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13.勇者ノブ

「あらあらあら! 大変! すぐに体を温めなきゃ!」


 旅館の女将は凍えたノアたちを見るなり悲鳴を上げた。

 即座に仲居たちが動員され、意識が混濁していたルルとエヴァンは手厚い介抱とともに奥へ運ばれていく。


 一方、比較的体力の残っていたノアとレティシアは別室へと案内された。

 濡れた衣類を脱ぎ捨て、糊のきいた旅館の浴衣に袖を通す。さらに分厚い毛布にくるまり、火を入れた囲炉裏の側に腰を落ち着けると、ようやく人心地つくことができた。


「いやぁ、とんだ災難だったね」


 不意に声を掛けてきたのは、ノアたちを見つけてくれたあの男だった。両手に湯気を立てるココアのカップを持ち、爽やかな足取りで現れる。

 艶のある金の髪に、整った形の青い眼。がっしりとした体躯をした、二枚目の好青年である。


「あの2人も無事みたいだよ」

「良かった……っ」


 カップを受け取りながら、レティシアは心の底から安堵した。

 両手で温かいカップを包むと、張り詰めていた気持ちがようやくほぐれ、じんわりと瞳に涙が浮かんだ。


「怖かっただろう? よく頑張ったね」


 男は、隣に座っていたノアを肩で押しのけるようにして、レティシアとの間の狭い隙間に体をねじ込んできて座る。


「本当に、ありがとうございました。あなた様が来てくださらなければ、私たちは……」

「感謝してくれるなら、笑顔を見せて欲しいな。女の子には涙よりも、笑顔が似合う」


 男はレティシアを見つめ、白い歯をきらめかせた。

 至近距離で放たれた歯の浮くようなセリフに、ノアは飲みかけたココアを噴き出しそうになる。


「……そんな臭い――」


 そんな臭いセリフを実際に吐く人間を初めて見た――と、ノアは言おうとしたのだが、男はその視線を別の意味で捉えたようだ。


「おっと! 気付かれてしまったようだね」


 男はどこか嬉しそうに、金の前髪を掻き上げた。


「俺はアルフォンス=レオパルド=ド=ラ=ヴァルテンベル――そう。世間では今、勇者ノブと呼ばれる方が多いかな」

「勇者、ノブ……?」


 聞き覚えのある名に、ノアの脳裏にアストリアムの劇場で観た芝居がぼんやりと甦る。

 言われてみれば、あの時の主役の男と同一人物かもしれない。……いや、本当のところは顔なんていちいち覚えていない。

 むしろ、どの店を探しても虫取り網が品切れだった時の、あの言いようのない腹立たしさだけが甦ってきた。


「お前のことは恨んでいたが、助けてもらった恩がある。今は水に流してやろう」

「君に恨まれることをした覚えはないんだけど……?」


 ノブが不思議そうに首を傾げると、芝居のことなど知らないレティシアが純粋な疑問を口にした。


「こちらは勇者ノブ様が経営されているお宿なのですか?」

「いや、俺もここの宿泊客だよ。アストリアムでの千秋楽を終えてね。次の街での公演まで羽を伸ばしに寄ったんだ」


 ノブは昨日、ここへ到着したのだと付け加えた。


「美女のピンチに駆けつけることができるなんて、勇者冥利に尽きるね」

「……役者だろ?」


 ノアの呟きに、ノブは人差し指を左右に振ってみせる。


「俺は役柄を自分に憑依させるタイプの役者でね。この公演が終わるまで、俺は私生活でも勇者なんだよ」

「徹底していらっしゃるのですね」

「まぁ、プロだからね」


 キラリと光る歯。

 なんでその歯はそんなにも都合良く光るのだろうかと、ノアは冷め始めたココアを啜りながらぼんやりと考える。


「それで……この異常な猛吹雪については、何かご存知ですか?」

「さぁ……? 女将さんも、これほどの雪は生まれて初めてだと慌てていたよ。ここ数日、例年になく冷え込んではいたらしいけどね」


 レティシアは不安げに眉を寄せる。


「リュネの村の近くで、雪山にしか生息しない魔物と遭遇いたしました。この異常気象と、何か関係があるのでしょうか」

「そうかもしれないね」


 頷いたノブは、人の良さそうな笑顔を浮かべてレティシアを見つめていた。顔の距離もいつの間にか妙に近い。


「君、名前は?」

「あっ。申し遅れました。私はレティシア――……です」


 フルネームを名乗りかけたが、咄嗟に飲み込んだ。王女だと知られれば、エヴァンが無理をした時のように、また周囲に余計な気遣いをさせてしまうかもしれない。


「バルドレインの攫われた王女と同じ名前だね。……驚いたな。なんだか運命を感じるよ」

「運命……ですか?」

「俺は今、その王女を救い出した勇者を演じている。その俺が、同じ名を持つ君という美しい女性を救う……これを運命と呼ばずして何と呼ぶのかな」


 ノブが感極まった様子でレティシアの手を握ろうとした、その時。

 ドタドタと廊下を駆ける騒がしい音が近づき、襖が勢いよく開かれた。


「ティア様ー! ティア様! 無事!?」

「ルル様!」


 真っ青な顔で飛び込んで来たルルを見て、レティシアの顔がぱっと明るくなる。


「ルル様こそ、ご無事で何よりです」

「怪我はしてない? 霜焼けは? ごめんね、私としたことが一番最初にへばっちゃって」


 レティシアの体を隅々までチェックし、指先にあった小さな擦り傷を見つけると、回復魔法で光の中に消し去った。


「私は平気です。それよりも、エヴァン様やノア様を診て差し上げてください」

「エヴァンは治してきたわ。ノアは大丈夫でしょ。頑丈だから」


 ココアを啜るノアを一瞥しただけで、あっけらかんと言い放つ。

 そのいつもと変わらないルルの様子に、レティシアは安心し微笑んだ。


「それよりも聞いてよ! さっき廊下で、『勇者ノブ』のお芝居に出てた『聖女ララ』役だった人がいて……」


 話の途中で、ルルの視線が不自然な位置に座っているノブに止まった。


「……ノブ?」


 ノブは優雅に立ち上がり、ルルに右手を差し出す。


「俺はアルフォンス=レオパルド=ド=ラ=ヴァルテンベル。勇者ノブと呼んでくれて構わないよ」

「名前、長っ……じゃあ、ノブさんで。私はルル。もしかして私たちを助けてくれたのって、ノブさん?」


 差し出された手を握り返すルル。


「まぁね。大事に至らなくて本当に良かった」

「ひょっとして……『魔法使いエデン』もこの旅館にいたりします?」

「ああ、いるとも! 俺たち3人のサインが欲しいのかい?」


 ルルは無表情で即答した。


「あ、別にいらないです」

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