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Suite ~君の名の、組曲~  作者: AZURE
Capriccio
8/23

♭Eps.6










 思い出したくもない記憶。

 もしそんな記憶が"現実"にあったとしたら、それはもう破滅に近いのかもしれない。

 「…耀」

 暗闇から現れた人影により、軽く握った右手を大きな両手で包まれる。

 「またやってんのか」

 その人はため息をつき、その手で一本一本丁寧に俺の指を開いていく。最後に残った手のひらには、白くて小さな錠剤が3粒ほど据わっていた。

 「…もうこれに頼るなって言ってるだろ。しかも前より量増えてるじゃないか」

 「…」

 「眠れないなら素直に俺に言えよ。…良かった、ここに来て。今日のおまえ見て心配だったから」

 そう言って彼は俺の手からそいつをむしり取り、近くにあった瓶に戻した。ピンピンピン…と個体同士がぶつかり合う音が響く。

 「…真一」

 「何だ、まだ信じられないって顔してるな。俺はおまえの考えてることなんて分かってるんだよ」

 不機嫌そうに言い放ったその人は、俺の手を掴んでベッドに押し倒した。ベッドサイドに置かれた小さなライトは、のそのそと上に乗ってきた男の顔をやんわりと映し出す。

 短い黒髪、たれ目気味の人懐こい顔。やや面長だけれど、32歳にしてはかなり幼い顔立ちだ。

 「…俺がついているだろ。…何か、あったんだろ?」

 「……」

 「分かった。おまえのことだから、今は言いたくないんだろ。顔にかいてある」

 真一は苦笑して俺の横に寝そべった。そして俺の頭の下に腕を滑り込ませ、片方の手でライトを消した。

 部屋が真っ暗になった。しばらく無言の時間が続いた。

 彼の体温は、眠気を誘うほど心地よかった。

 「…耀?」

 半分眠りかけた頃、隣の真一が声をかけてきた。

 「……ん」

 「あ、寝てたんか。ごめん」

 「いいよ。…起こされたし」

 「だからごめんって」

 何だかバカらしくなって、笑いが込み上げてきた。真一もつられて笑いだす。

 「…ほんと馬鹿だな、俺たちって」

 「ああ」

 ひとしきり笑いあったあと、他愛ない話をして眠りについた。相手の体温に包まれて、幸せな気分になった。

 ただひとつ、あの事がなければ良かったのに。


 物音に気がついて、俺は目をさました。

 もうすっかりあたりは明るくなっていて、朝になっていた。知らない間にしっかり寝ていたようだ。

 深い眠りについたあとの朝は、頭も体もスッキリしている。ぼうっとすることもなく、さっさとベッドから降りて着替える。

 リビングに赴くと、その先のシステムキッチンで真一が料理をしていた。後ろから近づいてきた俺に気づくと、振り返って微笑んできた。

 「耀、おはよ」

 「おはよ」

 「…よく眠れたか?」

 「…うん」

 「だろうなぁ~。おまえ一回も起きなかったもんな。やっぱりおまえは俺がいないとだめだからなぁ~…うんぬんかんぬん」

 嬉しそうに語りだす真一は無視して、横でグラスに水を注いで一気に飲み干した。喉から胃に、冷たい感触が滴り落ちる。

 グラスをテーブルに置いて、上機嫌な「父親」の背中に抱きつく。この父親は貫禄が無さすぎて困る。

 「…うぉっ!? 何だ耀、珍しいじゃんか。甘えてくるなんて。なんだ、でこチューしてほしいのか?」

 「バカ、疲れただけだよ。あんたのいびきに付き合わされて」

 「え? まじ? ごめん…」

 「嘘だよ」

 「何だよ」

 「馬鹿だよ」

 とりあえず真一から離れ、彼の横に立って手伝った。真一は料理上手で手伝うほどではないけれど、隣にいてくれるだけで安心する。

 広いテーブルに料理を並べる。大切な人とこうして同じ食卓を囲めるのは、幸せなことだ。

 「いただきまーす」

 「あ、俺も食う。耀、隣座っていい?」

 俺が答える前に、真一は飯椀を手にしながらドカッと音を立てて椅子に座った。対面の席もあるというのに、このおっさんはわざわざ隣同士で食べたがる。

 「だってこの方が耀とベタベタできるじゃーん」

 「はいはい、いいから食えって」

 「萌」

 朝からフルコースを平らげると、お腹が一杯になった。美味しかったと伝えると、真一は犬みたいにガバッと抱きつき、頬をすりよせてきた。

 「…さすがは俺の息子だなっ」

 「オーバーオーバー」

 「耀がうちに来てくれてよかったよ。あの時はどうなるかと……」

 一瞬、暗い影が頭の中を過る。一生思い出したくない記憶だ。

 しかしその記憶も、奥底から表面に浮かんでくる前に、真一のキス攻撃で消え失せた。

 額に、目尻に、頬に、ひっきりなしに口づけてくる。

 「…やーめーろって! …んぅっ…」

 今日はよほど機嫌がいいのか、それともバカになっているのか、その流れで口を塞がれた。真一の肌の匂いがするだけで、心臓が過剰に反応してしまう。

 「……いい加減にしろっ」

 力一杯突き放した。顔が赤くなっているのが自分でも分かる。

 真一はそれを見て、ケラケラと笑った。目尻に浮かび始めたしわが、優しそうな印象を与えていた。

 「可愛いー」

 「うるさい」

 「早く学校行く準備しろよ。今日入学式だろ? もうこんな時間だぜ?」

 「誰のせいだと思ってる」

 「赤くなってるー」

 恥ずかしいので、顔を隠しながらリビングを後にする。時間を確認しながら髪を整え、制服を身につける。

 出発間際、靴を履いていると、真一が慌てて玄関に顔を出してきた。

 「耀」

 「…何?」

 神妙そうな顔をしているので、どうしたのだろうと首を傾げていると、真一は性急に俺を抱き締めてきた。

 「…何だよ急に」

 「いやー、よかったなーって思って。息子の成長に涙する父親の心境よ」

 「あんたいくつだっけ?」

 「…32」

 犯罪だな、と笑い合う。でも、この人がいなかったらここまでなれなかったかもしれない。生きていたかさえも分からない。

 どぶのような世界からさらって救いだしてくれたのは、間違いなく彼なのだ。

 「…耀、もうどこにも行くなよ」

 「ん…」

 「俺が守ってやるから、安心して学校に通いなさい」

 「ん。ありがとう…」

 彼の背中に回した腕に、力を込める。

 「よし、いい子だ」

 真一は俺の額にキスを落とし、にっこり微笑んだ。ひげも薄くてツルツルしているくせに、いざとなったら大人の顔ができる。何か悔しい。

 「…ん。行ってきますっ」

 俺は真一から離れ、外に飛び出した。4月の空はぼんやり白く、生暖かかった。


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