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36.雪が溶けたら

「あらぁ。それじゃあノアちゃんたち、今日は帰ってこないのね?」


 リュネの村、覚醒の魔王の自宅。

 魔王から事の顛末を聞かされたリリアナは、少し寂しそうな声で呟いた。


「異常な大雪を解決したことで、旅館の人たちが随分と喜んでくれてね。お礼がしたいからもう一泊してくれって、強く引き留められていたよ」


 魔王も一緒にどうかと誘われはしたものの、旅館の女将の内心は恐ろしい顔の魔王相手に震え上がっていた。それに、足止めされていた老人会の年寄りの為に、麓までの道を塞ぐ雪を片付ける必要もあった。

 そんなわけで魔王はひと足先に渓谷を下り、我が家へと戻ってきたのである。


「人助けをするなんて、ノアちゃんたち偉いわぁ。たくさん、たーくさん褒めてあげなくっちゃ!」

「うん、そうだね」


 穏やかに微笑む魔王。それから、ふと我が家の広いリビングを見渡し独りごちた。


「もっと頑張らないといけないなぁ……」

「パパはもう、十分頑張っているわよ?」

「いやいや、全然足りないよ。本当に王女様と結婚するなんてことになった時のために、もっともっと家を大きくしないとね」


 リリアナは笑顔のまま、ゆっくりと小首を傾げる。


「ノアちゃん、やっぱり結婚するの?」

「先のことはわからない。けど……」


 可能性は皆無ではない、と魔王は感じていた。

 親の目から見ても、息子はなかなか癖が強い。そんな彼を理解してくれる親友たちがいて、愛してくれる子がいる。それは、親としてこれ以上ない喜びだ。


「……帰っておいでなんて、言っちゃいけなかったな」

「うん? なぁに?」


 露天風呂でノアに言ったことを思い出していると、リリアナが少女のような澄んだ瞳で魔王を見上げた。

 その仕草があまりにも可愛くて、魔王は結婚して何年も経つというのに、初めて恋をした時のように胸をときめかせてしまう。


「……あ、そうだ! リリアナさん、これ」


 魔王は後ろ手に隠していた花束を、そっとリリアナの目の前に差し出した。

 リリアナは少し驚いたように目を開き、次の瞬間、花束に負けないくらいの満面の笑顔を浮かべた。


「嬉しい! 『初めてノアちゃんがお喋りした記念日』を覚えていてくれたのね!」

「……え? あ、あれ……? 『初めてデートした記念日』じゃなかったかな……?」

「もう、パパったら! それは明後日よ」

「……」


 思わず白目を剥いて天井を仰いだ魔王だったが、花束に顔を寄せて幸せそうに笑う妻を見ると、そんなことはどうでもよくなってしまうのだった。


⭐︎


 ヴェルデラ温泉、黒鷺亭。

 氷竜が去り、ようやく平穏な時間が訪れた。

 窓の外では、赤や黄色に色づいた木々の葉が、溶け始めた雪の間から顔を覗かせ始めていた。


「結局、虫取りはできなかった……」


 部屋の窓から大自然を恨めしげに見つめ、ノアがポツリと零す。その背中に、エヴァンが軽い調子で声をかけた。


「あんな重たい虫取り網まで持ってきたのに、残念だったね」


 残念とはこれっぽっちも思っていなさそうな顔で、エヴァンは座卓に所狭しと並べられたご馳走をつまんで口へ放り込む。

 つい今朝まで食糧危機だったので、決して豪華絢爛とは言えないが、従業員一同の感謝が込められた温かいおもてなしだ。


「はっはっはっ! なんだ、君はそんな物を持っていたのか。ヴィランかと思っていたが、まさかこのノブの熱狂的なファンだったとはね!」


 高級酒ですっかり上機嫌なノブが、高笑いと共に割って入る。


「……なんでノブさんたちまでこの部屋にいるのよ」


 ルルが半眼でぼやくが、ノブはどこ吹く風。一方のノアは、心外だと眉根を寄せた。


「お前のファンなどではない。むしろお前が俺で、俺がお前……ん? どういうことだ……?」


 またしても何が何やらわからなくなるノア。しかしノブは持ち前のスキルでノアの困惑を華麗にスルーし、自分の折れた虫取り網をガチャガチャと弄り始めた。


「な、何をしてるの、ノブ……?」


 エデンが不安げに問う。ノブは意味ありげに不敵な笑みを浮かべると、今度はノアの虫取り網を掴んだ。


「なんだ、この網は……本物の金のように重いな。しかもバルドレインの紋章入りストラップまで付けているとは、筋金入りのノブファンだな」

「欲しければ、普通の虫取り網と交換してやる」

「はっはっはっ! 勇者がこんな金ピカの武器を持っては戦えないよ」


 ノアの提案を一蹴し、ノブは器用に手元を動かす。


「よし、できたぞ」


 返された網を受け取り、ノアが首を傾げる。


「何をしたんだ?」

「グリップの先を回してみろ」


 言われるがままにそこを捻ると、カチリという手応えと共に、グリップの先から鋭い槍の穂が飛び出した。


「これは……」

「最終的に、君には助けられたからね。俺では、あんな風に平和な解決はできなかったと思う。だからそのお礼だ」


 ノアの瞳がキラキラとした少年のように輝いた。穂先を出したり収めたりを夢中で繰り返す。


「カッコイイ……!」

「そもそも……あなた方がここを訪れなかったら、誤解は解けないまま氷竜と炎竜が結託して、ヴァルテンベル・カンパニーを攻撃していたかも……そうなれば、魔族と人間の全面戦争に発展していた可能性だってあったわけですからね……」


 エデンがしみじみと言うと、レティシアは深く頷いた。


「ノア様たちは、世界を救った『勇者』ですね」


 図らずも、またしても『勇者』としての功績を挙げてしまったことに、若干辟易とした表情を見せるルル。

 するとノブが、再び大きな声を上げて笑った。


「確かに、今回の事件は新たな英雄譚の誕生と言っても過言ではない! 『王女誘拐編』の真の勇者には悪いが、この勇者ノブが『温泉郷編』として次の舞台を飾ろうではないか!」

「……うん……好きにしたらいいと思う……」


 げんなりと呟くルルの傍で、レティシアは嬉しそうに仕込み槍を弄ぶノアを笑顔で見つめていた。

 その彼女の肩に、そっとノブの手が置かれる。


「ティア。君にも感謝している。危険を顧みず敵地への案内役を買って出た勇気ある行動には、心底惚れ惚れしたよ。……どうだろう。次の街での公演の際、『王女レティシア』の役で舞台に立ってみないかな?」

「えっと……?」

「王女役の女優は出番が少ないから、現地でスカウトしてるのよ」


 ララの補足に、ルルが小声でエヴァンに囁く。


「本物の王女が王女役をやる舞台、ちょっと観てみたいわね」


 エヴァンもそれには大きく頷いて同意した。その直後。


「やらない。それからティアに気安く触るな」


 レティシアに触れていたノブの手を、ノアは汚い物を摘むような手つきで撥ね除けた。

 しかし、それでめげるノブではない。白い歯を煌めかせ、標的をルルへと移す。


「では、ルルはどうだ? 果敢に魔物に立ち向かったとエデンから聞いたよ。勇ましい王女というのも――」

「あ、1ミリも興味ないので大丈夫です」


 秒で断るルル。

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