29.三つ巴
「本当に、最悪だよ……」
エヴァンは顔を顰めた。
この火花にも、やはり殺傷能力はない。ただ酷い悪夢の中に引き摺り込まれるだけである。しかし無防備に眠りに落ちた自分たちを、氷竜がそのまま静かに寝かせてくれるとは思えない。
「お互いの為に、まずは協力してノアを倒すっていうのは――」
エヴァンの提案が終わらぬうちに、氷竜は不敵な笑みを浮かべたまま、凍てつく冷気を放った。
「協力はしない、ってことね」
炎の魔法で冷気を迎え撃つ。
「ノア様!」
「ティア! 近付いては危険だ!」
再度ノアの元へ駆け寄ろうとしたレティシアの手を、ノブが掴んで制止した。
「ノブ様、放してくださいませ! ノア様があんなにも苦しんでおられます!」
「それは彼の問題だ! 君がどうにかできるとは思えない!」
「そんなこと……っ!」
レティシアの脳裏に、この数日ノアに膝枕を拒まれ、距離を置かれたことが過ぎった。
(もしかしたら……また、拒絶されるかもしれない……)
レティシアは、昏い魔力の渦の中で力無く項垂れているノアを見つめた。
その時、ノアがゆっくりと動き出した。レティシアの――否、その隣で彼女の手を掴むノブの方へと、一歩、また一歩と歩み寄る。
握りしめた闇の剣を持ち上げ、虚な瞳にノブを捉えた。
「ノア様!? ダメです! おやめください!」
レティシアの悲鳴に、エヴァンは視線をそちらへ動かした。
「よそ見をすると怪我をするぞ!」
「っ!」
氷竜の放った矢が、エヴァンの右肩を穿つ。
焼けるような激痛に、エヴァンは肩を押さえて地面に膝をついた。
エヴァンに一歩迫る氷竜。
同時に、ノブに向かって剣を掲げるノア。
「ここまでか……!」
「さすがに……笑えない……!」
ノブとエヴァンが固く目を閉じた、その時――
「ノア君ってば、ダメでしょうがー!!」
地を這うような、凄まじい低音が響き渡った。
その直後、バチンッ! と空気が爆ぜるような衝撃音が鳴り、ノアの左頬にもの凄いビンタがめり込む。
ノアは、文字通り体ごと数メートル吹っ飛んでいった。
「ノ……ノア様!?」
ノアに駆け寄るレティシア。
ノアは、あまりの衝撃に意識を失っていた。あれほど荒れ狂っていた瘴気は跡形もなく消え、彼は雪の上でぴくりとも動かなくなっている。
「……な……」
ノブが恐る恐る顔を上げた。
その視界に入ったのは――額に2本の大きな角を生やした、2メートルを優に超える巨漢だった。吊り上がった赤い目と、大きな口から覗く鋭い牙。勇者を自称するノブですら、本能的な恐怖で息を呑むほど凶悪な面構えをした魔族だ。
新たに現れたその魔族は、じろりと瞳を動かしてノブを見下ろした。そして。
「すみませんねぇ、うちのノア君がご迷惑をお掛けしたみたいで」
「は……?」
男は巨体を極力丸めると、ノブに深々と頭を下げた。次にレティシア、そして傷付いたエヴァンにもペコペコと丁寧に頭を下げていく。
「カ……カクさん……?」
「エヴァン君。ごめんねぇ、いつもノア君の暴走に付き合ってもらっちゃって」
その恐ろしい見た目とは裏腹に、驚くほど腰の低いこの魔族こそ、ノアの父親である。
「な……か……か、覚醒の魔王様!?」
声を震わせノアの父の名を呼んだのは、氷竜。
覚醒の魔王はエヴァンの負傷した肩を見て、静かに背中を伸ばした。そしてゆっくりと、氷竜に向き直る。
「この子を傷付けたのはてめぇか、あぁ!?」
「は……っ! あ、いえ、それは……その……」
魔王の瞳に真っ直ぐに射抜かれ、ガタガタと震え上がる氷竜。その姿には、先ほどまでの威厳は微塵も見当たらない。
「旅館にいるルルちゃんから、事情は聞いたよ。痛いと思うけど、ルルちゃんに治してもらうまでちょっとだけ我慢できるかな?」
「僕は大丈夫ですけど……」
エヴァンは周囲を見渡した。
魔王に震える氷竜と、同じく震える歩けないノブ。
雪の上で伸びているノアを抱きしめ、涙と鼻水を垂れ流すレティシア。
――カオスだ。
「取り敢えず、旅館に戻りましょうか」




