何もしない院長パート51 雄河という“漢”
これはフィクションです。でも、“こういう人、いるよね”って思ってもらえたら、それが本望です。
昼下がりのカンファレンス室。
壁際のホワイトボードには「症例検討」と大きく書かれ、その下に一行だけ「誤嚥性肺炎反復・摂食継続希望」とある。
椅子に腰を下ろした研修医の松田が、おずおずと口を開いた。
「……この患者さん、87歳男性。アルツハイマー型認知症あり。誤嚥性肺炎を半年で4回。ご家族は“もう食べさせないで”と。本人は“死んでもええから食べたい”と」
場が一瞬、静まる。
荒又が口火を切る。
「俺はね……“死んでも食べたい”っていうのは本人の本音だろう。でも家族が泣きながら“生きていてほしい”と言うなら、その声も尊重すべきだ。胃瘻も選択肢に入れる」
すかさず雄河が反論。
「いや、荒又先生。それじゃあ本人の生きる“質”はどうなるんですか。うちの爺ちゃんも、最期まで漬物ボリボリ食べて逝った。それでええやないですか」
熊田がニヤリとしながら口を挟む。
「ほほう、また始まったか。“本人の意思”vs“家族の希望”論争」
河添はコーヒー片手に、
「今回は荒又先生と雄河先生、どっちが勝つかな」
と面白そうに眺めている。
研修医の松田は焦って、
「あの……僕、どう記録に残せば……」
と小声で聞くが、栗林が即答。
「両方残せ。で、結論はカンファレンスで決めたって書いとけ」
荒又の声が少し熱を帯びる。
「医療者が“最期まで食べさせたい”という気持ちで動くのはわかる。でも肺炎で苦しむ時間が長引く可能性もある。それをどう説明して責任を持つ?」
雄河も負けじと身を乗り出す。
「じゃあ聞きますけど、先生。あの患者さんの笑顔見ました? あの目を見て“食べさせない”なんて言えるんですか」
空気が張り詰める――が、その時。
院長室から通りがかった野上がドアを開けて顔を出した。
「お、なんや。カンファレンスか。ええんちゃう、それで」
全員、唖然。
荒又「……いや、院長、どっちで“ええんちゃう”なんですか」
野上「どっちもええやろ。本人が食べたかったら食べたらええし、やめたいならやめたらええ」
雄河「それ、結論出てないですよ!」
野上「結論なんか患者と家族とで決めたらええんや。医者はその後押ししたらええ」
そう言って、麦茶を一口飲んで去っていった。
残された全員が、妙な沈黙のあと、
熊田がポツリと「……院長、たまに正しいこと言うよな」
河添「いや、“たまに”って言うな。そのとおりだけど.....」
その日のカンファレンスは、結局、患者本人と家族を交えた再面談を行うことでまとまった。
研修医の松田はメモ帳に書き込む。
《答えは一つじゃない。けれど、誰かの“熱”が、必ずそこにあった》
これはフィクションです。実在の人物・団体とは関係ありません。




