真実の愛で結ばれたお二人に、公爵家の跡目はふさわしくありません。よって、極めて優秀な『分家の少年』を次期当主として養子に迎え、悪役令嬢として2人をしっかり追放します。
主人公が追放する側にしてみました。
「セレスティア! 俺は真実の愛を見つけたぞ!」
我がアシュワース公爵家の豪奢な応接室。
次期当主である実の兄・アルバートは、男爵令嬢マリアの肩を抱き寄せ、堂々とそう宣言しました。
「このマリアと真実の愛で結ばれた! 政略で決められた侯爵令嬢との婚約は破棄し、マリアを次期公爵夫人として迎えることにしたのだ!」
「……アルバートお兄様。本気で仰っているのですか?」
私は静かに扇を開き、呆れ果てた視線を兄に向けました。
そして、彼に寄り添うマリアという女を、上から下まで値踏みするように見つめます。
彼女が着ているドレスは、王都で最も高価なデザイナーの特注品。
首元には、公爵家の宝物庫から持ち出されたブルーダイヤのネックレスが輝いています。
「ああ、本気だとも! 公爵家には莫大な富があるのだから、俺が誰を妻にしようと自由だろう。マリアの純真な笑顔こそが、この堅苦しい公爵家に必要なのだ!」
「純真、ですか。……お兄様、私はこれまで何度も、耳にタコができるほど忠告いたしましたわよね?」
私はピシャリと扇を閉じ、冷たい声で告げました。
「マリア男爵令嬢には、将来を誓い合った騎士爵の婚約者がいたはずです。それを、お兄様が公爵家の権力と金に物を言わせて強引に横取りした。……違いますか?」
「人聞きが悪いことを言うな! マリアは愛のない政略結婚を強いられて泣いていたんだ! それを俺が救い出してやったんだ!」
「お姉様、アルバート様を責めないでくださいませ……。私、どうしても自分の心に嘘がつけなくて……」
マリアはわざとらしく涙ぐんで見せました。しかし、扇の陰から覗く彼女の瞳には、一切の罪悪感などありません。
それどころか、公爵邸の豪華な調度品を「これはいくらで売れるか」と値踏みするような、極めて強欲で計算高い光を帯びていました。
彼女は、誠実で将来有望だった騎士の婚約者を、ただ「公爵夫人になればもっと贅沢ができるから」という理由であっさりと捨てたのです。
そして兄は、そんな彼女の計算高さに全く気づかず、自分の「権力と金」にすり寄ってきただけの女を「真実の愛」だと信じ込んでいる。
「他家の婚約者を奪うなど、貴族のルールを根本から破壊する愚行です。しかも、そのために公爵家の予算を湯水のように使い、彼女を飾り立てている。……お兄様、あなたは次期当主としての自覚が欠如しています。今すぐ目を覚ましてくださいませ」
私が最後の最後となる忠告を口にすると、アルバートは顔を真っ赤にして怒鳴りました。
「うるさい! 領地の数字や体面ばかり気にするお前のような冷血な女には、俺たちの尊い愛が理解できないのだ! 俺は次期公爵だ、俺の金で愛する女を飾って何が悪い!」
現在、父である公爵は重い病に伏せっており、領地経営や派閥の取りまとめは、実質的に私——長女であるセレスティアが行っています。
しかし、この国における厳格な「貴族継承法」により、女性である私には直接の爵位継承権がありません。
どんなに私が実務を回しても、最終的には長男であるアルバートが公爵位を継ぎ、その妻であるマリアが領地の予算の全権を握ることになります。
マリアのような、領地経営の知識もなく、ただ自己の虚栄心を満たすためだけに公爵家の財産を貪る女に、金庫の鍵を渡す。
それは単なる家の不名誉にとどまらず、公爵領に住む何十万という領民たちの生活を「破滅」させることを意味していました。
(……仕方ありませんわね。これ以上、無能な兄と強欲な寄生虫に、領民の血税を吸わせるわけにはいきません。私にできる限りの忠告は、すべて尽くしました)
私はふうっと息を吐き、これ以上彼らを説得することを完全に放棄しました。
言葉の通じない愚か者に割く時間など、一秒たりとも惜しい。
「お兄様。お二人の愛の深さと、マリアさんの『公爵家の財力に対する深い愛情』はよく分かりましたわ。……どうぞ、ご自由になさいませ」
「ふん、ようやく自分の立場の弱さを理解したようだな」
私が呆気なく引き下がったのを見て、アルバートとマリアは勝ち誇ったように笑い合いました。
彼らは知りません。
貴族社会において、真実の愛などというものは義務を放棄する免罪符にはならないことを。
そして、私が「ご自由になさいませ」と言ったのは、彼らの結婚を認めたからではなく、「彼らを公爵家の盤上から完全に切り捨てる」と決断したからだということを。
***
その日から、私は公爵家の最小限の財力と人脈を使い、水面下で徹底的な「歴史と血統の洗い出し」を行いました。
ターゲットは、今から三代前に枝分かれし、現在は没落している公爵家の「分家の血筋」です。
