『何もしない院長パート4 〜看護部長は止まらない〜』
フィクションです。でも、“あれ、うちの○○に似てる…”と思っても、それはたぶん偶然です。たぶん。
南方総合病院が、再び静かにざわついていた。
1年後に迫る「JQ(病院機能評価)更新審査」。
あの“JCIの悪夢”から10年、職員の誰もがあのピリピリ感を覚えている。
ただし——今回は違った。
事務局は慌てておらず、医師も診療科会議で笑っている。
どの部署も静かに動きながら、なぜか全体が統制されていた。
「全部……吉永看護部長が仕切ってるんですよ」
そう耳打ちされた視察担当医の目が丸くなった。
看護部長・吉永珠緒
通称「ナース界のロジスティシャン」。
急変対応の導線設計から多職種会議の司会進行、リスク管理に至るまで、
理論と現場感覚のどちらにも長けた現場叩き上げの女性。
JQ更新プロジェクトのキックオフでも、野上院長はこう語った。
「とりあえず、吉永さんの邪魔しないように、皆、協力してね。僕は毎週火曜、釣りに行きます」
誰も止めなかった。
準備期間(〜審査の1か月前)
看護部が中心となり、部署横断の“JQチーム”を結成
各部署ごとに“自慢できる仕組み”を棚卸しするワークショップを実施
若手医師には「書き方がわからない」と言われながらも、個別に指導
事務職にも「患者視点からの導線チェック」研修を組み込む
院内掲示は“掲示物改革”と称して可視化+装飾を強化(癒しのアート、季節の飾りも完備)
ある日、放射線技師長がつぶやいた。
「……あの人、いつ寝てるんだろう」
サーベイ当日
審査員がやってくる。病院全体が張り詰める。
……のかと思いきや。
正面玄関ではボランティアが笑顔で迎え、
案内係の事務職が流れるような誘導。
回診中の医師も、患者と雑談を交えながら安全文化について語る。
看護師はすべての質問に、自信をもって答える。
そのすべての裏に、「吉永台本」があった。
各職種に合った事前想定問答集。
それを暗記ではなく、“自分たちの言葉で語れる”ように練り上げた指導の成果だった。
そして午後。
ある若手サーベイヤーがぽつりと質問した。
「この病院の“トップのリーダーシップ”について、皆さん、どう感じていますか?」
一瞬、場が静まり返る。
——そのとき。
看護部長が、笑顔でこう答えた。
「うちの院長は、
“現場の意見を聞くために、黙ってくれている人”
です」
サーベイヤーは目を見開き、
「……“黙ってくれているリーダー”、ですか?」と繰り返した。
「はい。そのおかげで、私たち現場が“自分たちで考える習慣”を失わずにすんでいます」
その場にいた事務長、薬剤部長、リハビリ主任、そして医師までもが、無言でうなずいていた。
無事にサーベイが終わり、結果は「全項目クリア・高評価」。
慰労会で看護師たちが盛り上がる中、野上院長は珍しく、吉永看護部長に声をかけた。
「吉永さん、ありがとう。やっぱりあなたが院長やった方が良かったかもしれないね」
すると吉永は、少しだけ笑って言った。
「私が院長になったら、たぶん……口出ししすぎて皆に嫌われますよ」
「……それはちょっと、わかる気がする」
「でもね、院長が“何もしない”って安心感があるから、私たちが“何かしてもいい”って思えるんです。
だから、ちゃんと“してないで”くださいね」
「……了解。じゃあ、明日は釣り、行っていい?」
「その日は総務との予算会議です」
「……そうか……やっぱり吉永さん、院長やった方がいいかもしれない」
その日、吉永看護部長のデスクに貼られた新しい付箋。
「黙ってくれる上司がいるうちに、やるべきことをやる」
これはフィクションです。実在の人物・団体とは関係ありません。
何もしない上司が嫌いな人へ。でも、何かしたがる上司はもっと面倒です。