何もしない院長パート52:本人と家族との再面談
この物語に登場する人物・団体はすべて架空です。
ただし、思い当たる節があっても、口には出さないのが大人のマナーです。
面談室。
丸テーブルを囲むのは、患者・高橋正雄さん(87)、長男夫婦、孫娘。
医療側は荒又医師、雄河医師、看護師長の吉永、MSWの野守、そして研修医の松田。
荒又が口を開く。
「本日は、正雄さんの食事について、もう一度みんなで話すために集まりました。医療の判断だけでなく、ご本人の意思、ご家族の思いを大切にしたいと思います」
雄河が続ける。
「臨床倫理の4つの柱――“自律尊重”“善行”“無危害”“正義”――これを参考に、整理していきますね」
正雄さん、ゆっくりうなずく。
「ほぉ、立派なもんやな。わしはただ、漬物と味噌汁飲みたいだけやけどな」
(孫娘、笑いをこらえる)
① 自律尊重(Autonomy)
荒又「まず“自律尊重”です。正雄さんがどう生きたいかを大事にします」
正雄「食べたいもん食べて、寝て、たまに孫の顔見られたら、それでええ」
長男「でも父さん、それで肺炎になって苦しんだら……」
雄河「そこは次の“善行”と“無危害”に関わります」
② 善行(Beneficence)
雄河「食べることで、喜びや満足を得られる。これが善行です」
吉永看護部長「嚥下訓練や食形態の工夫で、誤嚥のリスクを下げながら食べる方法もあります」
野守MSW「それに、食事はご家族と過ごす大事な時間にもなります」
③ 無危害(Non-Maleficence)
荒又「ただし、“無危害”――つまり害を最小限にすることも大切です」
雄河「だから僕らは、少量ずつ、リスクを理解したうえで食べる方法を提案します」
長男「じゃあ、全くやめるか全部食べるかじゃなくて、間を取ることもできるんですね」
④ 正義(Justice)
野守MSW「最後は“正義”、つまり公平性です。医療資源やスタッフの負担も考えながら、同じようなケースの方と同じように対応します」
吉永「うちの病棟は、こういう“本人の意思を尊重しつつ安全も守る”形を、みんなで共有しています」
荒又「――まとめます。正雄さんが食べたい気持ちを尊重しつつ、リスクを減らす工夫をして、家族も安心できるようにしましょう」
雄河「賛成。これなら僕も納得です」
正雄さん、ニッと笑って一言。
「ほんなら今夜は漬物やな」
長男「ちょっとだけな!」
全員、笑顔。
その時、会議室のドアがコンコンと開き、野上院長がひょっこり顔を出した。
「……なんや、ええ雰囲気やな。これ、“ええんちゃう会議”やな」
一同、笑いに包まれ、面談は和やかに解散した。
研修医の松田はメモに書く。
《倫理の答えは時に、“ええんちゃう”の一言の中にある》
これはフィクションです。実在の人物・団体とは関係ありません。




