第19話
いよいよアレンの正体が明らかに……?
「フィゼル……フィゼルってば!」
遠くの方でミリィの呼ぶ声が聞こえる。それがどんどん近付いてきて、フィゼルは現実の世界に戻ってきた。
「ミリィ……?」
身体がひどく重い。フィゼルは仰向けに寝転んだまま顔だけ横に向けた。確かモーリスの時もこんな感じだったなと思いながら、しかし目に映るミリィの顔はあの時よりも心配しているように見えた。
「大丈夫? ひどくうなされてたみたいだけど……」
「あぁ、また夢を見てたみたいだ……」
まだぼんやりとした意識の中、フィゼルはさっきまで見ていたであろう夢の内容を思い出そうとした。前回は肝心なところが思い出せなかったのに、今回はかなり鮮明に記憶に残っている。自分を刺し貫く剣の感触まで――
「……っ!」
そこまで思い出したところでフィゼルは跳ねるように上体を起こした。思わず左胸に手を当てて自分の身体が無事であることを確かめる。自然と呼吸が荒くなった。
「ちょ……っ、本当に大丈夫なの?」
突然のフィゼルの動きに驚いて、ミリィが半歩退く。すぐにまた前に出てフィゼルの身体を支えると、尋常ではない汗の量に気付いて再び驚いた。ベッドに視線を落とすとシーツがびっしょりと濡れている。
「すごい汗の量よ。もしかして熱でもあるんじゃない?」
ミリィが手を額に当ててみるが、特に熱はなさそうだ。
「大丈夫……ちょっとシャワー浴びてくる」
汗で濡れた服が体に纏わりついてより一層重くなった身体を引きずるように、フィゼルは部屋に備え付けてあるシャワー室に向かった。
(傷……無いよな)
頭から熱い湯を浴びながら、フィゼルはもう一度冷静にさっきの夢を思い出してみた。どうしても最後のシーンで身体が強張るのだが、自分の胸には夢で見たような刺し傷など無い。そもそも心臓を貫かれたのなら、今こうして生きているわけがないのだ。そんなことを考えていると、汗と一緒に頭のモヤモヤも流れ落ちていくような気がした。
(あれはきっと何の意味もない、本当にただの夢だったんだ)
シャワー室から出るころには身も心もすっきりしていた。
「きゃっ! 服くらい着なさいよ!」
すっきりついでに、フィゼルはうっかり上半身裸のまま出てきてしまった。ミリィが小さく悲鳴を上げる。あっ、と思った時にはミリィの投げた枕が顔にクリーンヒットしていた。
(やっぱりミリィも女の子なんだなぁ)
慌てて部屋を出ていくミリィの姿に、またひとつ女の子らしい一面を発見したと思いながら、フィゼルが服を着て廊下に出る。ミリィドアを出てすぐの所でこちらに背を向けて立っていた。まだ怒っているのかと思ってフィゼルが気まずそうに俯く。
「アレンさんはどうしたの?」
謝るべきだろうかと考えていたフィゼルに、意外な質問が投げかけられた。
「えっ、先生?」
すぐにはその意味が分からず、フィゼルがきょとんとした顔で訊き返す。
「部屋にいなかったでしょ?」
そういえば、とフィゼルは思った。フィゼルも起こさず、ミリィにも声をかけないで一人で出かけるというのは今までにないことだった。
「俺、何も聞いてないよ」
ミリィの質問の意味を理解したフィゼルが少し心配そうに言った。何故か居ても立ってもいられない気持ちになる。
「ギルドに行ったのかもしれない」
この時点でフィゼルの思い付くのはそこしかなかった。アレンは今回の戒厳令をとても気にしていたし、ギルドには馴染みがあるようだから一人で行ったとしても不思議ではないと思った。
「私達も行ってみましょう」
ギルドに行ったのかもしれないというのはミリィも同感だった。戒厳令下の現状ではほかに行く所がないはずである。そうだとしたら待っていればいずれ戻ってくるだろう。しかしじっと待っている気分にはなれなかった。それはフィゼルも同様のようだ。
「フィゼル様とミリィ様ですね。アレン様よりこちらをお預かりしております」
キーを預けに行ったフロントで、二人は受付嬢から手紙を渡された。差出人の欄に小さくアレンと書かれた便箋に、アレンはもうこの街にはいないということを直感的に確信した。
フィゼルへ――
急用ができましたのでしばらく留守にします。戒厳令が解除されるまではどこへも行くことはできないと思いますが、私が帰るまで大人しく待っていて下さい。ギルドの依頼をこなしていくのも今の貴方にとってはいい経験になるでしょう。ジュリアさんに相談すれば、貴方に合わせた仕事を回してくれるものと思います。こういう時だからこそ、助けを必要としている人達が沢山いるはずです。そういう人達の力になることは貴方自身を助けることにもなるかもしれません。どうか焦ることなく私の帰りを待っていて下さい。
そしてミリィさんへ――
誠に申し訳ないのですが、フィゼルの事をお願いできないでしょうか。ギルドの仕事にしろ、グランドールでの生活にしろ、まだまだ一人では心許無いところがあります。私の代わりにフィゼルの助けになってやってほしいのです。勝手なお願いとは思いますが、どうかよろしくお願いいたします。代わりと言ってはなんですが、次に会った時には貴女の探している人物について私の知っていることを話します。
