表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/23

♭Eps.0

前作を書き直しています。

R-15となります。

[ Ⅰ. Prelude ]





 記憶の片隅だけに存在する、双子の弟。


 『――…イ…セイ…ッ』

 僕の声に、君は振り返る。そして、天使のように微笑んだ。

 自分と同じ10歳のはずなのに、その笑顔で心の(しこ)りが溶けていく気がした。

 『…なに? ヨウ』

 『…何でもないよ』

 『なんだよー、気になるよー』

 『気にするなって』

 『どけちー』

 けちでもどけちでも何とでも言え。実際、何も用がなくて声をかけたので言うことはない。

 君が隣にいるだけで、満ち足りた気分になる。だから言葉なんてそもそも要らない。

 『…セイ、もう熱は下がったのか?』

 『うん! もうバッチリだよー!』

 本人は満面の笑みで言うけれど、この子は嘘をつく。しかも、双子の僕にはとても分かりやすい嘘を。

 試しに彼の額に手を当ててみれば、まだまだじんわりと熱かった。

 『…やっぱりな。まだ寝てなって言ったでしょ』

 『…ごめんなさい。でも、もうやだよ。どんどんヨウに置いてかれる気がするんだもん』

 セイは僕の肩に顔を埋め、口を尖らせた。密着した部分から、切なさと悔しさが流れ込んでくる。

 『……置いていかないよ』

 『嘘だ』

 『ほんとだよ』

 『…嘘だっ。だってヨウ、またテスト満点だったんでしょ?』

 『まぁ…うん』

 『やっぱり』

 『セイだって、人のこと言えないでしょ?』

 『えー、絶対ないない。僕、頑張っても70点とかだし。ヨウみたいに頭よくないし』

 『セイは体弱くて寝込んでいることが多いから、その分ハンディキャップがあるだけだよ。実際はもっとすごいはずだよ』

 『そーかなー』

 そう言いながらセイは天を仰いだ。僕もヨウみたいになりたいよー、っと嘆く。僕はその肩を抱き締める。背は僕の方が少しだけ高い。

 『よ、ヨウ!?』

 『…焦らなくて大丈夫だよ』

 こんな自分に劣等感なんて感じてほしくない。君は、僕以上のものを持っているのだから。

 君がもし、くじけそうになったら僕が支えてあげるから。

 そして、いつも守りたい。君を、どんなときも。

 『……愛してるよ』

 君を、永久に。




 「――…耀っ」

 背後で名前を呼ばれ、俺は現実の世界に舞い戻った。自分の身を振り返れば、薄暗い店内と裏腹に、高級感溢れるバーカウンターが、きらびやかな光を帯びて囲んでいる。

 そう、俺は今、バーテンダーなのだ。

 「…ぼーっとしてるんじゃない。手を動かせ、手を」

 首の後ろで低い声がする。振り返って見上げれば、この店の店長もといマスターが、やさしげな顔を怒りに歪めて立っていた。

 「……ごめん」

 彼に謝り、慌てて作りかけのカクテルをシェイクする。マスターは念を押すように俺の肩を軽く叩いた後、再び自分の持ち場に戻っていった。

 「……何かあったのぉ?」

 酒をシェイカーからグラスにあけていると、目の前に座る化粧の派手な女が、甘ったるい口調で問いかけてきた。まさか思い出に浸っていたとは言えないので、俺は軽く微笑んでごまかした。

 「……ちょっとね」

 「やーん気になるぅ…その先は? 」

 「………内緒」

 「ケチ。…ますます聞きたくなるじゃない」

 そいつの尋問に笑って過ごし、質問を制するようにピンクのカクテルを差し出す。

 「どーぞ」

 「ありがとぉっ…うわぁ…きれい…」

 体格のいい女は、嬉しそうにグラスを受け取り、しばらくそのピンクの色合いをうっとりと眺めていた。しかしそれも一瞬のことで、グラスを傾けたかと思うと、仕事帰りにビールを流し込むがごとく、一気に飲み干してしまった。

