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12.遭難

「どうしたの、ノア?」


 じっと雲の流れを追うノアを真似して、エヴァンも空を見上げた。しかし雲がゆっくりと流れているだけで、特別な変化は見当たらない。


「やけにカメムシが多い。それに雪虫もいる……」


 ノアは足元の落ち葉をかき分け、ひっくり返った虫を見つけた。


「どちらも根拠のない噂だが、雪が降る兆候だと言われている。それに、妙に他の虫が少ない」

「雪ぃ? この辺はあんまり降らないわよ。ましてやこんな時期に」


 馬鹿馬鹿しいと笑い飛ばすルル。

 ノアはしばらく無言で立ち尽くしていたが、やがて小さく息を吐いて遊歩道へ戻ってきた。


「……考えすぎか」

「肌寒いし、早く旅館に向かいましょ」


 そうして一行は、赤や黄色に色付いた紅葉の中を歩き出した。


 ――1時間後。


「ど、どどどういうことなの……?」


 猛吹雪を顔面で受け止めながら、ルルは噛み合わない歯をガタガタと鳴らしていた。

 突然雲行きが怪しくなったと思えば、はらはらと雪が舞い始めた。そしてあっという間に、目の前の視界を奪うほどの猛吹雪と化したのだった。


「ほらな」


 寒さに肩を震わせながらも、どこか誇らしげなノア。だが誰もそれに反応する余裕はない。


「明らかに異常だね……とにかく一刻も早く寒さを凌げる場所へ移動しないと」


 エヴァンは前へ踏み出す。その腕を、ルルが掴んで止めた。


「ま、待って。旅館て、そっちだっけ?」

「あれ? 違う?」

「私の感覚だとあちらの方角なのですが……」

「マジで? 私はこっちだと思ってた」

「俺はそっちだと思うが」

「いやいや、こっちで合ってるよ」


 4人はそれぞれ別の方向を指差した。

 もともと土地勘のない場所で視界を遮られ、雪も積もっている。足跡も消え、完全に方角がわからなくなった。


「……詰んだ……?」

「諦めるのが早いよ、ルル。ヴェルデラ温泉は火山性だ。地熱があるなら雪の薄い場所があるかもしれない。なければせめて風を遮る岩場を探そう」


 そう言いながらエヴァンは上着を脱ぎ、それをレティシアの肩にかける。


「いけません! エヴァン様が凍えてしまいます!」

「王女様に万が一があって、首を跳ねられるよりはマシだよ。だから着て」

「……っ」


 そう言われてしまうと、レティシアには何も言い返せない。唇を噛み、ゆっくりと頷いた。

 とにかく風を避けられる所を探すため、4人は再び歩を進める。


「エヴァン……炎系の魔法とかでどうにかなんない……?」

「これだけ吹雪いていると無理だよ……ルルこそ、何か便利な魔法はないの?」

「あれば……とっくに使ってるわよ……」


 ルルの声が次第に小さくなっていく。いつの間にか、最後尾で足を止めていた。


「ルル様。列から離れない方が――」


 そう言ってレティシアが肩に触れた瞬間、ルルの体がぐらりと傾いた。


「ルル様!?」

「ごめ……もう、無理……かも……」


 唸りを上げる風の音で、真っ白な唇から漏れた声はほとんど聞き取れない。


「ルル! 眠ったら死ぬよ!」

「も……歩け、ない……」


 エヴァンがルルの体を強く揺する。だが凍りついた睫毛は、ゆっくりと閉じられていく。

 ノアはルルの前にしゃがみ込むと、彼女を背中に担いだ。


「……行くぞ」


 ――それからどれくらい歩いただろうか。

 何時間も経ったような気もするが、実際には30分ほどかもしれない。


 指先はとうに麻痺し、今、自分の手が握っているのか開いているのかさえもわからない。雪を踏み締めているはずの足裏も、随分前から感触を失っている。

 背に担いだルルの唇は血の気を失い、そこから漏れる息遣いは今にも途切れそうに細い。


「ノア様っ! エヴァン様が……!」


 暴風の唸りに混じって、悲鳴にも似たレティシアの声がかすかに届く。

 ノアが振り返ると、雪の上に倒れ伏したエヴァンの姿があった。レティシアが必死に腕を引き、助け起こそうとしている。だが彼女にも、もはやそれだけの力は残っていない。


 ノアは祈るような気持ちで天を仰いだ。そこに広がるのは変わり映えのない、まるで暴力のような白。非情な横殴りの雪。


(なんで――)


 胸の奥で、噛み締めるように呟く。


(なんで温泉に入りにきただけなのに、遭難してるんだ……?)


 そうして、ようやく冒頭へと繋がる。


「レティシア。お前だけでも、変身魔法でここを脱出できないか」


 ノアは静かにルルを雪の上へ下ろしながら言った。

 レティシアは拳を強く握り締め、かぶりを振る。


「できません……」

「そうか」


 ノアの疲労の色も濃い。もうルルを担いで歩くことはできない。


(ミエールお姉様みたいに魔法を上手に扱えたなら、皆様をお助けできるかもしれないのに……)


 今も何かに変身できないかと試みているのだが、魔力は空回りするばかりだった。


(……情けない……)


「俺の能力は相手を眠らせることだが――」


 ノアは雪の上に横たわる幼馴染2人に視線を向けたまま言う。


「ここでお前に使えば、苦しまずにあの世へ行けるぞ」

「ノア様!」


 レティシアは両手でノアの頬を押さえ、顔を覗き込む。


「最後まで足掻きましょう! ノア様はあの長い剣を出せますか? 近くに人がいれば、目印になるやもしれません。私は――」


 両手を握り締め、立ち上がる。


「叫びます!」


 大きく息を吸い込み、残りの力を振り絞る。


「どなたかいらっしゃいませんかぁぁぁ!」


 風の音に負けじと、喉を限界まで開いて大声を上げた。そしてもう一度、肺いっぱいに冷たい空気を吸い込む。


「お助けくださあぁぁぁい!」


 きょとんとした顔でレティシアを見ていたノアだったが、小さく唇の端を緩めると5メートル超の漆黒の魔法剣を顕現させた。それを空に向かって掲げ、彼も声を張り上げる。


「おーい! ここだー!」


 剣を左右に振りながら、再び息を吸う。

 その時だった。


「……ノア様。今、人の声が」

「ああ、聞こえた」


 2人は固唾を飲み、風の音に混じって確かに聞こえた声の方を見つめる。


「君たち、大丈夫かい?」


 現れたのは、この猛吹雪にはあまりにも似つかわしくない、浴衣姿の男だった。


「湯上がりだから平気かと思ったけど、この吹雪じゃやっぱり寒すぎるね! それから君のその剣、何!? 黒っ! 長っ! キモっ!」


 生死の境にいたノアたちとは明らかに違うテンションで男は近付いてくると、雪に埋もれかけたルルを軽々と抱き上げた。


「ほらほら、君はそっちの子を担いであげて。無理そうなら、他の人呼んで来ようか?」

「あ、あの……! 近くに雪を凌げる場所があるのですか!?」


 レティシアが尋ねると、男はやけに白い歯を見せて笑った。


「ここ、旅館だけど」


 吹雪のせいで見えていなかった。

 ほんの数メートル先。

 目を凝らせば明かりが灯っている。


「ヴェルデラ温泉、黒鷺亭へようこそ」

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