何もしない院長 パート32 「“この椅子、ちょっと直しといて” 院長の一言が病院を救う?」
ある金曜の昼下がり、野上院長がふらりと事務課に現れた。
いつもの缶コーヒーを片手に、旧型の木製の椅子に座りかけたそのとき――
「……お、ちょっとガタつくな、この椅子」
「中西くん、これ、直しといてくれへん?」
ほんの、何気ない一言だった。
事務局長・中西は「了解でーす」と軽く受け流し、倉庫から予備椅子を持ってきて交換した。
■ 翌日――「音、した?」
土曜の外来。
午前10時15分。
正面玄関ロビーの天井が「ゴンッ」と鳴った。
天井板が数センチ、たわんだ。
患者と看護師が一斉に見上げた。
少しして何事もなかったように戻ったが、
念のために設備業者が呼ばれた。
■ 設備点検の結果
報告書を受け取った中西の顔が青ざめた。
「中二階の梁に歪みが出てたんです」
「あの椅子、ちょうど天井の“応力線の直下”に置いてあったんですよ」
「あのまま誰かがドスンと座ってたら、天井が抜けてた可能性、あります」
つまり、あのガタつく椅子に誰かが勢いよく腰かけていたら、
天井が抜けて、軽傷では済まなかったかもしれない。
■ 中西、院長室へ
中西:「……あの椅子、よく見つけましたね」
「いや、ただちょっと、座ったら揺れただけや」
「それが結果的に、事故防止になってるんですよ」
「ほな、直しといてって言ったの、正解やな」
「……っていうか、あの椅子、院長の椅子ですよね?」
野上(ニヤッと笑いながら):
「ワシ、ガタつく椅子では落ち着かへんタイプなんや」
その後の病院掲示板にて
防災担当が貼った掲示文の末尾には、
こんな一文が添えられていた。
「事故の未然防止にご協力いただいた方に感謝します」
(※特に椅子を交換してくれた事務局長、中西さんへ)
そして、誰かが貼ったもう一枚の付箋。
丸い文字で、こう書いてあった。
「あと、座ってくれた院長にも」




