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♯Eps.14

 その日があってからというものは、多少のすったもんだはありつつも、少しずつ耀と会話が出来るようになってきた。

 相変わらず学校で会った時は知らぬふりをされるけれど、前と違うことは、肝心な時にはちゃんと相手をしてくれることだ。まだまだコミュニケーションが足りないと思うけれど、それでも僕らにとっては大きな進歩だと思う。

 話を聞けば、校長先生は今の耀のヴァイオリンの先生らしく、二年間教えを請うた深い仲なのだという。ほぼ親みたいなものだそうで、校長室に呼ばれたあの日の会話も、彼らにとっては普通だということが理解できた。

 その数日後、僕らは再び校長室に行くことになった。校長先生が直々に定期演奏会の曲を渡してくれるということなので、お互いギクシャクしながらも、二人で校長室に出向いた。

 「おぉ、よく来たね。どうだい、仲良くやってるかい」

 扉だけ豪華な部屋に入ると、スラリとした校長先生はそう言って出迎えた。兄はつんとしていて無言のままで、僕が代わりに返事をしようとするけれど、何と答えればいいのかわからず、結局は二人とも黙り込んだ。

 「おやおや、まだ打ち解けてないというのかい? 駄目だな、それは。さ、ソファに座って」

 僕らは導かれるまま部屋の半分以上を占めているソファに並んで腰掛けた。数日前に来た時は出来なかったけれど、落ち着いて部屋をぐるりと見回すと、四方八方本に囲まれており、ところどころ本棚の隙間に世界各地の調度品や骨董品が飾られていた。レトロな雰囲気が漂うけれど、やはり扉だけが豪華すぎて似合わない。つい数日前は、この部屋でいろいろなことが始まったんだと、妙に懐かしくなった。

 「さぁ、早速なのだがね、」

 向かい側に座った先生は、年季の入った本棚からくすんだ青色の本を取り出し、僕らの前に差し出した。僕らはそれをそれぞれ受け取り、中身を開いた。

 (あ、これ…)

 「ベートーヴェンのヴァイオリンソナタ第9番…」

 「そうだ。『クロイツェル』だ。君たちにはそれをやってもらおう」

 校長先生は笑顔で言うけれど、隣に座る耀の空気が固まったのを感じた。チラリとそちらに目をやれば、耀は楽譜を開いてはいるものの、目は固く瞑られ、顔面は病人のように青ざめていた。

 (…耀?)

 見ているこちらが不安になる。心配だけれど、校長先生が話を始めたので、僕は再び前を向いた。

 「…この曲は技工的にも内容的にも難しく、奥が深い。正直に言って、君たちの年齢だと理解が出来ない範囲に及ぶかもしれない。しかし、それも含めて、この曲は君たちに必要な曲だろう。是非、勉強してみなさい」

 校長先生はそう言って、微笑みながらさっさと僕らを追い出した。廊下に放り出された僕と耀は、あまりの展開の早さしばらく茫然としていた。隣の兄は、青白さはなくなったものの、気が滅入ったように頭を押さえていた。

 「…耀、大丈夫?」

 「…あ? ああ」

 「『クロイツェル』って、昔耀やったことあるよね」

 「…ああ」

 素っ気ない返事で会話が途切れる。

 何が気に入らなかったのだろうか。僕と演奏会に出ることだろうか、それとも渡された曲だろうか。

 どちらにしても少し傷つくけれど、耀の様子は気がかりだ。

 よう、と僕がもう一度口にしようとしたと同時に、彼は吹っ切れたように面を上げた。

 「…ああ、分かったよ」

 「え?」

 「何でもない。取りあえずここから動こう」

 悩める顔は諦めのヴェールをかぶり、苦笑した。苦笑(わら)った顔を見て、心臓がとくん、と鳴った。再会してからは笑顔なんてほとんど見たことないのだけれど、見られるとしても、こうして苦しそうに笑う。まるで何かを無理をしているように。

 もどかしくて、たまらなくなる。

 「耀」

 「…何、あ、おいっ…」

 僕は反射的に耀の手を取り、誰もいない生徒指導室に連れ込んだ。勢い、彼を壁に押し付けるようにして抱きしめた。

 「…なにを、する」

 硬直した片割れは、低い声で唸った。相手の背中に回した腕に、細かい震えを感じた。

 「……」

 「離せよ」

 「…やだ」

 「離せっ」

 「やだ!」

 僕が半ば叫ぶようにして言うと、耀は押し黙った。そして困り果てたように、大きく息を漏らした。

 「…何なんだよ、ったく」

 「何なんだよはこっちのセリフだよ。そうやって訳ありそうな顔してたら、何かあるんじゃないかって思うだろ」

 「…ねぇよ。んなもん」

 「嘘でしょ。じゃあ何でそんな顔するの。いっつも耀は自分のこと言ってくれないよね。…あの時だって――」

 3年前のことを口にしようとすると、片割れは遮るようにヤメロ、と僕を突き放した。離れようとした半身の、細い背中をとらえて羽交い締めにする。

 「耀!」

 「…離せよ…っ」

 「やだ。逃げるなよ。僕は未だに信じられないんだ。耀が…夜の街でそんなことしてたなんて。本当は嘘なんじゃないかって――」

 言いかけたところで、僕は両腕に(いだ)いた片割れの様子がおかしくなったのに気づいた。先程よりもさらに顔が青くなり、血の気がない。心なしか、冷や汗をかいている気がする。

 「…よう…? だいじょう……うっ! げほっげほっ」

 心配して顔を覗きこもうとしたら、鳩尾に肘鉄を食らった。腕のホールドが緩んだその隙に、耀は僕の下をすり抜けた。

 打たれた箇所が引きつって息ができない。真っ直ぐに立っていられなくて、お腹を押さえて屈むと、生理的な涙が滲んだ。

 「耀、何す…」

 「…るさい」

 「……え?」

 ぼやけた視界のまま耀を見上げると、何の恨みがあるのか、明るいブラウンの瞳がこちらをねめつけていた。

 「ああ、本当にやってたよ。嘘でそんなこと言うかよ」

 「…な、んで…っ」

 僕の問いかけに、耀は、くっと唇を噛み締めた。しばし思考を巡らせて、物憂げに言葉を吐き捨てた。

 「劣っていたからだろうね。自らを穢したかったんだ」

 影のある笑みを浮かべ、双子の兄は踵を返して部屋から出ていった。静かな足音はどんどん遠ざかっていく。

 その音は鼓膜を嫌に震わせる。鳩尾の痛みに、立ち上がって追いかけることすら出来なかった。

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