番外編・ルル③
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八年前――
当時、小学二年生だった私たちは、学校行事で近くの小さな山へと登った。
クラスメイトたちが、ただ山を登るだけの苦行に不満を募らせている中、ノアだけが妙に張り切っていたのをよく覚えている。
山頂でお弁当を食べた後の、自由時間。とは言え、遊具など何もない場所で出来る事など限られている。
木登りに挑む男子。おやつを囲んでお喋りする女子。木の実を拾ったり、花を摘んだりする子もいた。
そして、ノアと言えば当然――
「ザトウムシを捕まえた!」
満面の笑顔でノアが駆け寄ってきたと同時に、私の周りの女子たちが阿鼻叫喚の悲鳴を上げ、蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。
「ギャァァ! 虫ぃぃ!」
「先生ー! ノアがまた変なの持ってきましたぁ!」
「嫌ぁぁ! クモ! クモでしょそれ!?」
涙を流して逃げる子を他所に、手のひらに足の長いクモみたいな虫を乗せたノアは、不満げに下唇を突き出す。
「クモじゃない。ザトウムシだ。足は八本あるし、糸も出さない」
「そういう問題じゃないの! 虫を捕まえて来ないでって言ってるのよ!」
取り敢えずその場に残っていた私が注意すると、ノアは意外だとばかりに目を丸くした。
「でもルルも虫、好きだろ?」
「いつ好きだって言ったのよ? この距離で見るくらいならまだ我慢出来るけど、本当なら見たくもないわ」
「昨年の夏、一緒にセミ捕りしたし……」
「あれはノアパパが、沢山捕まえた方にメダルをくれるって言ったからよ」
今ならわかるけど、あれはノアパパが子供同士の遊びを盛り上げるために用意してくれたゲームだった。見事ノアを打ち負かした私の部屋には、今も金色の折り紙で作ったメダルがぶら下がっている。
余談だが、私とノアが数十匹のセミを捕まえる傍らで、セミが苦手なエヴァンは青い顔でガタガタと震えていた。
「ザトウムシ……嫌いか?」
肩を落とし、上目遣いで私を見上げるノア。
私が大きく頷くと、明らかにショックを受けた表情を浮かべて私に背を向けた。
「じゃあ次は……オサムシを捕まえてくる……」
「違う違う違う! 別の虫ならいいとかじゃないから!」
ポツリと言い捨てて再び茂みの中へと入っていくノアに慌てて声を掛けたが、多分聞こえていない。
「うちの近所では見かけない虫が沢山いるから、楽しそうだね」
ノアの虫を見て真っ先に逃げていたエヴァンが戻ってきた。
「誰も相手してあげないから、いちいち私に見せにくるんだけど。あんた、相手してあげなさいよ」
「僕はカブトムシとクワガタ以外は無理だって、ルルも知ってるよね?」
爽やかな笑顔で拒絶するエヴァンに、私は内心で舌打ちする。
私だって虫は苦手だ。ただあまりにも頻繁にノアが披露しにくるものだから、他の子たちよりも多少耐性がついているかもしれない。そしてそのせいで、私も虫好きだと勘違いをしたノアが、再び虫を持って来るという悪循環に陥っている。
そして、その弊害は他にもあった。
「ルルの近くにいると、ノアが虫持ってくるからあっちでおやつ食べようよ」
「ルルも、もっと強く言えばいいのにね」
遠巻きに聞こえる、女子たちのヒソヒソ話。私の周りから女の子たちが少しずつ離れていく。
それを見て、隣に立つエヴァンは声を上げて笑った。
「あははっ。ハブられちゃったね、ルル」
「何笑ってんのよ、このサイコパス! 女同士の付き合いは男同士よりも複雑だから気をつけろって、エヴァンのママも言ってたじゃない!」
「じゃあ女同士の付き合いなんてやめたらいいのに」
変人すぎるノアの影に隠れて目立たないが、エヴァンも相当イカれていると思う。本当は泣き虫で、普段は品行方正な優等生ぶっているけど、多分こいつは魔物を笑いながら殺せるタイプの人間だ。
「……なんでうちのママは、私を産むのをあと一年遅らせてくれなかったんだろ……」
そうすれば、少なくともこの二人と同じ学年になる悲劇は避けられたのに。
「一年遅らせたところで、何も変わらないと思うけどね。前後十年くらい離れてても、僕は大丈夫だから」
「何の話?」
「こっちの話」
訳のわからない持論を持ち出し、ニッコリと微笑むエヴァン。本当に意味がわからない。
噛み合わない会話に疲れた私は、ノアが入って行った茂みの方へと視線を向けた。
「……オサムシって、どんな虫かな。心の準備がいるんだけど」
「さぁ? 犬や猫みたいな可愛げはないだろうね」
「だよね……」
私は大きな溜め息をつく。
ここでまたノアの虫を出迎えてしまうと、クラスでの私の立ち位置が更に危ぶまれてしまう。
「どこに行くの?」
反対方向に歩き出した私を、エヴァンが呼び止める。
「ノアに見つからない場所に行って、女同士でおやつ食べるの。ついて来ないでね」
私はママが焼いてくれたクッキーの袋を握りしめ、クラスメイトの女の子たちを探し始めた。




