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日暮公園の男-The Man in Higurashi Park-

作者: 末長敬司
掲載日:2026/09/09

挿絵(By みてみん)

 

 夕方の台所で、石田美紀(いしだみき)が味噌汁の火を弱めた。

 リビングでは、テレビが緑ヶ丘ニュータウンから二つ隣の市で起きた児童失踪事件を伝えている。

 小学五年生の男児が、前日の午後六時前、公園で遊んでいる姿を最後に行方が分からないという。

 画面が住宅地の児童公園へ切り替わると、黄色い規制線の向こうを警察官が歩く姿が映っている。

 テレビの映像にヒグラシの声が混じり、窓の外からも同じ声が聞こえた。

 その声に、美紀は菜箸(さいばし)を鍋の縁に置く。

 食卓の端には、小学五年生の息子、石田悠斗(いしだゆうと)の水筒が残っている。


 二十五年前のその日も、日暮公園(ひぐらしこうえん)では同じヒグラシが鳴く。

 小学五年生だった美紀は、藤井奈緒(ふじいなお)日暮公園(ひぐらしこうえん)でよく遊んでいた。

 奈緒の両親は共働きで、放課後は一人で過ごすことが多い。

 子供たちの間には、日が暮れても公園に残っていると「ひぐらし公園おじさん」に連れていかれる、という噂があった。

「そろそろ帰ろう」

「まだいいよ」

 奈緒は鉄棒の近くにいる男を見て笑う。

 大きな眼鏡に、薄くなった髪。

 開いたシャツの下から白い肌着が見える。

 少し背を丸めた、中年の男だ。

「このおじさん、昔の虫の話、いっぱい知ってるんだよ」

 男は美紀にも軽く頭を下げる。

「そろそろ帰ろうよ」

 美紀がもう一度(うなが)すと、奈緒は男の方を見て笑った。

「美紀は先帰ってて」

 美紀は少し迷ってから、公園の出口へ向かう。

 手前で振り返ると、奈緒は男と並び、奥の坂へ歩いていた。

 男は奈緒の手を引いてはいない。

 奈緒も助けを求めていない。


 翌日以降、奈緒が学校へ来ることはなかった。

 警察も公園や幹線道路沿いを捜索したが、手掛かりは見つからない。

 しばらくして、奈緒の両親も緑ヶ丘を離れた。

 近所では娘のことで住んでいられなくなった、借金があったらしい、夜逃げじゃないか、と話が変わっていく。

 だが美紀の母だけは、その噂を否定した。

「奈緒ちゃんのお母さん、探しに行くって言ってた」

 緑ヶ丘を出る前、奈緒の母親はもう一つだけ言い残していた。

「似た話が、ほかの場所でもあるみたいなの」


 玄関の鉄扉(てっぴ)が開く音がした。

「ただいま」

 美紀の夫、石田修平(いしだしゅうへい)がネクタイを緩めながらリビングへ入ってきた。

「あら、今日は早いのね」

「そりゃ残業がない日もあるさ」

 石田は鞄を置き、テレビに目を向ける。

「これ、何のニュース?」

「失踪事件よ。公園で遊んでた子供さんが消えちゃったんだって」

「やっぱり子供なんだなぁ」

「やっぱりって、何が?」

「僕の地元に昔あったんだよ。夕方まで遊んでると、知らないおじさんに連れていかれるって話」

「そんな話があったの?」

「似た話はどこにでもあるらしいよ。名前は違うけど、まあ、子供への注意喚起みたいなもんさ」

「どこにでも……」

「でも、本当に子供が行方不明になると、さすがに気味が悪いよな」

「実際にあったの?」

「僕の街でも一人いなくなったって聞いた」

 美紀は鍋の蓋を閉じた。

「そうよ!」

「どうしたの」

「奈緒のお母さんも、似た話がほかの街にもあるって言ってた!」

「奈緒?」

「小学校の時にいなくなった……前に話したでしょ」

「ああ、公園で消えたって子か」

 石田は洗面所へ向かった。


 水音が止み、石田が戻って来た。

