番外編・ルル④
広場から少し離れたところで、木立の陰にひっそりと隠れた登り道を見つけた。
その先を視線で追ってみると、獣道の向こうに今いる場所よりも少し高い岩場が見える。
――あの岩場に登ったら、気持ち良さそう……
私はまるでその岩場に吸い寄せられるように、脇道へと足を踏み入れた。
進み始めて一分も経たない頃。
草を踏み締めていたはずの足元が、ずるりと滑った。と、同時に視界が反転し、一気に平衡感覚を失った。
「え……?」
悲鳴を上げる間も無く、私の体は文字通りどこかに転がり落ちていく。
一体何が起きたのか、頭が追いつかない。
ただ体をあちこちぶつけながら落ちていく感覚だけがあって、咄嗟に頭だけは守らなければと思い、体を丸めて両腕で頭を覆った。
やがて一際大きな衝撃を全身で受け止めると共に、落下が止まった。
「いっ……たぁ……!」
きつく閉じていた目をゆっくりと開く。
――私は、薄暗い穴の中にいた。
広さは二メートルくらいだろうか。舗装など何もされていない、土が剥き出しの空間だ。
見上げてみれば、遥か斜め上の方に太陽の明かりが見えた。どうやら私は、滑り台のような急斜面を滑落したらしい。辛うじて擦り傷だけで済んだものの、自力でこの斜面を這い上がるのは不可能な角度だ。
「誰かー! 助けてー!」
試しに大声で叫んでみたが、返ってくるのは自分の声の虚しい反響だけ。あの脇道の周りには誰もいなかった。この声が誰かに届くとは思えない。
諦められるはずもなく、斜面に足をかけてみる。けれど取っ掛かりになるような足場もなく、乾燥した土はサラサラと崩れていく。踏み出した足は無情にも、元の位置へと滑り落ちた。
「これ、マズいよね……?」
声が震える。
とは言え、この時はまだ、すぐに誰かが助けに来てくれると思っていた。
集合時間になれば、誰かが私がいないことに気がつくはずだ。そうすれば先生たちが必ず、探しに来てくれるに違いない、と。
――なのに。
「なんで誰も助けに来てくれないのよぉ!?」
集合時間どころか、もうすっかり夜を迎えていた。僅かに差し込んでいた太陽の明かりもとっくに消え失せ、穴の中は真っ暗闇に包まれていた。
さすがに焦り始めた私は、何度も何度も傾斜に挑んでは滑り落ち、手のひらも膝も擦り傷だらけになった。
疲れ果てて座り込み、傾斜の先を睨みつける。
そもそもこの穴は、何なのだろうか。まるで巨大なモグラが掘ったような……
そこまで考えて、猛烈な恐怖が背中を走り抜けた。
「魔物だったら……どうしよう……」
この山は魔物は少ないと言われているけれど、きっと全くいないわけじゃない。広い世の中、巨大モグラみたいな魔物だっているかもしれない。
この穴が魔物の家だったら?
もしも今、それが帰ってきたら?
「ママ……パパぁ……っ!」
怖くて心細くて、ポロポロと涙が溢れ出した。
ここで一夜を明かしても凍えるような季節じゃないけれど、肌寒さは心細さをより一層際立たせる。
喉も渇いたし、お腹も空いた。ママが焼いてくれたクッキーは、どこに行ってしまったのだろうか。穴の中には落ちていないから、落ちる直前に落としてしまったのだと思う。
……なんで脇道なんかに入ってしまったのかと、猛烈に後悔した。
今頃ママとパパは心配しているはずだ。リクとナギの、あの柔らかいほっぺに触れたいよ……
私はこのまま誰にも見つけて貰えず、ここで魔物に食べられてしまうか、餓死してしまうのだろうか。
そんなの、絶対に嫌だ!
「ノアー! エヴァンー! 助けてー!」
なけなしの力を振り絞り、暗闇に向かって叫んだ。
その時。
「――見つけた」
上から声が降ってきた。
驚く間も無く、もの凄い勢いで何かが転がり落ちてくる。
「……え……?」
「いたた……」
それはノアの声だった。
一緒に転がり落ちて来た魔灯器が、私とノアの姿をぼんやりとした明かりで照らし出す。
ノアは私の顔を見るなり、いつもの気怠げな表情を崩して小さく笑った。
「ルル、みんな心配してる。帰ろ」
「ノア……!」
今日ほどこの男が頼もしく見えたことは無い。
私は涙でグシャグシャになった顔で、思わずノアを抱きしめた。
「この斜面が登れないのよ。誰かにロープを垂らしてもらっ……て――」
何だろう……嫌な予感がした。
すごく、嫌な予感がした。
私は、無言で斜面の先を見上げるノアの横顔に静かに尋ねる。
「……ねぇ。誰と一緒だったの?」
「独りだ」
ほらぁぁ! やっぱり嫌な予感、的中しちゃったじゃない!
「どうするの!? 二人とも穴の中じゃ、どうしようも無いじゃない!」
「俺がルルを肩車すれば……」
「あんたの身長が八メートルくらいあれば届くかもしれないわね!」
「まぁ……そのうち、なんとかなるだろう」
ノアは楽観的にそう言って、腰を下ろす。




