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Suite ~君の名の、組曲~  作者: AZURE
Capriccio
12/23

♭Eps.10


 「あっ、」

 ――一瞬、何が起きたのか分からなかった。

 いや、正確には、分かっていたけれど理解したくなかった。

 自分と同じ形をした人間が、目の前に立っていた。


♭♭♭


 「はー…」

 学校が始まって3日目。今日は身体測定とか健康診断をやるという日で、俺は朝っぱらから委員の仕事に駆り出されていた。

 というのも、昨日のオリエンテーションの全部を零士に丸投げしたせいで、あろうことか保健委員になってしまったのだ。零士曰く、保健委員になって人に奉仕する心を学べば、優しくなれるらしい。零士にしてはいいことを言う。実際のところはよく分からないが。

 「大丈夫ですか、黒木くん…」

 ともに身長計や体重計を保健室から運び出すのは、同じ保健委員の春日井冬夜(かすがいとうや)だ。小柄で、ふわふわ系の男子。フルートを専攻しているらしい。B組のナースはどちらも男だ。

 「大丈夫、寝不足なだけだから」

 ぶっちゃけてしまえば、全然大丈夫ではない。昨日夜中に目覚めてから、言葉通り睡眠らしい睡眠はとっていない。

 「でも顔色良くないですよ…」

 「うん、ちょっと不眠症なんだ。あ、冬夜、足元に虫」

 「へ!?」

 冬夜は慌てて飛び跳ねる。しかし4月の初頭、まだ孵化する虫も冬眠から目覚める虫もはいない。

 「やめてくださいよ〜…」

 「ごめんごめん」

 からかうと反応が楽しい。こんなことに楽しみを見つけてしまうなんて、相当性格が悪い。

 早朝から計具を体育館に運び出すという面倒な仕事を終え、冬夜と共に教室に戻った。教室はすっかり騒がしくなっていて、チャラ男の零士も登校していた。

 「行こーぜ〜、耀」

 SHRの時間が過ぎると、俺たちは着替えるために更衣室に移動する。行動を共にするのは、カチューシャとオールバックの零士と、冬夜と、あと隣の席の眼鏡くん。いつの間にか大所帯になっていた。

 更衣室は、古めかしい一般棟のハズレにある。特に男子の更衣室は女子のものよりも遠く、不便な場所にある。女子は需要の問題からか、教室のすぐ近くにあるので、多分男子の誰もが羨んでいることだろう。

 おしゃべりな零士以外はほぼ無言のまま、階段近くの狭い更衣室まで目と鼻の先というところまで至った。朝なのによくそんなに元気でいられる、とほとほと感心していたところ、慣れてきた風景に油断していた俺は、突然押しつけられた光景に目を疑った。


 更衣室のドアが開いた。中から現れた、馴染みのあるシルエットが自分の目に飛び込んでくる。

 「あっ、」

 ――一瞬、何が起きたのか分からなかった。

 いや、正確には、分かっていたけれど理解したくなかった。

 自分と同じ形をした人間が、目の前に立っていた。


 (…うそ、だろ…)

 事の始まりは、あまりにも突然だった。

 反射的に足が止まってしまう。これ以上、近づけないと警告が出ているかのように。

 「おい黒木、大丈夫か…?」

 いきなり立ち止まる俺に、背後から心配の声がかけられる。しかしそれらはすべて、耳の奥で霞んでしまう。

 栗毛色の髪、そして透けるように白い肌。

 その北欧の血が混ざった顔立ちも、薄茶の瞳も、よく覚えている。

 華奢な身体はそれなりに筋肉がついて、自分よりほんの少し大きくなっていた。

 (……)

 予期せぬ光景を前に、思考する正常な回路が奪われ、血流が逆流する感覚に囚われていた。

 そいつも俺に気づき、俺と同じ薄茶色の瞳で見つめ返してくる。心臓が激しく暴れる。地面に縫い付けられたように、その場から動けない。

 悪夢は現実を追ってきたと思った。

 これは何かの間違いなのではないか。もしかしたら、また夢を見ているのではないか。

 栗毛の君は、俺の名を読んだ。

 もう夢なのか現実なのか分からない。

 時間を忘れ、自分を忘れ、そいつの登場に目を見張る。あり得ないと、これは何かの悪夢だと、でもこれは現実なんだと、頭が混乱してしまう。

 もう二度と、会ってはならない存在なのに。

 胸が、苦しくなった。

 「…大丈夫ですか、黒木くん」

 冬夜の声に、我に返る。後ろを振り返れば、3人が揃って不安そうな顔をしていた。

 「…あぁごめん、平気」

 「そのわりには顔が青いですよ」

 「何でもない。たいしたことじゃないよ。行こう」

 俺は悪夢を睨み返し、勇気を出して歩き出した。

 神がいるなら呪いたかった。


♭♭♭


 悪夢のような再会から2時間が経った。身体測定の真っ最中で、冬夜と保健委員の仕事をしている。

 遠くに、相葉たちがふざけ合っているのが見える。何も悩み事が無さそうで羨ましい。

 俺はため息をつきたくなった。

 まずいことになった。まさか弟が、同じ学校に入学していたなんて思っていなかった。

 せっかく3年間顔を合わせずに済んだのに。罪深さから、弟に合わせる顔なんてないのに。

 「はぁー…」

 「五度目ですね」

 「え?」

 「ため息」

 冬夜は呆れたように微笑んだ。知らないうちにそんなにため息ついていたのだろうか。

 「…ん、ごめんな」

 それも仕方ない。まさかの出来事に見舞われているのだから。

 遠くから、何人か人がやって来た。俺たちが担当しているのは身長で、俺が身長計を操作し、冬夜が横で記録する。

  その集団が測り終わると、また暇になった。何もしていないと、先ほどのことばかりを考えてしまう。

 「残酷だよな…」

 「はい?」

 冬夜は驚いて振り返る。

 「いや、こっちの話」

 運命とは凄く残酷だ。きっぱり縁を切っていたのに、無理矢理引き合わせて俺を困らせている。もうどうしようもないというのに。

 「…そう言えば黒木くん、さっきの人は黒木くんに何か関係あるんですか?」

 「んー…」

 冬夜の質問を横に流し、再び遠くを眺める。噂をすれば、その人物が友達を引き連れて歩いている。

 胸がチクリと痛んだ。嫌なものを見た、そんな気分になる。

 でもあいつは今の俺と何も関係ない。顔が同じという以外は、繋がりがないのだ。要するに、赤の他人。

 「…なんだろうな」

 弟がふとこちらを向いた。俺はすぐさま視線を逸らした。耐え難い時間だった。


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