19.言語化
「……なんでだろうねぇ……」
ルルは腕を組み、ため息をつきながら首を傾げた。
視線の先には、申し訳なさに身を縮めたレティシアの姿がある。
ただしその姿は、美しく可憐な王女などではない。
髪は手入れを忘れた野草のごとくボサボサで、肌は土気色。艶などどこにも見当たらない。体重は普段の彼女の3倍はありそうな巨体で、短く伸びた手足には針金のような剛毛がびっしりと生え揃っている。
ルルが初めてレティシアに出会った時の、あの姿である。
「なんで他のものには変身できないのに、この姿だけは完璧なのかしら……」
「面目ございません……私が不甲斐ないばかりに……」
しょんぼりと肩を落とすレティシア。
その隣でエデンがおどおどと落ち着かない様子で、それでも興味を抑えきれないのか、巨体の周囲を恐る恐る検分するように回っていた。
「あ……の、変身魔法は……ものすごく高度な技術と、知識が必要なんです。だ、だから、これだけだとしても……変身できる力を持っているのは、本当は大したこと、なんだと思うのですが……王女殿下に向かって、僕なんかが生意気言ってすみません……っ!」
「まぁ、それはそうなんだけど……」
ルルの通う大学の魔法学部ですら、変身魔法を実用レベルで扱える生徒は片手で数えるほどしかいない。エデンの卑屈な物言いを差し引いても、その評価は正しい。
「ち、ちなみに……このお姿は何をイメージして構築されたんですか? ……古代の文献に載っている幻獣か何か……ですか?」
消え入りそうな声で尋ねるエデンに、レティシアは柔らかい笑みを浮かべた。
「これはお父様が描いた絵を参考にいたしました」
「あの国王陛下がねぇ……」
おそらくあの王は面食いだ。そんな王がイメージする『醜い姿』というのが、コレだということだろうとルルは推測する。
「絵を描くのが苦手なお父様が、一生懸命に描いてくださったんですよ」
エデンはこめかみを指先で叩き、目を泳がせながら、思考を巡らせる。
「レティシア様は……お父上の期待に報いる努力をされた、と……?」
「はい。初めて成功した時は、とても喜んでくださいました」
レティシアはその異様な姿のまま、愛おしそうに目を細めた。
「……なんだか私にも分かってきたかもしれないわ」
ルルは座卓に戻り、座ってお茶を啜る。
「ティア様がその姿に変身できるのは、とても強い『お父様のため』っていう想いなんじゃないかしら」
「想い……ですか?」
ルルの正面に座り、真剣な目で耳を傾けるレティシア。
「想いを力に変えられるのは素晴らしいと思うけど、やっぱり一番必要なのは、自分自身の意思よ。ティア様からは、魔法を『操る』と言うより『操らせていただきます』っていう謙虚な意思を感じるの。それじゃあ上手くいきっこないわ」
「……」
レティシアは口を閉ざし、静かに視線を落とした。
ルルが言ったような自覚はない。しかし心当たりならある。
王女として、何不自由なく愛されてきた彼女は、つい最近まで自分自身の好きなものさえわからず暮らしてきた。何かを強く望んだこともない。
特に秀でた才能もなく、自分にできることは可能な限りの『奉仕』だけ。
「こ、こんなことを王女様に言ってはいけないのかもしれませんけど……」
おずおずと、エデンが遠慮がちに口を開く。
「王女様は、ご自身に自信がないのではないでしょうか……」
「自信……?」
「す、すみません……っ! でも僕も、自信がなくて……ぼ、僕は、舞台の上でしか魔法が使えないんです……魔法って言っても大したアレじゃないんですけど……」
エデンは顔を上げ、レティシアの目を見つめて必死に言葉を紡ぐ。
「舞台の上の僕は、僕じゃないって言うか……別の人物を演じているから、自信が持てるんです。本当の自分には、な、何もないから……だ、だから王女様も自信を持てば――」
その時。
部屋の襖が勢いよく開き、頭から煙のように黒い瘴気を上らせたノアが入ってきた。
ノアはレティシアが変身していることについては何も言及せず、まっすぐに彼女の所まで進んで隣に腰を下ろす。
「……」
「……ノア様?」
