何もしない院長パート65「院長は掃除のおばちゃんとも仲良し」
朝、まだ病院の空気が冷たい時間。
院長・野上が正面玄関を通ると、最初に顔を合わせるのは警備のおじさん。
「おはようございます、今日もご安全に」
軽く会釈して院内に入ると、すぐにモップを持った掃除のおばちゃんと出会う。
「せんせい、腰だいじょうぶけ?」
それが嶌田さんの口癖だった。
「いやいや、嶌田さんこそ、毎朝こんなに早くからご苦労さん。ほんと助かってるよ」
そう答えるのが野上の日課。
■休憩室から院長室へ
嶌田さんは北海道の出身。当地には親族もなく、一人暮らし。
年に数回は実家に戻るらしいが、普段はこの病院が「家族」に近い存在だった。
最初は廊下で交わす挨拶だけ。
だが、いつしか掃除の合間に一言二言、世間話をするようになり、
最近では休憩時間に院長室に立ち寄って、二人で羊羹を切り分ける仲になっていた。
「こっちの羊羹、甘さ控えめでいいねぇ。北海道のはもっとどっしりしてて…」
「へぇ、そうなんだ。わしは昔ながらの甘いのが好きだけどな」
そんな他愛のない会話が、意外に院長室の空気を和ませる。
外科医や看護師が緊張して入ってきた時に、嶌田さんが座ってお茶をすすっているのを見て拍子抜けすることもあった。
■ささやかな支え
「嶌田さん、ここの病院、大変だと思わん?」
ある日、野上がふと尋ねると、彼女はモップを立てかけて笑った。
「いやぁ、病院はどこも大変よ。でもね、床がきれいになれば、患者さんも気持ちがちょっと楽になるんだわ。私ら、それで十分」
その言葉に、野上は思わず頷いた。
患者も職員も、経営だなんだと騒がしくても、結局は“誰かがここで安心できるかどうか”が大事。
——その日、院長室の机の上には、嶌田さんが持ってきた六花亭のバターサンドが並んでいた。
「冷蔵庫で冷やしてから食べるとまた格別なのよ」
と得意げに語る彼女を前に、野上は「うん、これは院内カフェでも出したら売れるぞ」と真顔で言い出し、また場を和ませた。




