14.魔法使いエデンと聖女ララ
エヴァンは盛大に肩を揺らし、笑った。周囲を憚って声は抑えているものの、その引きつった笑い方はかえって不気味だ。
「……昔から思っていたが、俺はお前の笑いのツボが本気でわからん」
「いや、だって……っ! あぁ、もう……っ、苦しい、息が……っ」
涙を流して笑い転げる幼馴染を、ノアは呆れた顔で見つめる。
凍えた体を囲炉裏で温めた後、4人は連れ立って温泉に入ることにした。
源泉掛け流しの湯船は少し熱めだが、長い時間冷気に晒されていた体を芯から温めていく。
「こんな季節に吹雪で遭難して死にかけただけでも面白いのに、助けてくれたのが自分たちの偽物だったなんて、傑作すぎるだろ?」
「死にかけたのに面白いのか……?」
今に始まったわけではないが、エヴァンの感性は時々致命的にズレている。
ノアは諦めたように大きく息を吐き、首まで湯船に沈み込んだ。
「やっぱり温泉は気持ちがいいね。命の洗濯って言うのも頷ける」
「……そうか? 広いだけで俺は別に」
「これが露天風呂だったら最高だったんだけどな」
2人が入っているのは、広々とした内湯。
ガラス戸の向こうには本来、見事な紅葉を望める露天風呂があるのだが、あいにくの猛吹雪で今は閉鎖されている。
「わざわざ外で風呂に浸かる必要がどこにある」
「わかってないなぁ! 隣は女風呂だよ? 外だから会話が筒抜けなんだ」
エヴァンは、さも高尚な真理を説くかのような、無駄に爽やかな笑顔で身を乗り出す。
「女風呂から、ルルとティア様の会話が聞こえて来るんだよ? 『ティア様って脱ぐとすごいのね』『ルル様はお肌ツルツルですわ』とかなんとかキャッキャしたやりとりが! 僕はそれを聞きながら、風流を楽しみたかったんだ!」
「……」
可哀想なものを憐れむような視線を、幼馴染に向けるノア。
その時、内湯の引き戸が開いてノブが入って来た。
「はっはっはっ! 気持ちは痛いほど分かるよ、青年! 男のロマン! 俺も全く同じ気持ちだ!」
「アルフォンス……勇者がそんな下劣な欲望を垂れ流しちゃダメでしょ……」
ノブの後ろから、肩をすぼめて控えめに現れたのは『魔法使いエデン』。
「エデン。公演が終わるまで、俺のことはノブと呼べと言っただろう」
「あ……ごめん、つい……」
舞台の上ではあんなに堂々とした魔法使いを演じていたというのに、今の彼にはその面影はない。さながら『町人A』のような影の薄さと覇気の無さである。
「ど、どうも……エデン、です……」
エデンは消え入りそうな声で呟き、ノアたちに小さく頭を下げた。
「僕はエヴァン。こっちはノア。お2人の舞台、アストリアムで観ましたよ。とても壮大で迫力があって、色んな意味で楽しませてもらいました」
「ありがとうございます……でも、色んな意味でって……?」
「感動しただろう? 後で特別に、俺のサインをプレゼントしてやろうか?」
「あ、結構です」
ルルと全く同じ顔、同じトーンで即答するエヴァン。
しかしノブは特段気を悪くした様子もなく、掛け湯をしてから湯船に入った。
そして何故か、ノブとエヴァンのすぐ隣に腰を下ろす。
「ふぅーっ。やはり温泉っていうのは、1日に何度入ってもいいものだね」
「こんなに広いのに、なんで近くに来るんだ……」
「ノアとエヴァンだったね。今のうちに君たちに確認しておかなければいけないことがある」
都合の悪い言葉は聞こえないスキルを持っているらしい。ノアの呟きを完全にスルーしたノブは、更に2人との距離を詰めてきた。
「レティシアとルル……あの2人は、君たちの彼女かな?」
「……」
この男は唐突に何を言い出すのか。
ノアとエヴァンは湯気の中で顔を見合わせた。
「違いますけど……?」
「それならば良かった!」
エヴァンの返答を聞くや否や、ノブは歯を見せてニカリと笑う。
「俺に出会った女の子たちは、俺に心を奪われてしまうことが多くてね。九死に一生を得たばかりの君たちが、恋に破れてまた悲しい思いをするのではないかと危惧していたんだよ」
「はあ……」
開いた口が塞がらないエヴァンの脳内で、この男にメロメロになり、頬を染めて寄り添うルルとレティシアの映像が再生される。
あり得ない。
絶対に、あり得ない。
だがそれ故に――
「……っ、それは、最高に面白い……っ!」
エヴァンは再び、震える肩を抑えて笑い出した。
⭐︎
「ぷはぁーっ! 生き返ったぁ! 温泉最高だったねー!」
頬を血色の良いピンクに染めたルルは、湯上がりのフルーツ牛乳を一気に喉に流し込んだ。
隣で濡れた長い髪を束ねたレティシアも、いちご牛乳を口に含んでニコリと微笑む。
「良い湯加減でしたね。ルル様とご一緒できて、とても楽しかったですわ」
「……ちょっとだけ、神様の不平等を恨んだりもしたけどね」
何故神は、同じ人類にこうも手足の長さや肌のきめ細やかさ、胸の豊かさに差をつけたのだろうか。
「不平等、とは……?」
「ううん、なんでもない!」
慌てて笑って誤魔化し、残りのフルーツ牛乳を飲み干す。
「それにしても……本当にごめんね。私たちがティア様を守らないといけなかったのに、逆に助けてもらっちゃって」
「ルル様……」
レティシアは視線を手元の瓶に落とし、小さく息を吐いた。
「ルル様。私は――」
彼女が何かを紡ごうとしたその時、男湯の引き戸が開いて暖簾が大きく揺れた。
「あ。やっとノアたち上がってきた」
椅子から立ち上がるルル。
レティシアは開きかけた唇を結び直し、その後に続いた。
「やぁ、レディたち。待たせたかな?」
一番に姿を現したのはノブだった。
彼は無駄にキラキラした笑顔を浮かべながら歩み寄ると、ルルの手に触れた。
「風呂上がりのフルーツ牛乳とはいいね。俺も一本貰おうかな」
「ど、どうぞ、ご自由に……」
せっかく温まっていた体に一気に寒気が走り、ルルは引き攣った笑顔を浮かべながらそっと手を解く。
ノブの後ろから出てきたエヴァンがルルのその露骨な拒絶反応を見て、堪らず吹き出した。
「……本当に楽しそうだな、お前は」
エヴァンの横を通り抜け、売店へ向かうノア。
「俺はコーヒー牛乳にする」
彼がレジに近付くと、ちょうど会計をしようとしていた妖艶な女性がそれに気付き、レジ横のコーヒー牛乳の瓶を手に取った。
「はい、どうぞ」
形の良い唇を上げて微笑む女から、瓶を受け取るノア。財布を取り出そうと浴衣の袂に手を伸ばすと、女はその手をそっと上から押さえた。
「奢るわよ」
女は吐息が届く距離で囁き、ノアの瞳をじっと見つめる。
しかし。
「亡き祖母が、タダより怖いものはないと言っていた」
ノアは1ミリも表情を変えぬまま、コーヒー牛乳の代金をカウンターに置いてエヴァンたちの元へ戻った。
「ははっ。フラれたな、ララ」
そのやり取りを見ていたノブが笑う。
『聖女ララ』は軽く肩をすくめてこちらへとやって来た。