 ふと、食卓の水筒に目が留まった。

「あれ、悠斗は?」

「日も長いし、まだ遊んでるんじゃない?」

「ならいいが、もう午後六時過ぎてるぞ」

 美紀が壁の時計を見る。

 午後六時十八分。

 悠斗は午後五時半のチャイムで友達と別れ、午後六時までには帰宅する。

 遅れる時は必ず連絡する決まりだ。

 美紀はスマートフォンを取った。

 電話は呼び出しに入らない。

「電源は?」

「入ってるみたいだけど、電話だけ繋がらないの」

「じゃあ、位置情報は?」

 アプリを開くと、最終更新は午後五時四十一分。

 緑ヶ丘中央緑道で止まっている。

 その先には日暮公園(ひぐらしこうえん)がある。

 美紀は画面を石田へ向けた。

「……日暮公園(ひぐらしこうえん)!」

 石田が美紀を見る。

「奈緒ちゃんが消えたっていう場所か」

「うん……修平くん、私に行かせて」

 石田は上着を手に取った。

「僕は学校と友達の家を回ってくる」

「頼むわ」

「見つけたらすぐ連絡。怪しい奴がいたら警察だ。ひとりで無茶するなよ」

「分かった」

 美紀は台所へ戻り、味噌汁の火を止める。

 テレビでは、失踪事件の続報が流れたままだ。

 足早に家を出た石田を追うように、美紀も玄関の鍵を掴んで外へ走った。


 日暮公園(ひぐらしこうえん)に人影はない。

 ブランコの鎖が風に鳴り、坂の下から幹線道路の走行音が上がってくる。

 ヒグラシの声が降る木立の向こう、砂場のそばに悠斗がいた。

 その隣には、中年の男がいる。

 二十五年前と同じ大きな眼鏡。

 同じ薄い髪。

 同じ白い肌着と、胸元の開いたシャツ。

 背中まで、記憶と同じ角度で少し丸い。

「悠斗!」

 悠斗が顔を上げる。

「ママ!」

 こちらへ二歩進み、男を振り返った。

「このおじさん、昔の緑ヶ丘のこと、すごい知ってるんだよ」

「悠斗、こっちおいで」

 悠斗は素直に美紀の横へ来る。

 男は追わない。

 両手を腹の前で重ね、美紀へ軽く会釈した。

「悠斗くんのお母さんですか」

「はい」

 男の表情が少し和らぐ。

「そうですか、それはよかった」

 美紀は悠斗の肩に手を置き、少し力を込めた。


「あの……」

「はい?」

「二十五年前にも、ここにいましたよね」

「いいえ」

「いました!」

 美紀は男の顔から胸元へ目を移す。

「顔も眼鏡も、その服も……二十五年前と全て同じです」

 男は首を少し傾ける。

「それは、そうでしょうね」

「いったいどういう意味ですか」

「それは私の前任者でしょう。ここへ来る時、私たちは同じ姿を使いますから」

 美紀は悠斗の肩から手を離さない。

「藤井奈緒という女の子を知りませんか」

「名前だけでは分かりません」

「二十五年前、この公園からいなくなった十歳の女の子です」

 男はしばらく美紀を見てから口を開いた。

「その条件でしたら、記録があります」

「奈緒は、どこにいるんですか」

「保存されています」

「生きてるんですか」

 返事までに少し間がある。

「その質問に、あなた方の言葉で正確に答えることは難しいですね」

「何のために、子供を連れていくんですか」

「残すためです」

「何をですか」

「人間をです」


 男は公園の向こうに並ぶ団地へ顔を向けた。

「土地、言葉、暮らし方、家族の形、子供の遊び、全ては時代とともに変化します。ですから失われる前に、その時代の人間を残すのです」

「標本みたいに、ということですか?」

「あなた方の言葉では、それが一番近いと思います」

「この街だけじゃないんですね」

「はい」

「どうして奈緒だったんですか」

「恐らく、周囲への影響が小さいと判断されたのでしょう」

「影響?」

