25.大きなおっぱい
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一方、その頃の旅館では。
「ノブ……大丈夫かなぁ……?」
屋根に登り、大きなスコップで分厚い雪を下ろしながらエデンがため息混じりに呟いた。
視線の先には、真っ白な深雪を割って4人が進んで行った跡が続いている。彼はその道の先を、不安げな瞳で見つめた。
「本物の勇者たちの足を引っ張っていなければいいけど……あの人、信じられないくらい空気が読めないからなぁ……」
ぶつぶつと独り言をこぼしながら、雪を掻き出す手だけは動かし続ける。
そんな彼のぼやきを頭上に聞きながら、軒下にいたルルは呆れたように息を吐いた。
「本当にエデンさんて、気が小さいっていうか心配性っていうか……舞台の上と全然違うわよね」
舞台上で『魔法使いエデン』を演じている時の彼は、背筋を伸ばし、その瞳には力強い光を宿していた。モデルとなったエヴァンに引けを取らないほどの、堂々たるイケメンだったのだ。
「ま、そこが可愛いんだけどね」
ララが微笑みながら、牛乳瓶に差したストローをそっと咥える。
そんなララの否応なく存在を主張する豊かな胸元に、ルルの視線はさっきから釘付けとなっていた。
一応、『聖女ララ』のモデルはルルである。それなのに、この雲泥の差はどういうことか。
「……ねぇ。何を食べたらそんなことになるの?」
「ふふっ。『愛』かな」
「うげ……」
ルルが露骨に舌を出してみせると、ララは楽しそうに声を出して笑った。
「あなた、まだ誰かを本気で好きになったことがないんだ?」
「そんなこと……っ! ………………いや、ないわ」
反射的に否定しようとしたが、該当しそうな過去の記憶が無かった。
高校生の時に、密かに思いを寄せていた先輩に勇気を振り絞って告白した際、『君の両サイドの人たちが怖すぎて無理』とフラれたのが最初で最後。それに『本気で』と言われると、なんだか違うような気もする。
「可愛いのに勿体無いわね。あの2人のどっちかと、そういう関係にならないの?」
「その質問、今まで何十回もされてきたけど……生まれた時からずっと一緒にいたのよ。今更そんな目で見れるわけないじゃない」
心底うんざりしたように、肩をすくめてみせる。
それよりも、とルルはララに体を寄せた。
「うちのエヴァンをお気に召したようだけど、あいつ……2ヶ月で5人の女の子を泣かせた前科があるらしいわよ」
ララはきょとんとした顔で目を瞬かせたかと思うと、次の瞬間お腹を抱えて笑い出した。
「あははっ! やるわね、エヴァン君! やだ、面白い!」
「笑い事なの……?」
笑いのツボがエヴァンと似ている気がする。それならばお似合いなのかもしれないと、ルルは苦笑いを浮かべた。
「エヴァン君はあたしの『協力者』なの。もしかしたら、『共犯者』なのかもしれないけどね」
「はい? それってどういう――」
「あ……あぁっ!」
首を傾げたルルの頭上で、エデンが足を滑らせて盛大に尻餅をつく音がした。
「エデンさん、大丈夫?」
「ま、まま魔物が、こっちに来ます……っ!」
青ざめたエデンの声に、ルルは傍の梯子を一気に駆け上る。
「雪霊が3体と、氷狼が1頭……」
視界に映ったのは、雪を被った木々の間からこちらの様子を伺う飢えた瞳たち。
幸い魔物の中でも『死せる者』に属する雪霊は、攻撃魔法使いよりも回復魔法使いの方が対処しやすい相手だ。
「エデンさんは攻撃魔法は使えるの?」
「む、む、無理無理無理! い、一応初歩的なものなら……あ、いや、やっぱり無理です……っ!」
ルルは色を失った顔を必死に振るエデンから、地上のララへと視線を落とす。
しかし既に、そこに彼女の姿はなかった。代わりに旅館の中から声が漏れ聞こえてくる。
「魔物が襲ってくるらしいわよぉ! ララ、こわぁい!」
「なにぃ!? ララちゃん、こっちに隠れていなさい!」
「わしらがララちゃんの盾となって守ってやるからな!」
「ジジィども! 絶対に魔物なんぞにララちゃんのおっぱいを触らせるんじゃないぞ!」
甘ったるい声音のララに、一瞬で色めき立つ老人会のメンズたち。
宿泊客の男性陣は、もはやララの色香によって心を掌握されていた。
「……いい性格してるわ、本当に」
呆れ果てた声で呟いてから、ルルは屋根の上から魔物を見据える。
雪霊は確かな実体を持たない、薄暗い靄のような魔物である。ぼんやり光る2つの赤い目と、人間ならば心臓のある位置で淡く青白い炎が揺れている。
「姿を変えたり知り合いの声音を使って、登山者を遭難させる陰湿な魔物だったっけ」
「ルルさん……ま、魔物に詳しい、ですね……」
「一応、魔法学部の学生なんで」
魔物の知識は必須科目なのである。
ルルは笑いながら、瞬時に脳裏へ魔法陣を描き出した。
彼女が得意とするのは、魔法の詠唱も手描きの魔法陣も必要としない――『無詠唱』。
「【浄化の槍】」
白く輝く光の槍が空を裂き、雪霊に向かって迸る。
槍に貫かれた雪霊は、断末魔の悲鳴を上げることもなく霞となって消滅した。
更に2体、3体と射貫き、残ったのは氷狼が一頭のみ。
「さて……どうしようかな」
物理的な破壊を伴う攻撃魔法は、ルルの専門外である。
ちらりと隣のエデンを見てみたが、未だにガタガタと震えていて頼りにできそうにはない。
「エデンさんは、引き続きそこで見張りよろしく」
梯子を滑り降りたルルは、一旦旅館の中へ入っていく。
旅館に常設されていた非常用の古びた剣を手に取ると、それを握り締めて氷狼の方へと歩き出した。
「え……!? ちょ、ちょっと、ルルさん……!?」
驚愕するエデンを無視して、魔物との距離を詰めていく。
そして。
「【捕縛】」
光の縄が蛇のように伸び、氷狼を雁字搦めにして捕らえた。
大きな口までも縛り上げた為、氷狼はなす術もなく雪の上に転がる。
「あー、嫌だなぁ……来世は無害なワンちゃんに生まれてきてね……っ!」
ルルは盛大に顔を顰めながら、抜き身の剣で魔物の急所を刺し貫いた。
「うぅ……気持ち悪いよぉ……!」
動かなくなった魔物から剣を抜き、足早にその場から離れる。
その背後に新たな殺気を感じたのと、エデンの声が飛んできたのは同時だった。
「ルルさん! 後ろ!」
「……っ!?」
咄嗟に振り返ったルルの視界に入ったのは、隠れていたもう一頭の氷狼だった。
研ぎ澄まされた爪を掲げ、裂けんばかりに開いた顎がルルに迫る。
(あ、やらかした……!)
一頭倒した安堵で完全に油断していた。この距離では無詠唱すら間に合わない。