数週間の調査の末、王都のスラム街に近い裏路地で、一人の少年を見つけ出しました。
名前はルカ。
十五歳。
公爵家の曾祖父の血を確かに引いている家系でしたが、経済的な困窮により貴族の義務である『軍役』を果たせなくなり、貴族としての地位を剥奪されました。
現在、少年は劣悪な環境の代書屋で、下働きとして奴隷のように酷使されていました。
私が視察に訪れた時、ルカは薄暗いランプの下で、ぼろぼろの服を着ながらも真剣な眼差しで複雑な税務計算の束を一人で処理していました。
雇い主に理不尽に怒鳴られ、暴力を振るわれても、決して悲屈にならず「計算を間違えたのは僕の責任ですから、やり直します」とまっすぐな目で答える、極めて純粋で、そして驚異的な頭脳を持つ少年でした。
私は代書屋の主人に金貨を叩きつけてルカを買い取り、そのまま公爵邸の秘密の別邸へと連れ帰りました。
「ルカ。あなたを、アシュワース公爵家の『正当な養子』として迎え入れます」
綺麗に風呂に入れられ、清潔な服を着せられたルカに、私はそう告げました。
「十分な教育と、温かいベッドを約束しましょう。その代わり、あなたはこの家の『当主』として、領民を守るための私の手駒となり、馬車馬のように働きなさい。……できますね?」
万が一、私の企みが失敗したとしても、利用されたと言い切れるように、私がわざと悪役のように高慢で冷酷な口調で問いかけました。
「……はい。喜んで、あなたの手駒になります、セレスティアお姉様」
「即答ですね。私はあなたを利用すると言っているのですよ?」
「ええ、分かっています。でも、代書屋で使い潰されるだけだった僕に価値を見出し、地獄から救い出してくれた。……ただの同情ではなく、僕の頭脳を正当に評価して『取引』をしてくれたことが、本当に嬉しいんです」
ルカは少しだけはにかむように微笑むと、深く、丁寧なお辞儀をしました。
「僕に人間らしい居場所を与えてくれた恩は、決して忘れません。お姉様と領民のために、必ず期待以上の結果を出してみせます」
その言葉と眼差しには、嘘偽りのない純粋な敬意と忠誠が込められていました。
(な、なんて真っ直ぐな子なの……!?)
私は思わず顔を赤らめ、扇で顔を隠しました。もっと打算的な野心家を想像していましたが、とんでもなく誠実で良い子を引き当ててしまったようです。
そこからの私の行動は迅速でした。
病床の父に「公爵家と領地を守るための唯一の手段」としてこれまでの兄の愚行を報告し、ルカを紹介して養子縁組の書類にサインさせました。
父もルカの境遇と、その聡明さと純粋さに涙し、快く頷いてくれました。
さらに、法務局の長官や派閥の有力貴族たちへ根回しを行い、貴族継承法における古い抜け穴——『現当主の特例指名による、継承順位の変更』の手続きを、たった一ヶ月で完全に終わらせたのです。
アルバートがマリアの言いなりになり、公爵家のツケを使って連日のように夜会を開き、豪奢なドレスや宝石を買い漁っている間。
彼──アルバートの「次期公爵」としての法的権利は、一枚の羊皮紙と議会の承認によって、すでに完全に消滅していました。
***
そして、運命の日は訪れました。
「セレスティア! 俺とマリアの結婚式だが、王都の大聖堂を貸し切ることにした! マリアがどうしても、一番目立つ場所で結婚式を挙げたいと言うんだ。すぐに予算を組んで手配しろ!」
応接室にずかずかと乗り込んできたアルバートは、相変わらずマリアの腰を抱きながら、傲慢な態度で私に命令しました。
マリアは、今日はさらに派手な純白のドレスを着ており、扇の陰で下品な笑いを浮かべています。
「ええ、大聖堂なら、私を馬鹿にしてきた他の令嬢たちを見返せますもの! 私、教会の装飾はすべて薔薇の花で埋め尽くしたいわ。アルバート様、お金ならいくらでもありますものね?」
「もちろんだとも、愛しのマリア!」
領民たちが冬の寒さに備えて汗水流して納めた税を、自分の虚栄心を満たすための「花代」に使おうとする女。
私ははらわたが煮えくり返るのを冷たい微笑みで隠し、手元の分厚い羊皮紙の束を開きました。
「お兄様。残念ですが、その予算を承認することはできませんわ」
「なんだと!? 俺は次期公爵だぞ! 俺の金庫の金を使うことに、何の不満がある!」
「次期公爵? ……いいえ、違いますわ」
私が扇を閉じると同時に、応接室の奥の扉が開き、仕立ての良い最高級のフロックコートに身を包んだ少年——ルカが、静かな足音を立てて歩み出てきました。
その後ろには、公爵家の法務顧問と、王宮から派遣された公証人が控えています。
「な、なんだこのガキは……?」
「ご紹介しますわ、お兄様。彼はルカ。我がアシュワース公爵家に『養子』として迎えられた、あなたの新しい弟です。……そして」