「一人でいる時間が長く、帰宅を細かく確認されず、家庭や地域との接触が少ないなど、採集にはそこにある社会を大きく変えない個体が選ばれます」

「奈緒の両親は共働きだった」

「それは記録にもあります」

「でも、あの人たちは仕事も生活も捨てて、奈緒を探しに行きました」

 男の返事が止まる。

 道路の音だけが坂の下を流れていく。

「そうでしたか」

「分からなかったんですか」

「分からないことはあります、我々にも」

「奈緒は嫌がりませんでしたか?」

「当時の担当は私ではありません」

「記録には残っていませんか?」

「拒否したとはありません」

「帰りたいとも?」

「ええ、帰還を希望した記録もありません」

 美紀は男の肩越しに坂を見る。

 二十五年前、奈緒はあそこを自分の足で下りていった。

 泣き声も、助けを呼ぶ声も聞こえない。

「奈緒、自分でついて行ったんだ……」

 男は答えない。

 悠斗が美紀の袖を引く。

「ママ、このおじさん、悪い人じゃないよ」

「うん、分かってる」

 美紀は悠斗の髪に触れ、額と腕を確かめる。

 傷はない。

 男は二人を静かに見てから口を開いた。

「この子には、帰る場所があるようですね」

「どうして悠斗に声をかけたんですか」

「一人で帰るところでしたから、声を掛けました。普通に話をしていただけで、まだ判断の途中でした」

 男は悠斗へ目を向ける。

「でも、お母さんがお迎えに来られたなら、私の判断が足りなかったようです。この子はお母さんにお任せします」

「おじさん、もう帰るの?」

 悠斗が男を見る。

「お母さんが迎えに来てくれましたからね」

 男は悠斗に笑いかけた。

「悠斗くん、お母さんを大事にね」

 悠斗は小さく頷く。

 男は美紀にも頭を下げた。

「では、私はこれで。他の場所で探さねば」

 そのまま坂の方へ歩き出す。

 美紀は悠斗の手を握る。

 男は坂の下へ消えるまで、一度も振り返らなかった。


 帰宅途中、美紀は石田へ連絡した。

 石田は学校と友人宅を回り、悠斗が午後五時半に友達と別れたところまで確認していた。


 その夜、悠斗が寝たあと、美紀は日暮公園(ひぐらしこうえん)で聞いた話を石田に伝えた。

 石田は途中で口を挟まず、最後まで聞いた。

「悠斗は、どうして連れていかれなかったんだろう」

「私が迎えに行ったから。あの人、『この子には帰る場所がある』って」

 石田は少し黙った。

「じゃあ、帰る場所がないと判断した子を探してるのか」

「……たぶん」

 美紀はカップの縁に指を添える。

「やっぱり奈緒は、自分で行ったのかもしれない」

「でも、まだ十歳だったんだろう。そんな判断できたのかな」

「彼らは周りへの影響が少ない子を選ぶんだって」

「奈緒ちゃんの親は生活まで捨てて探したんだよね?」

「うん」

「じゃあ、その判定は外れだった、ってことだ」

 石田は廊下の奥にある悠斗の部屋を見る。

日暮公園(ひぐらしこうえん)は通らせられないな」

「そうね……もう少し大人になるまでは」

 美紀はそっと悠斗の部屋の扉を閉じた。


 翌日の夕方、テレビがまた子供の失踪を伝えている。

 今度は別の市だ。

 小学四年生が、前日の午後六時ごろ、公園で遊ぶ姿を最後に行方が分からないという。

 窓の外でヒグラシが鳴く。

 昨日の男の「他の場所で探さねば」が耳に甦る。

「ママ」

 隣の部屋から悠斗が顔を出す。

 美紀は、そこにいる息子を見た。

 テレビの中では、知らない子供の捜索が続いていた。

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― 新着の感想 ―
SFなの?とおもったら、本当にSFだった。 すごい。
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