何もしない院長 パート25 ― 研修医が語る“この病院を選んだ理由”
この物語の登場人物は架空です。ただし、思い当たる方がいらっしゃるなら、それはあなたの病院にも奇跡が起きている証拠です。
春。
新年度を迎えた南方病院では、毎年恒例の研修医ミーティングが開かれていた。
2年目研修医が、1年目の新人に病院生活のことを伝え、
病院幹部も交えて、ざっくばらんな対話の場となる“内輪の集い”だ。
今年のテーマは、
「なぜ、南方病院を選んだのか?」
参加者は、研修医8名と、事務局長・中西、副院長・熊田、診療部長・河添、そして一応、院長・野上(いつものように後ろの席で静かにコーヒーを啜っている)。
■ 研修医のことば
「症例が多いって聞いたから」
「ERで初期対応を一通り任せてもらえると、医学生時代に上級医から聞いて」
「看護師さんたちが優しいと聞いて、現場の雰囲気がいいのかなと」
「実習のときに、中西さんが説明してくれたシステムがすごくわかりやすくて」
「河添先生が学生レクチャーで“本気で怒ってくれた”のが逆にうれしかった」
「面接のとき、副院長の熊田先生が“うちは家族だと思って”って言ってくれて」
……さまざまな声が出るが、誰一人として、「院長の存在」を理由に挙げた者はいなかった。
■ コーヒーを飲む院長
会の終盤、副院長・熊田が、ふと野上に話を振る。
熊田:「院長、なんかコメントあります?」
野上:「……いやぁ、ワシ、たぶん、誰の記憶にも残ってへんしなあ。
それでええんちゃう?」
場がふっと和んで、笑いが起きる。
だが、次の瞬間。
1年目の研修医、佐々木が手を挙げた。
佐々木:「あの……すみません、たった一回だけ、印象に残ったことがあって」
一同:「……?」
佐々木:「マッチング面接の日、病院の裏口で道に迷ってたら、
白衣のおじさんが“こっちやで”って案内してくれて。
受付まで連れてってくれて、そのとき“頑張りなよ”って言われたんです」
佐々木:「あれ、今思うと……院長だったんですよね?」
会場が、静かになった。
野上は、気まずそうに笑って言った。
野上:「あー……うん。ワシやったかもしれんなあ。たまたまな」
■静かな“存在感”
その後の懇親会で。
佐々木がこっそり中西に言った。
「あのとき、すごく緊張してて。
でも“頑張りなよ”って言葉で、なんかここで働けそうな気がしたんです」
「院長が一番大事にしてるの、たぶん“そういう時間”なんですよ」
「でも……そんなの、誰も知らないじゃないですか」
「それでええんです。
“誰も知らんところで、誰かがちょっと安心してる”――
それが野上院長ですから」
その夜、院長室のホワイトボードには、ただ一言、走り書きが残されていた。
「今年の子ら、ええ感じやな」
この物語に登場する人物・団体はすべて架空です。