私は束の中から、王家の玉璽が押された公文書を取り出し、テーブルの上に突きつけました。
「父上の正式な署名と、貴族院の全会一致の承認を経た『継承権移動証明書』です。現在の次期公爵の継承順位第一位はルカであり、お兄様、あなたはすでに公爵家の継承権を完全に剥奪されていますわ」
「…………は?」
アルバートの顔から、みるみるうちに血の気が引いていきます。
「な、何を言っている! 俺は長男だぞ! 血統という絶対のルールがあるはずだ!」
「ええ、その通りです。ですから、正当な『公爵家の血』を引く分家のルカを養子に迎えたのです。貴族法第14条・第3項『当主の意思および貴族院の承認により、素行不良の直系卑属を廃嫡し、傍系の養子に継承権を移譲することができる』。……完全に、合法的な手続きですわ」
私は氷のように冷たく微笑みました。
「ふざけるなッ! そんな勝手な真似が許されるわけが——」
「アルバート兄上。許されるのです」
ルカが、澄んだ、しかし強い意志を持った声でアルバートの言葉を遮りました。
ルカの指には、当主の証である紋章指輪(父からすでに譲り受けていたもの)がはめられています。
少しだけ戸惑った様子のルカは、何か言いたげな様子でアルバートを見据えていました。
「法務顧問。彼らがこの一ヶ月で公爵家の名義で作った『ツケ』の総額は?」
「はい、セレスティア様。金貨六千枚にのぼります。しかも……冬に向けて領民に分配するはずだった備蓄資金や、直轄の孤児院の運営費にまで手をつけておられました」
法務顧問の報告に、私は冷ややかな視線を兄とマリアに向けました。
ルカはぎゅっと拳を握りしめ、静かに、しかし冷烈な声でアルバートに告げました。
「アルバート様。あなた方がそのドレスや宝石のために使い潰した金貨六千枚……それがどれだけの重さか、考えたことはありますか。領民が冬を越すための命の金であり、孤児たちが明日を生きるためのパン代です。他家の婚約を強引に奪い、弱者の血肉を削ってまで着飾らなければ証明できない『真実の愛』など、あまりにも浅ましい。上に立つ貴族の責任すら放棄したあなた方に、これ以上公爵家の名を騙る資格はありません」
「うっ……そ、それは……!」
真っ直ぐなルカの正論に、アルバートはたじろぎました。
「というわけです。アルバートさん、そしてマリアさん。公爵家はあなた方の私的な借金や浪費の支払いを一切拒否します。あなた方は今、金貨六千枚の借金を抱えた『ただの平民』です。直ちに出て行ってください。私が騎士団を呼ぶ前に」
ルカが指を鳴らすと、屈強な公爵家の護衛たちがなだれ込み、呆然とするアルバートとマリアの腕を乱暴に掴みました。
「離せ! 俺は公爵だぞ! セレスティア、嘘だと言ってくれ! マリア、お前からも何か言ってくれ!」
「いやぁぁぁっ! ふざけないでよ!!」
マリアは、それまでの可憐な態度をかなぐり捨て、夜叉のような顔でアルバートを睨みつけました。
「将来有望だった騎士の婚約者を捨てて、あんたに乗り換えてあげたのに! 公爵様の莫大な富で、一生贅沢させてくれるって言ったじゃない! 借金まみれの無能な男になんて、一ミリの価値もないわよ! 私に触らないで!」
「マ、マリア……!? お前、俺の金と権力目当てだったのか!?」
「当たり前でしょ! 真実の愛なんて寝言、本気で信じてたわけ!?」
醜く罵り合い、取っ組み合いの喧嘩を始めた二人は、そのまま護衛たちによって引きずられ、公爵邸の正面玄関から泥の地面へと放り出されていきました。
金貸しに追われ、一生底辺を這いずり回ることになるであろう彼らの末路を、私は窓辺から静かに見下ろしていました。
「……セレスティアお姉様。これで、孤児院の子供たちも、領民たちも飢えずに冬を越せますね」
ルカが私の隣に立ち、ほっと安堵したように純粋な笑顔を向けました。
「ふん、当然ですわ。私は公爵家の富を無駄にする害虫を駆除しただけ。領地が痩せ細っては、私が贅沢できませんからね」
私がわざと悪役令嬢らしくふんぞり返ってみせると、ルカは小さく吹き出し、どこか大人びた、優しい目を私に向けました。
「ええ、そういうことにしておきましょう。……お姉様のそういう不器用でお優しいところ、僕はとても助かっていますよ」
「違います! 私は冷酷な悪女なのですよ! ……さあルカ、次期公爵として、明日から領地の税制改革と、侯爵家との新しい同盟関係の構築に取り掛かりますよ。寝る間もないほど働いてもらいますからね!」
「はい、お任せを。あなたに買われた命と頭脳です。必ず、期待以上の結果を出してみせましょう」
真実の愛などというものは、確固たる責任と法律の前では、取るに足らない幻に過ぎません。
私は純粋で健気な新しい当主と共に、領民の未来を守るための次の「一手」を打ち始めたのでした。




