『何もしない院長パート 番外編 ― 韓信、矜持を叫ぶ ―』
もし“ウチの病院もこうだったら…”と思ったあなた、それはすでに感染しています。ご注意ください。
南方総合病院に、県の再編協議会から招待状が届いた。
議題は「近隣3病院との機能再編・統合案」。
赤字にあえぐ市町村立病院を、どのように“集約最適化”するか——というものだった。
県からは再編の素案も示されていた。
それは、南方病院を“慢性期受け皿病院”に位置付け、
急性期・外科系・ICUを他院に集中させるという案だった。
「まるで“医療の終着駅”じゃないか」
副院長・熊田の声が低く響いた。
彼は、もともと急性期外科を一手に担ってきた現場の人間だ。
患者の命をつなぐ「入口」で戦い続けてきた。
“出口”に回されるというその扱いに、黙っていられる性分ではなかった。
再編協議の当日。会場に入ると、県の担当者や他病院の院長たちが集まっていた。
その中には、「あの」清原前院長の姿も。今は再編推進アドバイザーとして県の側に立っている。
「熊田先生、南方さんもね、時代の流れに逆らってばかりはいられませんよ。
今や、院長が何も決めない病院なんて、県立高校で自由服を導入するようなもんです」
熊田は無言だった。
協議が進む中、ついに発言の順番がまわってきた。
その瞬間、熊田は静かに立ち上がった。
「南方総合病院は、“何もしない院長”と“自律する現場”で成り立っている病院です。
数字のために現場を削れば、地域の命は減ります。
“急性期を手放せ”という案は、地方に残されたわずかな砦を解体せよと言っているようなものだ」
「熊田先生、それは感情論では——」
「違います。“病院の矜持”の話です」
熊田の声が一段と強くなった。
「人を救うという本分を、自分たちの手で捨てるような医療機関に、
若手が夢を持って入ってくると思いますか? 地域の人が信じて通ってくれると思いますか?」
会場が静まり返った。
——だが、熊田には一つだけ、懸念があった。
「これで院長から“あんな強く言うな”と後で諌められたらどうしよう」と。
協議後、南方病院に戻った熊田はすぐに院長室に報告に行った。
野上はというと、麦茶を飲みながら釣り具のカタログを見ていた。
「院長……すみません、私、ちょっと強く言いすぎたかもしれません」
野上は顔を上げた。
「そうかい? 俺には何を言ったかすらわからんけど、
——君があれだけ言うってことは、それが病院の“正解”なんだろう?」
「……」
「俺、こう見えて、誰が一番“現場の声を背負ってるか”ぐらいは、わかるつもりだよ。
それが熊田くんだと思ったから、副院長を頼んだ。
君が言ったなら、それが“南方病院の意志”でいい」
その瞬間、熊田は目頭が熱くなるのをこらえた。
「……ありがとうございます。
あなたみたいな人がトップじゃなかったら、
私はあの場で、自分の意志を貫けなかったかもしれません」
「なに言ってんの、俺、今日も、何もしてないぞ」
「……だからです」
その夜、熊田は誰もいない手術室で、ふと独り言をつぶやいた。
「……“劉邦”が何もせんから、“韓信”は思いきり戦えるんだよな……」
これはフィクションです。実在の人物・団体とは関係ありません