ジョブチェンジャー私
人生は旅である、どっかの誰かさんが確かにそう言った。私は、ただそれを実直に信じて生きてきた。しかし人生というのは、いささか退屈なものである。かわりばえのない毎日に吐き気をもよおし、そのくせ生活に一貫性を求めたがるのだからたちが悪い。
私の不安をよそに、ゆっくりとバスが動き出す。4月だというのに、気候は真冬のそれと何ら変わりはない。仕事を辞めるということを一種の精神的なカタストロフィと受け取っていた当時の私にとって、仕事を辞めるという行為は然程難しいものではなく、むしろ恍惚そのものだった。阿漕な搾取からの脱却を羨望の眼差しで見つめていた同僚達の無垢なまでの眼差しというものは心地の良いものであった。しかし、現実というのはそう単純なものではない。転職を理由に辞表を出したはいいものの、自分が今何をすべきなのかが皆目見当がつかないのだ。結果、自堕落な生活を続けていくうちに労働という言葉は、私にとっての禁忌事項となりつつあった。そもそも働くとは何だ、労働とは何の為にあるべきか、他人は私に何を施してくれるか、私にとって他人の存在とは有益か否か、と生産性のない自問自答を繰り返すうちにある答えに辿り着いた。しかしこれは自らの愚かさを露呈する事にもなり兼ねないため、ここでの言及は避けようと思う。しかし、これだけは言っておこう。「人生は旅である」と。
思い立った私を制止出来るものがあるとすれば、それは昔旭川の動物園で見たシロクマ、もしくは実家でやすやすと暮らしている猫のミーくらいのものであろう。私は、大きなボストンバッグと様々な国のステッカーの貼られた偽りのジェラルミンケースを用意する。旅の始まりというのは、いつも突然なのだ。偽りのジェラルミンケースにスーツ一式を乱暴に放り、ボストンバッグにありったけの荷物を詰めた。歯ブラシ、ティーカップ、フルーツジャム、よく分からない缶詰、ガムテープその他諸々。もうここに戻ることはないだろうという、よく分からない決意のもと私は四畳半の生活を捨てたのだった。
しかし旅というものは、人生と同様そう簡単なものではない。私は揺れるバスの中で吐き気を催していた。私は兎角乗り物に弱いもだ。それでよく人生は旅だなんて臭いセリフが吐けたもんである。あぁ、このまま目の前の座席に座っている斜に構えた貴婦人に私の吐瀉物をぶちまけてしまえたらどんなに楽だろう。その場合罪には問われるのか否か、貴婦人はどんな顔をするだろうだとかなんとか色んな思考が私の頭ん中で火花を散らしていた。人生とは旅である。
私はバスを降ろされてしまった。しかしここはその理由を追求すべき場所ではない。私は『しかるべき対応を取らされた』のだ。そうでもしなけりゃ私の気が触れてしまう。そう、私にだってプライドくらいあるのですから。
それにしてもバスの野郎、へんちくりんな場所で降ろしやがってどういう了見だアホんだら。辺り一面、私の背丈程の植物が鬱蒼と生い茂る。よくテレビで目にする原生林のようである。日本という国に産まれた以上おおよそお目にかかることはないであろう見慣れない景観が、私の心の芯をへし折るのは然程難しいことではなかった。妙な胸騒ぎと友に、冷や汗と脂汗そのどちらとも取れないような不明確な水分が額からツーっと頬を伝っていくのを感じた。木々に遮られた狭い空を飛び回る鳥たちの声が、焦燥感に一層拍車をかける。
ふと思い立ったように、ボストンバッグのジッパーから、多機能型携帯電話機いわゆるスマートフォンを取り出した私は、自身の現在地を確認しようと数ある魅力的なアプリケーションの中から何の面白みもない地味な地図を開いた。
「申し訳ございません。お客様の位置情報を入手する事ができませんでした」
あーなるほどね、そういう事か。
押し寄せる混乱の波に今にも飲まれようとしていた私。一刻も早く事態の収拾を図るためにも、分かってもいないのに分かっている振りをする他なかったのだ。そうでもしなければそこらへんで首を吊らなきゃあならなくなってしまう。ここからでは電話も繋がらないし、この場所を離れよう。開けた場所に出れるかもしれない。重い荷物を引きずるようにして西を目指したが行けども行けども同じ風景が続くばかり。非情な怠惰の波は私をひとくちで飲み込んでしまった。見目麗しく用意周到な私はボストンバッグから一本のロープを取り出し、適当な木の枝にくくりつける作業に追われていた。さて、死のうと首に輪っかを作ったその矢先、私の視界に緑色の人工物が現れた。それは紛れもなく公衆電話ボックス。都内では見ることも少なくなってきたが、実家のある九州には腐るほどある。もはや見間違えるはずもない。私はロープと踏み台用の椅子をバックにしまい公衆電話ボックスの方へと吸い寄せられるように歩み寄る。やはり公衆電話マニアを自負する私の目に狂いはなかった。これは、どこをどう捉えても公衆電話ボックスに違いはない。私は喜々と電話ボックスの扉に手をかけようとした、その刹那まばゆい閃光が私を包む。えもいわれえぬ感覚が私の思考を奪い、やがて視界をも奪って行き、終いには聴覚や嗅覚さえも奪って行った。ちょうど私の感覚がほとんど遮断されたところで、眼底に光を当てられたかのように脳内のあちらこちらから様々な映像が流れ込んでくるのだ。記憶、情報、思念、宗教観。私の人生の一部始終が一種のデータとなり頭の中をぐるぐると回遊し、分裂と交配を繰り返すかのように増えては消え、消えては増えを延々と繰り返す。恐らくこれが俗に言う走馬灯なのだろうかとも考えたのだが、秒刻みで磨耗していくような感覚の中では思考すらも億劫に感じ、私はついに考えることをやめたのであった。
そして突然目を覚ます。眠っていたという認識さえなかったが私は目を覚ました。
辺りの景観を見渡した。
なんてことはない。
見覚えのある交差点。いつしか慣れてしまった排気ガスの芳しい香り。聞き覚えのある歩行者信号のメロディ。
ーーーー東京。
そうか私は夢を見ていたのだ、私はまだ旅にすら出ていないのだ。
そうに違いはないと信じこもうとしたが両手に持った荷物は妙に重たく、一時の安寧すらもたらそうとはしてくれなかった。
それにしたって、ここはどこだ
ーーーーーー東京のようではあるが、どこか引っかかる。あまりにも閑散としすぎている。あんなに煩わしいとさえ思えていた人の波も、声も、なにひとつない。錆びだらけの信号機がキィキィと不快な音と共に揺れており、広い道路のあちらこちらに錆びだらけの自動車が積み重ねられた異様な風景が広がっている。
この時点で考えるのすら面倒だったが、この現状をどう打破するかについて思いを巡らせた結果、コンビニへ行って今週のジャンプでも読もうという結論に落ち着いた。