アレン・ファルシス
顔を寄せ合って一通の手紙を読んでいた二人は、それぞれ違う反応を示した。フィゼルは薄々覚悟していただけに、それほど大きな狼狽はなかった。しかしミリィは――
「やっぱり……アレンさんが……」
手紙を持っていた手を力無く下ろす。
「ミリィ……これって一体……?」
フィゼルも一拍遅れて最後の一文に衝撃を受けた。ミリィの探している人物というのは『剣聖』と呼ばれた賢者であった。初めてミリィと出会った時にその名を聞いたが、もちろんフィゼルに心当たりは無かったし、アレンも同様だったはずだ。それなのにこの手紙では違うことを書いている。あの時アレンは嘘をついていたということなのか。
「……行かなきゃ」
しばらく呆然としていたミリィの瞳に俄かに光が戻った。力無く垂れ下げていた腕に力が入る。「えっ?」とフィゼルが聞き返す間もなく、ミリィはその場でチェックアウトの手続きを行った。
「ちょ、ちょっとミリィ? 何してるんだよ?」
「決まってるでしょ。アレンさんを追いかけるの」
手続きを終えたミリィはフィゼルの方を見向きもせず、部屋に置いておいた荷物を取りに歩き出した。その後ろを慌ててフィゼルが追いかける。
「追いかけるって、どこに行ったのかも分らないんだぞ?」
手紙にはしばらく留守にするとしか書かれていなかった。行先は書かれていない。
「行き先なら分かってるわ」
部屋まで戻ってきたミリィが言葉だけ残してドアを閉めた。勢いよく閉まったドアに阻まれたような形になって、フィゼルは後に続けず廊下でミリィが出てくるのを待った。
「……あなたはどうする?」
閉まった時の荒々しさとは打って変わって、今度はガチャリと静かに開かれたドアからミリィが出てきた。元々大荷物は携帯していなかったので見た目にはさほど変わってはいない。
「どうするって?」
訊き返すまでもなかったが、あえてフィゼルは訊き返した。それほどフィゼルの思考は混乱していた。
「私はこれから王都へ向かうわ。恐らくアレンさんもそこに行ったはず」
淡々とした口調とは裏腹に、ミリィの心は焦燥感に囚われている。アレンを追って王都へ向かうことが冷静な判断によるものではないことを本人も分かっていた。それでも今動かなければ二度とアレンには会えないような気がした。それほど王都を取り巻く状況が危険なものになっているという予感をミリィは感じていたし、アレンの正体がミリィの想像通りなら、アレンは間違いなくその危険に立ち向かおうとしている。
「王都へって……戒厳令ってやつで王都には入れないんだろ? それに、先生はここで待ってろって……」
フィゼルもアレンの事が心配じゃないわけではないが、それでもアレンの言いつけをきちんと守った方がいいという気持ちがある。それに手紙に書いてあったように、困っている人達を助けなくてはという使命感もあった。
「そう、それなら私ひとりで行くわ。一緒にはいられないけど、手紙にあったようにジュリアに相談すればきっと悪いようにはしないはずだから」
それだけ言うとミリィはもう歩きだしていた。「どうする?」と訊いたものの、フィゼルは一緒に行かない方がいいと思っていた。先程フィゼルが言ったように戒厳令下の王都へは普通には入れない。“普通ではない入り方”をするとなると当然危険が付きまとう。自分の都合にこれ以上フィゼルを巻き込みたくなかった。
「待って! 俺も行く」
一階に降りる階段に差し掛かったところでフィゼルはミリィを呼び止めた。階段を一段降りたところで立ち止まり、ミリィが驚いた表情でフィゼルを見る。
「……危険かもしれないわよ。それでもいい?」
ついて来るなとは言わなかった。一緒に行かない方がいいと思っているはずなのに、フィゼルがついて来ると言った時、なぜか安堵感がよぎった。ひとりの方が身軽に動けることも、フィゼルが一緒にいても自分の役には立たないであろうことも分かっていながら、ミリィはフィゼルがついて来てくれることを心のどこかで期待していたのかもしれない。
「だったら尚更一人では行かせられない」
フィゼルの眼はそれまでの狼狽した弱々しいものから、力強い光を宿す男の眼になっていた。自分にどれだけの事ができるのかも分らないが、目の前の少女が危険に身を晒そうとしているのを黙って見ていることなんてできなかった。
二人はフロントでフィゼルとアレンの泊まっていた部屋のチェックアウトも済ませると、まずはギルドに向かった。ジュリアならアレンの失踪について何か知っているかもしれないし、王都について新しい情報が入っているかもしれなかった。
「それに、王都へ入るには今のところジュリア情報だけが頼りなの」
アレンを追いかけて王都へ向かうと言ったものの、戒厳令下の王都への侵入方法などミリィには知る由もなかった。しかしジュリアなら何か役に立つ情報を知っているかもしれない。
二人はギシギシと軋む看板の下をくぐってギルドの戸を開けた。店内には人はおらず、昨日と同じように正面のカウンターにジュリアが座っていた。
≪続く≫