼルとミリィにも分かるほど視界が開け、ついに三人は長い林道を抜けた。
「ふぅ……ようやく抜けたわね」
辺りはもう夕焼けに染まっている。完全に陽が落ちる前に王都にたどり着けたことに、ミリィは安堵の溜め息を漏らした。
「あれ? でもここ……壁しかないよ」
フィゼルが指さす前方には、何者の侵入も許さじと言わんばかりの城壁が高くそびえ立っていた。しかも左右は切り立った岸壁になっており、城壁はその岸壁に挟み込まれるように建てられている。完全な袋小路になっていた。
「どうなってんだよ、これ!? 昔はここから材木を王都に入れてたんじゃなかったのか?」
そのための林道を通って来たのだ。フィゼルは当然ここに大きな入口があるものと思っていた。
「シルヴィスから材木を運んでいたのはもうずっと前の話だったわよね」
その当時はここに門の様なものでもあったのかもしれない。しかし今ではもうシルヴィスは林業をやめ、この場所から材木を搬入することもなくなっている。
「だからぁ、ここに壁が作られたんでしょうか~……」
そう考えれば確かに納得だ。林道からの搬入がなくなればわざわざここに通用口など設置しておく理由はない。いや、ここに城壁が建てられたからこそ林道が使用されなくなったのかもしれない。
「そりゃないよ~……せっかく苦労してここまで来たのに……」
フィゼルはその場にしゃがみ込んで頭を抱えた。今までの苦労と、これから日の沈む林道を引き返さねばならないという苦労を考えて途方に暮れる思いだった。
「とにかく、もう少し調べてみましょう。本当にアレンさんがこのルートを使ったのだとしたら、なにか仕掛けがあるのかも」
縋るような思いでミリィが言った。アレンが王都へ向かったという確信は今も変わっていない。しかし言葉とは裏腹に、アレンが自分達の通ってきた道を使ったとは思えなかった。最近誰かが通ったと思えるような痕跡が見当たらなかったのだ。
それでもすぐに諦めて帰ろうとしなかったのは、ジュリアの情報に対する信頼であった。もしかしたらジュリアはここに城壁が築かれているということまで承知の上で、それでも何かしら引っかかるものを感じたのかもしれない。考えすぎかもしれないということは重々承知の上で、ミリィは一縷の望みをその考えに託した。
三人は手分けして城壁の端から端まで調べてみた。手で触ったり叩いたりしながら、おかしな所がないか探してみたが、特に何も見つけられずに時間だけが徒に過ぎて行く。
そしていよいよ陽が完全に沈んでしまうという時、ルーが城壁を挟んでいる岸壁の一方に視線を向けた。近くまで寄ってじっと見つめたり両手で表面を撫でたりしながら、ルーはその場を執拗に調べ続けた。
「どうしたの、ルー?」
その様子を見止めたフィゼルが近くに寄って声をかけた。
「う~……この壁がぁ、なんだか気になります~」
どこからどう見ても普通の岸壁だ。それでもルーはどうしてもこの壁に何かを感じるようで、首を傾げながらじっと見つめていた。
「ちょっと見せて」
フィゼルがルーと入れ替わり、ルーがやっていたのと同じように岸壁に手を当てて探り出した。
(何だろう……確かに変な感じがする)
ほんの僅かな違和感が指先を伝ってフィゼルの第六感を刺激する。ここに何かある――理屈でなく勘がそう教えていた。
「何か分かりますかぁ?」
しばらくしてルーがフィゼルの顔を横から覗き込むように訊いた。
「ちょっと黙ってて」
それは無意識の言葉だった。フィゼル自身に全く自覚はなかったが、その言葉にはルーが思わず息を呑むほどの冷たい響きがあった。
フィゼルは意識を指先に集中させていた。いや、無意識のうちに指先の感触と目の前の岸壁の映像以外がフィゼルの頭から追い出されてしまっていたのだ。それ自体が意思を持った生き物であるかのように、自然と両の掌が目に見えない何かを追い詰めるように岸壁を這っていく。
(フィゼル……?)
二人の異様な気配に気づいたミリィが少し離れた所からフィゼルを見ていた。ルーの少し怯えたような表情も気になったが、それよりもやはりフィゼルの無機質な表情に、ミリィは厭な胸騒ぎを覚えた。
今までミリィが見て来たフィゼルではない。まだ短い付き合いではあるが、こんな感情の無い表情のフィゼルは想像だにできなかった。
(あんなフィゼル初めて見た……あれはまるで……)
そこでミリィは頭を振ってそれまでの考えを打ち消した。一瞬――そう、ほんの一瞬だけミリィの瞳に映るフィゼルとある人物が重なって見えた。その記憶をかき消すように、ミリィはもう一度強く頭を振った。
「あっ」
フィゼルの口から小さな声が漏れると同時に、カチャリと機械的な音が鳴った。次にゴゴゴゴという地鳴りのような音をたてて目の前の岸壁の一部が動き出し、人が通れるくらいの穴がぽっかりと空き、その奥には地下へと下りる階段が見えた。岸壁に巧妙に仕組まれた隠し扉が開いたのだ。
「やっ……やったあ!」
驚きと喜びが交じり合った歓声を上げながら、フィゼルが隣のルーに顔を向けた。ルーは何か得体の知れない物を見るような、どこか距離を置いたような顔をしている。
「どうしたの?」
ルーの不審そうな眼差しが自分に向けられていることに気付いたフィゼルが少し不安そうに訊いた。するとルーは首を振ってまたいつもの無邪気な笑顔を見せた。
「ううん、何でもないです~」
ルーもフィゼルの雰囲気が元に戻ったことに安堵した。そしてさっきまでの事は忘れてしまったかのように屈託のない笑顔をフィゼルに向ける。
「凄いじゃないフィゼル。こんな特技があったなんて知らなかったわ」
この一部始終を数歩下がった位置から見ていたミリィが歩み寄ってきた。言葉の柔らかな響きに反して、その表情は少し硬い。
浅い付き合いながらも、フィゼルが意外に器用であることは感じていた。だが、先ほどのフィゼルが醸し出していた雰囲気はとても素人のそれではなかったし、よほど特殊な訓練でも受けていなければ、これだけ巧妙に隠された隠し扉を見つけ出すことなどできないだろう。
「いや、俺にもよく分かんないんだけど……手が勝手に動いたんだ」
少し照れたように頭を掻きながらフィゼルが言う。先程の自分の様子に自覚がないようだと判断して、ミリィはそれ以上何も言わなかった。記憶を失ったフィゼルの本当の姿が、どこにでもいる普通の少年ではなさそうだとミリィは思ったが、敢えて不安にさせるようなことは言うべきではないと分別したのだ。
とにもかくにも、これで行き詰まりの状況は脱したことになる。しかし何故こんな所にこんな隠し扉が仕掛けられていたのか。それを考えると安易にこの先へ進んでいいものか、フィゼルとミリィは迷った。
「でもぉ、ここ以外に道はなさそうですよぉ」
慎重に中を窺う二人をよそに、ルーが大胆にも一人で先に階段を降りようとする。つくづく度胸が据わっているのか、ただ何も考えていないだけなのか分からないが、その積極的な行動に慌てて二人が後に続いた。
≪続く≫
ここまでほとんど活躍のなかったフィゼルが少しだけ頑張りました。
果たしてフィゼルの正体とは……?