何もしない院長パート37 「若手医師が“恩返し”に戻ってきた日」
病院には、白衣だけじゃなく、人の気配と時間が積み重なっている。これは、そんな空気を描いたお話です。
■ ある朝、事務局に一本の電話が入る
「……もしもし、南方病院の中西さんでしょうか。
昔こちらで研修させてもらった、外科の千葉俊平です。
今、大学病院を退局して、戻れるところを探していて……。
もし良ければ、非常勤からでも構いません。お世話になれませんか?」
事務局長・中西は驚いた。
千葉俊平――数年前、南方病院で初期研修を終え、大学病院に戻った逸材。
「外科にしては、物腰のやわらかい奴だったな」
「朝の回診、黙って後ろを歩いてると思ったら、
最後に全部説明できてるやつ」
「そういえば、やたら院長室のソファに座ってたっけな……」
■ その頃、院長室では
中西が野上に報告すると、野上は例によってほとんど反応がない。
野上:「……ふぅん。ええ子やったな、あいつ」
(そして少し沈黙の後)
「……あ、でも椅子壊れてるさかい、直しといて。座るとギシギシ言うて、恥ずかしいねん」
それだけだった。
■ 数週間後、現れた千葉は「なんだか普通だった」
約束の日、外科外来に現れた千葉は、
派手な経歴をぶら下げてくることもなく、白衣ひとつで戻ってきた。
スタッフ:「大学辞めたって……ほんとに戻ってくると思わなかった」
看護師:「でもあの人、昔ほんとに地味だったから逆に安心かも」
午後の外来が落ち着いた頃、千葉はふらりと院長室のドアをノックした。
■ 院長室にて、短くて長い沈黙
千葉:「ご無沙汰してます。院長……あの、戻ってきました」
野上は少しだけ目を開けて、いつものように湯呑みを置いた。
野上:「……そら、ええことや。
でも……なんでまた、ここへ?」
千葉は一瞬、黙ってからこう答えた。
千葉:「あのとき――自分が患者さんに怒られて落ち込んでたとき、
院長、何にも言わなかったじゃないですか」
「でも、ソファに黙って座らせてくれてた。
なんでか知らないけど、それで持ち直せたんです」
「だから今度は、自分が誰かのソファになれたらって、そう思ったんです」
野上は、頷きもせずにこう言った。
野上:「……せやな、ソファは、大事や」
(少しだけ笑って)
「ギシギシ言わんようにしといたで。座ったらええ」
■ その日の“外科カンファ”にて
外科研修医:「え、千葉先生? なんでまたこんなとこに?」
千葉:「んー……なんとなく、この病院の空気が好きで」
研修医:「……あー、わかるかも」
千葉はその研修医のノートを見て、こう言った。
「大丈夫。ソファ、ここにもあるから」
研修医:「え?」
「疲れたら来いよってこと。たぶん、院長もそれ言ってたんだと思う」
これはフィクションです。実在の人物・団体とは関係ありません。




