何もしない院長パート59 「院長の徘徊」
これはフィクションです。実在の人物・団体とは関係ありません。
野上の「徘徊」は、本人いわく「健康維持のための巡回」である。
しかし、その足取りには明確な目的地があるわけではなく、何をするでもない。
声をかけるでもなく、資料を持って歩くでもなく、ただ病棟や廊下をふらふらと回る。
見方によってはパトロールと言えなくもないが、始めから何か目的があって回っているわけではない。
「家に帰りたい」と言いながら病院の廊下を歩く認知症患者さんがいる。
そこには“合目的な理由”がある。
その意味では、目的らしい目的がない野上の行動を「徘徊」と呼ぶのは、認知症患者さんに失礼かもしれない。
もっとも、この徘徊はたいてい外来のない午前中に行われる。
だが時には休日にも、はたまた平日の深夜にも現れる。
不意にナースステーションの自動ドアが開くと、そこに立っているのはメタボ体型にニコニコ顔の院長――というのは珍しくない。
さらに、時々この徘徊には“おまけ”が付く。
若葉のたい焼き、En famille のフィナンシェ、あるいはコンビニの新作スイーツ。
どうやらお菓子好きの院長のこと、ついでに立ち寄ったのではなく、お菓子が徘徊の口実になっているのでは、という説もある。
「お、今日はたい焼きですか!」
「フィナンシェの日は当たりやね」
看護師たちもすっかり心得ており、手土産の袋が見えた時点で笑顔になる。
こうして、何をするでもない「徘徊」は、いつの間にか病院の風景のひとつになった。
歩数計にはそれなりの数字が記録され、病棟にはちょっとしたおやつの甘い香りが漂う。
目的がなくても、人と人との距離は縮まるらしい。
そんな院長の徘徊は、今日もゆるやかに続く。




