♯Eps.2
――『耀くん!』
『耀くん、宿題教えてほしいところがあるんだけど…』
『耀、学校終わったらサッカーしよーぜー!』
『耀君、次の土曜日、ぼくと図書館行かない?』
…双子の兄は、僕と同じ顔のくせに僕よりもてる。
それもそうだろう、クラスの中心的な存在なのだから。
明るくて、朗らかで。誰とも分け隔てなくつきあえるし、かといって八方美人ではない。ちゃんと自分の考えを持っていて、彼はいつでもどこでも、『耀』という存在なのだ。
勉強もできる。スポーツもできるし何でも器用にこなせる。絵とかを描かせてもうまい。でも、小学生にして料理まで出来てしまうことを知っているのは、僕だけかもしれない。
とにかく、僕の兄は僕の自慢だった。別に僕は競う気はない。だって、そんなことをしても意味がないのだから。
皆に囲まれている片割れはキラキラしていた。それを眺めるだけでよかった。
あの日が来るまでは――。
「あー、今日はお昼で帰れるー」
翌日、僕と高貴は更衣室で着替えていた。学校生活三日目である今日は、午前中に身体測定をやって終わりだ。
「そんなに帰りたいの?」
「というか寝たい」
「高貴って干物?」
「それよりさー、このジャージただの黒だよね」
「名前の刺繍が金色に光りますね」
僕は先に着替え終わり、辺りを見渡した。男が狭い空間にうじゃうじゃいて、ものすごくむさ苦しい。その反面、どこかに兄の姿はないかと期待してしまう。
(今のところ空振りか…)
どれも見知ら顔ばかりだ。やはりいないのかもしれない。
胸がちくりと痛む。毎度のことなので慣れているはずなのに、その痛みは消えないようだ。
「高貴ー、何やってんだよ早くしろよー」
いないと分かったのなら早く出たい。余計に悲しくなる。
高貴はどれだけ着替えに時間がかかっているのか、まだジャージのズボンをはいている。
「ごめんごめん」
僕はいるにもいかねて、ドア付近まで移動した。彼はそう謝りながらロッカーに置いていた眼鏡を持ち上げ、それを掛けながら急ぎ足でこちらにやって来た。
「もー遅い」
僕はわざと怒った顔をしてみせた。黒ぶち眼鏡を掛けた友人は、苦笑した。
彼に背を向けて、扉に手をかけた。そしてそれを横にガラガラと引く。
ふと何気なく視線を上げた。目の前のものを見た瞬間、何が起こったのか理解できなかった。
再会の瞬間は突然訪れた。
(…え?)
自分とまったく同じ顔した人物が、数歩先に立っていた。
僕は目を擦った。ドッペルゲンガーかと思った。向こうも、僕に気づいて目を見開いていた。
頭が真っ白になった。突然扉の前に固まる僕に、友人は不審そうな声を上げる。僕は顎で前方を示した。
「…高貴…あれ、見て」
「え…あ、おい…、もしかして…」
高貴も目の前の人物に気づいた。ということは、僕の幻覚ではない。おそらく、れっきとした現実なのだ。
数メートル先には、長い間消息不明だった、双子の兄がいた。驚いて思考が停止しかけたけれど、次第にじわじわと実感が沸いてくる。
「よ、耀っ…」
この学校を選んでよかった。まさか会えるなんて思っていなかったけれど、こんなに待ち望んでいたことはない。感極まって駆け寄ろうと足が出た。
しかし出来なかった。
彼は、不気味なほど妖気が漂い、近寄るなと言わんばかりこちらをぎろりと睨んできたからだ。
(え…)
異様な雰囲気に、背筋に鳥肌が立った。
以前と、何かが違う。凛々しい顔はほとんど変わっていないはずなのに、赤く染めた髪や、軽く着崩した制服、そして貼りつけたような無表情が、以前の明るい彼と相容れないものがあった。まるで、コンビニの前で屯している不良のような格好だ。
何故睨まれるのか、理解できない。だって、僕としては3年ぶりの感動の再会だ。思わず向こうもきっとそう思っているに違いない…と思い込んでしまったけれど、どうやらそうではないみたいだ。
どうしたらいいのかわからなくなって、僕は友人に促されるまでその場で立ち尽くしていた。もう一度兄を確認すると、眉間にしわを寄せて更衣室へ歩み寄って来るところだった。僕は耐えられなくなって、一言も会話を交わすこともなく、友人とともにその場から逃げ出した。終始、僕と彼の間には不穏な空気が流れていた。
彼に、何があったんだろう。
僕は身体測定の傍ら、ずっとその事ばかり考えていた。
昔の面影はないって言ってもいいくらい、兄は様変わりしていた。
まるで心をどこかに捨ててきたような、人情味のない顔。昔では考えられない。人相も悪いし、全体的に荒んだ印象だった。
せっかく見つけたというのに、あまりにもあっけなくて、あまりにも衝撃的だった。
ともあれ、絶対にすぐには見つからないだろうと思っていた相手が、同じ学校にいる。やっぱり胸は高鳴るし、浮き足立ってしまう。
(早く話がしたいな)
「…聖?」
高貴は、終始無言の僕に心配そうな声をかけた。
「はい」
「大丈夫? さっきから顔がにやけてるけど」
「…ばれた?」
「ばれたも何も…ずっと上の空だし。ほら、握力計持って!」
「はーい」
僕は握力計を全力で握った。50.2㎏とデジタルの表示。
「うーん…聖は見た目へなへなしてそうなのに、握力はちゃんとあるんだよな…」
「おい、なんかいろいろ失礼な。高貴はどうなんたよ」
「うるさいな」
あら。その反応はそういうことなのネ。
むくれる高貴にニマニマしてしまう。対して高貴は僕の頭に拳骨をする。
「いったーー…何すんだよっ」
「いやムカついて? 浮かれてるからちょっとシメとこうって思って」
「酷っ」
「…でもまあ、良かったね。お兄さん見つかって」
涙目で頭を押さえる僕に、高貴は犬を撫でる要領でよしよしした。
「あ…うん、ありがと」
「やっぱりあの人が聖のお兄さんだったんだ。確かに顔はそっくり」
初対面の高貴は、兄がもともと不良みたいな人物だと勘違いしているけれど、昔の彼を知っている僕は違う。昔は優等生だったし、もっと優しくて、感じがよかった。
「…何であんなになっちゃったのかな…」
「え?」
「前はあんなんじゃなかったんだよ。あんな不良な格好はしてなくて、本当に僕と見分けがつかないくらいだったんだ。…三年間で何があったんだろう…」
僕は体育館の片隅で頭を抱えた。高貴は横でうーん、と顎に手を当てて考え込んだ。
「…分からないな」
「でしょ? いくらなんでも変わりすぎだよ…まるであんな……」
うつ向いていたら、ふと痛いくらいの視線を感じ、振り返った。遠くに身長計に寄りかかっている赤髪の兄が、こちらをじっと睨んでいた。
すごく遠くにいるはずなのに、相手の顔がはっきり見えてしまう。心臓の音が加速していくのを感じた。思わず、こちらも見いってしまう。
しかし、見つめあっていたのもほんの一瞬のことで、向こうはすぐに視線を外し、隣にいる小柄な男子に話しかけていた。
(―…何だよもう…)
あからさまに避けられて、切ない。後でいろいろ彼の口から聞き出さないと駄目だろう。家出してから何をしていたのかを。
(それにしても…あの態度ムカつくな…)
今もなお、隣の男子と喋っている。実の弟である僕は盛大に無視するくせに、その人とはいつまでも話している。
もどかしさに、歯が痒くなった。