何もしない院長 パート24 ― この院長、底が知れない ―
この物語に登場する人物・団体はすべて架空です。
ただし、思い当たる節があっても、口には出さないのが大人のマナーです。
南方病院に、春風とともに新しい風が吹き込まれた。
南都大学・消化器内科学講座教授 安井三郎。
週1回、木曜の午後だけ南方病院に来て、上部・下部内視鏡外来とコンサルテーションを担当することになった。
いわば、地域医療と大学の橋渡し――その象徴のような存在である。
■ 初訪問:拍子抜けの歓迎
木曜13時。
事務局長・中西が正面玄関で出迎える。副院長・熊田、診療部長・河添、消化器内科・丸川も同席していた。
しかし、院長の姿が見えない。
安井教授:「あの、院長先生は……?」
中西:「今、病棟の廊下で誰かと立ち話してると思います。すぐ呼びますね」
5分後、野上院長が、コーヒー片手にのんびりやってきた。
「ああ、安井先生やな? おおきに。
消化器はもう院内でだいぶ困っとって、先生に来てもらえるん、ほんま助かるわ」
「……(本当に、そんな軽いテンションでええのか?)」
「とりあえず、先生のやりたいようにやってください。
“うちの患者さんらに、東京に行かんでええ診療を”――それが一番やから」
その一言に、安井は少し驚いた。
「紹介を増やして大学に貢献して」とか、「臨床研究を一緒に」といった“大学の理屈”をまったく口にしないのである。
3週間後:院内で広がる“安井ショック”
安井教授は、わずか週1の外来にもかかわらず、的確な診断とスピーディな内視鏡手技で患者の信頼を集め、スタッフの評価も高まっていった。
ある日、看護師がぽつりと言った。
「先生、なんか肩の力が抜けてて素敵です。偉い大学の先生ってかんじしませんね。ほんと、良い意味で.....。
大学の先生って、もっとこう……“理論先行”な硬いイメージたったんですけど」
「あ、それはね……ここの空気のせいやと思うよ」
看護師:「空気?」
「院長が、“何も詰めてこない”から。
その分、こっちが“ちゃんとせな”って気になる。不思議やけど。」
野上、沈黙の哲学
その日の帰り、安井はふと、院長室に立ち寄ってみた。
安井教授:「院長、いつもこんな感じで……何も指示は出されないんですか?」
「そうやねぇ。出したら、それ以上考えんようになるでしょ、人は」
「……でも、それで成り立ってる病院って、他にあんまりないですよ」
「“成り立ってる”かどうかは、患者さんが決めるんや。
あんまり上がバタバタせんほうが、現場は落ち着くんよ。……たぶんね」
安井は、院長の手元にあった書籍のタイトルに目を留めた。
『無為自然――荘子に学ぶマネジメント』
(無為自然、万物斉同の境地......か)
「……底が知れませんね、あなたという人は」
「うーん。自分でもようわからん」
その言葉に、安井は思わず笑ってしまった。
そして帰り道の車内で、心の中でこうつぶやいた。
「……この病院は、“何もしない”ことで、人が育つ場なんだ。
週1日でいい。しばらく、この空気に浸ってみたい」
これはフィクションです。実在の人物・団体とは関係ありません。




