何もしない院長パート5 ―韓信と張良と医療安全―
『あれ?この話、実話じゃないの?』そんなことを言う人が3人いたら、それはもう“実話風フィクション”です。
南方総合病院では、誰もが知っていることがある。
——院長・野上は、本当に何もしない。
週3で釣り、週2で裏返しのシャツ。
議事録には必ず「本件は副院長に一任」と書かれる。
にもかかわらず、病院は回っている。
いや、それどころか、ここ数年で最も医療安全文化が進化したと、外部監査でも話題になるほどだ。
その秘密は、副院長・熊田と診療部長・河添、
院内で“韓信と張良”と呼ばれる名コンビにあった。
■ 副院長・熊田(韓信)
手術経験豊富な外科医。腕は確かだが口数は少なく、
“冷静な鉄仮面”と呼ばれる硬派な人柄。
ミスには容赦なく、だが人には敬意を忘れない。
医療安全部門の統括も担い、
ヒヤリハットの報告率向上、リスク感度の底上げに執念を燃やす。
「現場を知らん奴のルールは、誰も守らん」が持論。
■ 診療部長・河添(張良)
元々は内科医だが、今は多職種連携のブレーンとして病院の“知恵袋”。
データと理論に強く、全科に顔が利く。
問題が起これば即時対応、報告書の添削から根本原因分析まで手際がよい。
ときに熊田の無骨なやり方を和らげる“翻訳係”でもある。
■ 発端:あるインシデント
ある日、外来で起きた軽微な投薬ミス。
事務ミスと薬剤師の二重チェックミスが重なったもので、
幸い重篤な転帰はなかった。
だが、熊田は静かに怒った。
「これはシステムの問題。人を責めて終わらせるな」
そして河添が即座に提案した。
「全職種巻き込んで、プロセス分析型の“模擬審査会”をやりましょう。
インシデントを“病院全体の問題”として捉え直す機会に」
普通なら“臭いものに蓋”で済まされがちな事案に対し、
二人はあえて全職員を巻き込む道を選んだ。
■ 無双開始
熊田は現場を歩いた。「現場の声なき声」を拾いに。
河添は過去10年分の類似事案を分析、再発傾向の可視化グラフを作成。
二人は職種別説明会を開催、フラットな意見を吸い上げる場をつくった。
「……これまで、こんなに聞いてくれる場、なかった」
看護師長がぽつりとつぶやいた。
一ヶ月後、「模擬医療安全審査会」は実施された。
出席者は多職種100名以上。
部門横断で再発防止策を提案し合い、
「こんなはずでは」で終わらせない体制が築かれた。
その中で、ある若手医師が小さく手を挙げた。
「……院長は、今回の件で何かおっしゃってましたか?」
熊田と河添は顔を見合わせ、笑った。
「“俺が出たら、空気が固くなるから出ないでおく”って」
■ 数日後、院長室にて
報告を受けた野上院長は、静かにうなずいた。
「いやぁ、君たち本当にすごいねえ。
俺が何か言ったら、もっとややこしくなってた気がする。……感謝しかないよ」
そして机の上の付箋を一枚書き直した。
「信じて、任せる」
その横に、もう一枚。
「でも、自販機の下に落ちた500円玉は信じない」
——韓信が動き、張良が考え、劉邦が“何もしなかった”からこそ、
この病院の安全文化は一歩、前に進んだ。
これはフィクションです。実在の人物・団体とは関係ありません