 「あー…美味しいっ……」

 女は厚化粧が崩れそうなほど満足そうに笑い、グラスを木目調のテーブルに置いた。

 「…ありがとう」

 見ていて、ちょっと残念な気持ちになった。一気飲みで味など分かったのだろうか。礼は言ったものの、どうせ飲むならもう少し味わえばいいものを、と少し毒づいてみたりもした。

 女は顔をさらに赤くしながら、頬杖をついてタバコをくわえる。そのタバコと女のきつすぎるほどの香水が絶妙に混ざり合い、あたりは異様な空気が漂っている。 思わず、顔をしかめたくなった。

 俺は気を紛らせるためにグラスを拭く。照明の光が反射して、少々目が眩んだ。

 「ねぇ…ヨウ」

 時間を忘れて無心になっていると、女が先ほどよりもぼんやりしながら呟いた。

 「…何」

 「…あんたさあ、カノジョとかいないの?」

 その言葉は、真っ赤なルージュをつけた唇から、煙と共に吐き出された。耳タコな話題に、内心ため息をつきたくなった。女はそういうことしか頭にないのだろうか。

 「…いないよ。どうしたの、急に」

 言うと、女はしばらく俺を疑い深く見つめ、視線を落として吸い殻にタバコをつついた。

 「いやぁさ……あんたみたいないいオトコ、そこらの女がほっとくわけないと思うんだけど。やさしいし…頭もいいし。女からの告白なんて、二度や三度じゃ済まないでしょ?」

 目の前の女がいたって真面目に言うので、俺は苦笑せざるを得なかった。

 「…麗さん俺を買い被りすぎ」

 「…そんなことないわ」

 「ううん。俺はあなたが思うほどの人間じゃないよ。…それに告白を受けたとしても、それですぐに付き合うっていうわけじゃないか。気もないのに彼女を形だけ作ろうとしたって、相手が傷つくだけだろ」

 「そんなこと言ってさ、」

 女は視線を宙に漂わせ、煙を吐いた。

 「…傷ついてんのはあんたなんじゃないの?」

 「え…」

 今まで耳にしたことのない言葉だった。グラスを拭く手を止め、俺は女を凝視する。

 「……あたしには、あんたは何かを我慢してるように見えるけど?」

 女の見透かすような視線に、ふつふつと得たいの知れない感情が沸き起こった。

 我慢しているだなんてあり得ない。俺は昔に戻りたくないし、今の生活にすごく満足している。 俺の何が分かってしゃべっているんだと、言いたくなった。

 「…俺は別に、今のままでいいんだ」

 俺は何とか平静を装って、グラスを拭く。

 「何も不満なことはないし、このままずっと……」

 「何言ってんの!!」

 女はテーブルをバンッと叩き、一同の注目を集めた。

 「あんたみたいな若造、恋愛もしなくて仏にでもなるつもり!? しっかりしなさいよ!! 若いんだから、もっと弾けていいのよ? おとなしくなって生涯何もしなかったら、それこそ勿体ないよ!!」

 女が怒鳴ったせいで、薄暗い室内はシーンとなった。俺は目のやり場がなくて、俯いていた。

 どれほどそうしていただろう。しばらく経って、

 「―……麗ちゃん」

 マスターが、俺の背後から優しく声を掛けた。

 「……許してくださいな。コイツにもいろいろあってそれどころじゃなかったんだよ。そのうち余裕が出てきたら、恋愛する気にもなるだろうがね」

 彼は、ニコリと微笑んだ。あまりにも柔和なので、その場にいる誰もが見入ってしまった。

 数秒して、女は、「あ、そう、」と顔を赤らめておどおどし始めた。

 「何か…でしゃばってごめんなさい……でも、無理しないでね? ヨウ……」

 「麗さん……いいよ。俺の心配なんて」

 俺は作り笑いする気にもなれず、取りあえず言葉を返した。

 気まずい雰囲気になり、無言で仕事をしていると、後ろからマスターに肩をぽんっ、と叩かれた。

 「…耀、お前はもう上がれ。明日は入学式だろう」

 「あ……うん」

 「早く寝ろ。疲れているんだろう。連日手伝わせて悪かったな」

 「…別に」

 俺は女とマスターに軽く詫びを入れて、店を後にした。


 「…ふっ、くく…」

 裏口のドアを閉め、俺は抑えきれなくなった笑いを発散させた。先ほどの光景が滑稽でたまらない。

 (なんにもしないで仏にでもなるつもり、か…)

