18.温泉饅頭
「温泉饅頭をひと……ふたつ」
売店にて、ノアは温泉饅頭を購入した。
湯気が立ち上る蒸篭から取り出された、熱々の饅頭。紙袋越しに伝わる熱を指先で確かめながら、売店横の長椅子に腰を下ろす。
「夕食前にふたつも食べるの?」
後をついてきたエヴァンが隣に座った。
ノアは無言で饅頭をひとつ取り出し、かぶりつく。
ふかふかの柔らかい生地に包まれた、熱を帯びた甘いこし餡。それらが口の中で溶け合い、ノアの胸の内に居座る不快な靄を少しだけ霧散させた。
「ひとつは、レティシアにやろうかと……」
「え!?」
意外な返答に、エヴァンは素っ頓狂な声を上げた。
「どうしたの、ノア? 君がおやつを誰かにあげるなんて、熱でもあるんじゃないの? それともこの異常気象の影響?」
「失礼な奴だな」
本気で心配するエヴァンを、半眼で睨みつける。
「……あの勇者が、俺がレティシアを泣かせたと言っていた」
「ああ、言ってたね。ノア、また何か無神経なこと言ったの?」
ノアは饅頭をゆっくりと咀嚼しながら、記憶を辿った。
あの部屋の中での会話を思い出そうとするが、細かいことまでは覚えていない。
「……わからん」
結局、心当たりが全くない。
「本当に俺が泣かせたのか? 俺に自覚がないのに、まるで謝罪するかのように饅頭を渡すのは違う……か? しかし、甘いものを食べると元気が出るし、渡した方がいいのかも……?」
ぶつぶつと呟きながら腕を組むノア。次第に頭から黒い瘴気がブスブスと吹き出し始めた。
「ノア、ストップ。考え事をするなら、一度ちゃんと寝た方がいいよ」
エヴァンに肩を叩かれ、ノアは思考を中断させた。
「……でも、そんな風に誰かを知ろうとするノア、初めて見るね」
エヴァンは小さく笑う。
この幼馴染は昔から、自分の興味のあること以外には徹底して無関心だった。
今まで一度も浮いた話は聞いたことが無かったし、読んでいる本は昆虫図鑑か、よくわからないマニアックなものばかり。
きっと恋愛の『れ』の字も知らないはずだ――そう思ってエヴァンは、手助けしてやることにした。
「ティア様はさ、ノアのことが好きなんだよ」
「知っている」
あっさりと頷くノア。
エヴァンは一度大きく瞬きをしてから、深いため息をついた。
「あのね、『好き』っていうのはノアが温泉饅頭を好きっていうそれとは違うよ? カブトムシやクワガタが好きなのとも違う」
「……お前は俺を、子供か何かだと思っているのか?」
残りの饅頭を口に放り込み、飲み下す。
「生物学的な生殖本能に基づいた、男女としての好意を向けられているのは分かっている。……あいつは、わかりやすいからな」
「……」
エヴァンは無言で天井を仰いだ。
そのまま数秒間、思考を整理する。
「……じゃあ、何がわかんないの?」
「俺は結婚などしたくない。しないとハッキリ言った」
「言ったね」
レティシアの父親、姉妹たちの前でそう断言していた。
「それはレティシアも承知した上で、ここに来たはずだ。それでもあいつは、俺に毎日膝を貸してくれると言った。だから俺は借りた。……それの何が良くないのか、俺にはわからない」
不貞腐れたような顔でノアは呟く。
「あー……なるほど。そういうことか」
エヴァンはノアの陥っている状況を、ようやく把握した。
この男は、他人の気持ちが理解できないわけではない。
「ノア……君に足りないのは、圧倒的に『言葉』だよ」
「言葉?」
「今のノアの話を聞いただけだと、ティア様はノアにとって『都合の良い女』だって言っているように聞こえるよ」
「それは……」
ノアは眉間に皺を寄せる。
「……言葉が良くないし、何か違う」
「だろ? ちなみに君が例えた『枕』も、僕やルルには同じ意味に聞こえる。ノアが思っていることが、僕にすらちゃんと伝わっていないんだよ」
手の中の紙袋へ視線を落とし、ノアは沈黙した。
「君は言葉を飾らない。だから時々、意図せず人を傷付けてしまうけど……そうだなぁ、言葉に感情を乗せるといいかも。ノアがどう思って、どうしたいのかを伝えるんだよ」
ノアは頭を乱暴に掻き回し、立ち上がった。
「俺には難しい……が、善処はしよう」
そう言ってノアは、売店を後にした。