無言のまま、なんだか様子のおかしいノアに首を傾げるレティシア。
ノアは明後日の方向を見ながら、彼女に温泉饅頭の入った紙袋を突きつけた。
「ノア様。これは……?」
「……やる」
短く言ってから、今度は堰を切ったようにノアから言葉が溢れ出した。
「俺はこし餡派だからうまいと思ったが、もしかしたらお前の口には合わないかもしれない。だとしたら、甘いものを食べると気持ちが落ち着くかもしれないと考えた俺の誤算だ。ちなみにこれは謝罪ではない。何故なら俺は、何が悪いのか分かっていないからだ。そう言うと不遜だと思うかもしれないが、そうではない。俺は言葉を選ぶのが下手だから、相手に上手く意図が通じないだけだ」
「ノア。ノア、ちょっと! 急に喋り出すと怖いんだけど!?」
「……」
ルルに遮られると、ノアは再びぴたりと無言になった。
レティシアは呆気に取られたように口を半分開いたまま、押し付けられた紙袋をそっと受け取る。
まだほんのりと温かい。
「私のことを……考えて、購入してくださったのですか……?」
ノアは小さく頷く。
その瞬間、レティシアの顔が、土気色の肌を突き破らんばかりに輝きを放った。
「ルル様! こちらのお饅頭を永久保存する魔法はございませんか!? 我がバルドレイン家の至宝として、末代まで語り継ぎたいのですが!」
「……普通に食べちゃった方がいいと思うわよ」
レティシアのあまりの喜びぶりに引きつつも、ルルはニヤニヤとした笑みを浮かべてノアを小突いた。
「ねぇ、私にはお饅頭ないの?」
「ない。……それより、今の言葉で意図は伝わったか?」
「さっきの長々と何か言ってたやつ? 意味わかんなかったけど」
ノアはあからさまに絶望したような顔で沈黙した。
この部屋に辿り着くまでの廊下で、彼なりに必死に考えた言葉だったのだが。
「……馬鹿ねぇ」
ルルは笑って、ノアの頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
(『無自覚に傷付けてごめんね』って言えば済むのに)
この致命的に不器用な男が、ルルにとってはかけがえのない友なのだ。
「ノア様。とっても美味しいですわ。ありがとございます」
満面の笑顔で、少しずつ、少しずつ大切に饅頭をかじるレティシア。
そんな彼女の頭に、ノアの手が無意識に伸びかけたが――
「久しぶりだな、チャッピー」
視界に入ったのは、逞しく変異した彼女の腕だった。ノアはそのゴワゴワとした剛毛を恍惚とした表情で撫で回す。
「うん、うん。この適度な弾力、絶妙な手触り……俺のハリネズミのチャッピーと完全に……一致……」
ノアの瞼がとろりと落ちる。
ノアがかつてペットとして飼っていたハリネズミの『チャッピー』。以前はそれが、ノアの安眠装置だった。
今は亡きチャッピーの手触りや温度を奇跡的に再現してしまったのが、この変身したレティシアの腕なのである。
「あ。これ、寝るかも……」
ルルが期待を込めて息を呑んだ瞬間、ノアは慌ててレティシアの腕を離して距離を取った。
「危ない……っ! 眠るところだった……」
「ちょっと! 私が馬車で言ったことを気にしてるなら、撤回するわ。いい加減、意地を張らずに寝なさいってば!」
「……もう少しで言語化できそうなんだ。邪魔をするな」
ルルを鋭く睨みつけ、ノアは再び部屋を出ようと背を向けた。
だが、その足がぴたりと止まる。頭の中でエヴァンの言葉が蘇った。
『ノアがどう思って、どうしたいのかを伝えるんだよ』
ノアはくるりと振り返り、ちびちびと饅頭を食べるレティシアを見据える。
「饅頭を嬉しそうに食べるお前を、俺は可愛いと思った。俺に対して負の感情を抱いていたなら、許して欲しい」
そしてレティシアの答えは聞かず、乱暴に襖を閉めて出て行ってしまった。
しん、と束の間落ちる静寂。
その静寂を打ち破ったのは、レティシアが床に崩れ落ちる音。
「王女殿下!?」
「ティア様!」
慌てて駆け寄ったエデンとルルが見たのは、顔をこれ以上ないくらい真っ赤にした、幸せそうなレティシアの顔だった。




