何もしない院長 番外編「杉原潤君の思い出」
――これは、物語であり、祈りです。
このエピソードだけは、書くたびに涙があふれました。
思い出して泣いて、綴って泣いて、読み返してまた泣きました。
笑える話をいつも目指してきたこのシリーズの中で、
ここだけは、どうしても冗談では済ませたくなかったのです。
「杉原君の思い出」は、フィクションの皮をかぶった、私自身の記憶です。
面白い奴でした。頼れる奴でした。
先回りしてくれる阿吽の呼吸のパートナー。
言わずとも動く人。背中で支えてくれる奴。
野上という院長が“何もしなくて済む”のは、彼のような人がいてくれたからです。
これは、そんな“影の主役”に贈る、小さな賛歌です。
もうこの世にはいない、大切な“戦友”に。
そして、彼を思い出すすべての人と、
この物語をともにしてくれる読者の皆さんへ。
一緒に、ちょっとだけ泣いていただけたら嬉しいです。
――しゅんたろう
(院長室にて、野上の独白)
——G-SHOCKなんてな、
ワシには似合わんて思うてたんや。
けど……これだけは、ずっと外せん。
赤い、ちょっと派手なやつ。
「先生、還暦なんすから赤でしょ」言うて、
笑いながら、杉原くんがくれた。
「野上さんが時間を忘れんようにって、願掛けですわ」
——お前が言うな。
あの頃、時間を一番守らんかったんは、お前やったやろ。
けどな、杉原。
よう分かってたんや。
ワシが本当は、何かを抱えたまま、言わんと飲み込んでることも、
言葉にせんでも、お前はいつも先回りして動いてくれた。
外科のスタッフが足らん、言う前に人を当たっとった。
経営が苦しい時は、ワシが「どうしたもんか」呟いた瞬間、
「コンサル呼びますか?」って。
ドクターカー導入も、お前がおらんかったら頓挫しとったやろ。
病院のことを、一番おもろがってくれたのは、たぶん、お前や。
ワシが院長に推された時、
一番強く背中を押してくれたのも杉原くんやった。
「野上さんみたいな院長、いてもええでしょ」って。
お前は、ワシの“何もしなさ”を見抜いてたんかもしれんな。
……就任の前日。
お前が事故で逝った時、
正直、何が何だかわからんかった。
初仕事が、お前の葬式やて。
あんな冗談、笑えん。
今でも、思うときがある。
——もし杉原が生きてたら、
この病院、もっと面白くできたんちゃうか。
もっと、気の利いた仕掛けができたんちゃうか。
——もっと一緒に、バカみたいなことやれたんちゃうかって。
でもな杉原、
お前が残していったもんは、大きい。
熊田も河添も育った。
中西は、しっかり事務局長としてやっとる。
栗林も、まだ走っとる。
あんたのこと、よう知っとるスタッフも、まだようけおる。
このG-SHOCKを見るたびに、思い出すんや。
お前の言葉と笑い声。
釣り帰りの車の中で語った、どうでもええ将来の話。
酔っぱらって2人で交わした、くだらん約束。
「俺が院長になったら、病院に風穴開けたる」
「そのときゃ俺が、爆風係やりますわ」——
……お前はほんまに、最後まで火薬やったな。
さあて。
もうすぐ会議や。
今日も、“何もしない院長”として、椅子に座っとくわ。
でもな杉原——
お前が置いてった、この赤いG-SHOCK、
今もワシの手首で、ちゃんと動いとるで。
——了——
これはフィクションです。実在の人物・団体とは関係ありません