 確かにそうかもしれない。

 俺は笑うのをやめ、暗い路地を歩いていく。口の中に残った笑いを唇で食い縛りながら、マスター、黒木真一の家であるマンションまで、店から500メートルの距離を進んだ。

 この地域一体は、夜でも賑やかな大通りがある一方で、少し路地を入っていけば街灯がなく、女や子供が一人では歩けないような怖い道が多い。今でも、会社帰りのオヤジたちが通りすぎるたびに振り返ってくるのには、寒気がする。

 やっとマスターのマンションにたどり着き、エレベーターに乗って15階のボタンを押した。ドアがゆっくりと閉まり、俺はホッと息をつきながらエレベーターにしばらく身を任せた。

 途中、エレベーターは自分で押した階の手前で止まる。入ってくる人のため、俺は壁側に移動した。しかしドアが開いた瞬間、俺は息をのんだ。

 開いたドアの向こうに、記憶にこびりついて離れない、黒髪の黒服男がいた。

 「あれ……誰かと思えば…耀ちゃんじゃん」

 男は、俺を見つけるなりニタリと笑う。心拍数が一気に急上昇する。

 (何でこいつがここにいるんだ)

 俺はそいつから目をそらす。

 「その呼び方やめろ」

 男は不穏な空気のまま、近づいてくる。考えるよりも先に、体が警戒を始める。息が上がり、めまいすら覚える。

 「ねぇ耀ちゃん? いきなり消えるってどういうことだい?」

 明らかに機嫌が悪い。俺は後退りするが、エレベーターという小さい部屋では、すぐに背中に壁が当たってしまう。

 男の両手が、俺を壁に押しつける。

 逃げ場所がない。

 「お前に関係ねぇだろ」

 「…冷たいなぁ…そんなわけないよね、耀ちゃん」

 避ける間もなく、俺は男に食われるようにキスをされた。

 「…んっ…」

 タバコ臭いキスは、俺の頭をおかしくする。それでも口の中に強引にねじ込んでくるやつの舌を、何とか食い縛って阻止した。その攻防は長時間続いたが、俺が断固として受け入れないので、ヤツは諦めて離れていった。

 「……強情だなあ」

 男はクックと不気味な笑みを浮かべる。そして、俺の首筋に顔を埋め、下半身を妖しく撫で上げる。

 耳の後ろをすれすれで触る舌先が、身の毛がよだつほど気持ち悪い。

 「…晶人っ…、いい加減にしろ。俺はもう、お前と関係ない…っ」

 「……どうかな」

 男はポケットから、チャッと銀色の小型ナイフを取り出す。そしてそれを、俺の首に当てる。

 「…耀ちゃんの身体はそう言っていないみたいだけどね。フフ…オレはまだ終わってないよ。これからもっと、愛してあげる」

 男がケタケタ笑うのを睨みつけた。コイツになんか負けたくない。怯むなんて絶対にしない。

 腹の底から抑えられない怒りが込み上げる。

 「…失せろ」

 「やだね」

 「……殺すぞ」

 自分でも驚くほど、低い声が出た。怒りが余って笑いさえ込み上げてくる。

 男は目を見開いて、一歩引き下がった。

 「…失せろ。そして二度と来るんじゃねぇ」

 言い放つと、男は声高らかに笑った。何がおかしいのか分からない。

 「…分かった分かった。今日は許してやるよ」

 今日はね、と男は耳元で囁き、エレベーターを降りていった。閉じたドアの内側で、俺は床にへたりこむ。

 体が震える。嫌悪と、恐怖に。


 "あいつ"を失った時のように。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