08.リリアナ
「おか……お母様!? あ、あの、頭……! ぶつけ……」
「あらぁ! あらあら! あらー!」
当の本人は頭のコブなど全く気にも留めず、慌てふためくレティシアの両手を握った。
「ルルちゃん。しばらく見ない間に、別人みたいになったわねぇ」
「母さん。それ、ルルじゃない」
「あらぁ?」
首を傾げ、まじまじとレティシアの顔を覗き込む。
勢いに圧倒されながらも、レティシアは姿勢を正した。
「レティシアと申します。以前ノア様たちに助けていただいた――」
「あら、やだ。私ったら早とちりしちゃった。ごめんなさいね」
ニコリと少女のように笑い、それから丁寧に頭を下げる。
「ノアの母で、リリアナです。息子がお世話になっています」
「いえ、こちらこそ! ノア様には良くしていただいています」
リリアナは嬉しそうにレティシアを見つめ、それからノアを振り返った。
「ノアちゃん。結婚式はいつにするの?」
「何の話?」
「オリヴィアちゃんが言っていたの。家を出た息子が女の子を連れて帰ってきたら、それは結婚の挨拶だって」
半眼で沈黙するノア。
「……リリアナさん。多分それも、あんたの早とちりだよ」
見かねた隣の家のおじさんが助け舟を出した。
「あら? そうなの?」
「ああああの……! けっ、結婚とかそういうお話ではなく、そもそもノア様とは、同じ大学に通う先輩と後輩と言いますか……その……っ」
「そんなことよりも、母さん。うちが無くなっている」
レティシアが顔を真っ赤にして弁明をするが、ノアはそれを遮って屋敷の方を指差した。
「あっ、そうそう。ノアちゃんに連絡するのを忘れていたんだけど、パパがお家を新しくしてくれましたー!」
両手を広げ、誇らしげに大きな屋敷を示す。
「キッチンには大きなオーブンを置いてくれたし、お風呂も広いの。ちゃんとノアちゃんのお部屋もあるわよ。日当たりもいいの」
ノアは小さく息を吐き、おじさんに向き直る。
「母さんじゃ話にならない。どういうことだ?」
やれやれと肩をすくめながら、おじさんは説明を始めた。
「カクさんの作る野菜が好評なのは知っているだろう? ここ数年で王都にも流通するようになってな」
レティシアは話を聞きながら、『カクさん』というのがノアの父の名前だろうかと考える。
「畑も大きくしたし、最近はイチゴの栽培も始めた。それもまた大当たりで、従業員も雇うようになったんだ」
「それで事務所も必要になってね。家を改装して、仕事場も一緒にしちゃったの!」
リリアナが楽しげに口を挟む。
「ちなみに俺も、今はカクさんの下で働かせてもらっているんだよ」
ノアは改めて屋敷を見上げた。
「……じゃあ、ここが俺の家ってことでいいんだな」
「もちろんよ。さぁ、入って! レティシアちゃんも遠慮しないでね」
ノアとレティシアの手を引いて、リリアナは屋敷へと2人を招き入れた。
ひと通り屋敷の中を案内された後、ノアとレティシアはリビングへと通された。
柔らかなソファに腰を下ろすと、正面のキッチンで右往左往しているリリアナの姿が否応なく目に入る。
「えー、いいわねぇ! 温泉旅行だなんて羨ましいわ」
朗らかに話し続けながら、リリアナは戸棚を開けては閉め、引き出しを覗いては首を傾げている。
「ヴェルデラ温泉はね、昔パパと行ったことがあるの。本当に紅葉が綺麗で、とってもロマンチックだったわ」
「そうなのですね。それは楽しみです」
微笑みながら返事をするレティシアだが、落ち着きなく動き回るリリアナの様子が気になり、どこかそわそわと視線が揺れる。
やがて、ノアは深いため息をつくと立ち上がった。
「お茶の用意なら、俺がする」
「でも、ティーセットがどこにあるのかわからないのよ。いつもパパが用意してくれるから……」
ノアはキッチンを一瞥し、父が収納しそうな棚に目星をつけて開ける。
「あらあら。そんなところにあったのね。ノアちゃん、すごいわねぇ」
「この家の住人なのに、なんで分からないんだ」
「じゃあママは、お湯を沸かすわね。えぇと……ヤカン、ヤカン……」
再び戸棚を総当たりするリリアナ。その横で、ノアは一発でヤカンを取り出した。
「ヤカンを火にかけるのは任せてね! それくらいはママだって出来るんだから」
そう言って水を張ったヤカンを炉に移動させようとして――何もない床に躓く。
「あ……」
床一面に水をぶち撒ける寸前、ノアがヤカンとリリアナを支えた。
「もう母さんはあっちに座ってて」
ノアは母の背中を押してキッチンから追い出す。
「せっかくレティシアちゃんに『デキるお母さん』の姿を見せようと思ったのに」
「調理以外の家事能力はゼロなんだから、無理するな」
頬を膨らませたリリアナは、子供のような顔でレティシアの向かいに腰を下ろす。
「あの、どうか私にお構いなく……」
「構うわよぉ。ノアちゃんがルルちゃんとエヴァンちゃん以外のお友達を連れて来るなんて、初めてなんだもの」
嬉しそうに笑うリリアナの言葉に、レティシアは大きな瞳を瞬かせた。
「お友達?」
「恋人じゃないんでしょう? それなら、お友達よね?」
「お友達……」
その言葉が胸の奥で反響する。
熱を帯び、胸がじわりと温かくなる。
「ノ、ノア様! 私はノア様の『お友達』なのですか!?」
「は……?」
ティーポットに茶葉を入れながら、ノアは怪訝そうに視線を向けた。
レティシアの瞳は、期待を込めてキラキラと輝いている。
「……別に、なんでもいい」
「ではルル様やエヴァン様とも、お友達ということでしょうか!?」
両手を胸の前で固く組み、レティシアは言葉を噛み締める。
「どうしましょう……生まれて初めて、お友達というものができました!」
「まぁ、それは素敵だわ! 今日という日を、レティシアちゃんの『友達記念日』にしないとね!」
「はい!」
ぱぁっと花が咲いたように笑うレティシア。
ノアは黙々とお茶の準備をしながら、妙な気分を抱いていた。
(母さんが2人いるみたいだ……)
リリアナとレティシアは、波長が似ている。
柔らかくて、少しズレている。
もやもやを抱えたまま、ノアはティーセットをリビングへ運んだ。




