何もしない院長パート14『駆けつけ男・栗林政男 ―震災の日―』
この物語の登場人物は架空です。ただし、思い当たる方がいらっしゃるなら、それはあなたの病院にも奇跡が起きている証拠です。
元旦の朝。
南方総合病院の食堂には、のんびりとした空気が流れていた。
「いやぁ、やっと一息やな。年越し夜勤明けやけど、今年も無事やわ」
そんな看護師の声が終わらぬうちに、地面が鳴った。
一瞬、天井が揺れ、食器棚が軋みを上げる。
「地震!」誰かが叫び、備蓄室のスチール棚がガタガタと音を立てた。
——そう、それは能登半島地震だった。
エレベーターが停止。検査室では一部の機器が使用不能に。
非常電源が作動し、急ぎ病棟と連絡が交わされる。
が、そのときすでに“あの男”は動いていた。
診療部長・栗林政男、53歳。
元旦当直明けの彼は、揺れが収まるのを待たずに、白衣を羽織ってナースステーションへ。
「熊田と河添は?」「自宅被災で連絡取れません」
「野上院長は?」「東京のご家族と…」
「……しゃあないな。ほな、今年も僕の出番か」
冗談のように言って、院内を駆け出す。
「リーダーシップは、“踏み出す足音”で示すものさ」
最低限の当直体制。
食事も、給湯も、ストレッチャー搬送も、人手が足りない。
だが栗林は、日直の荒又とともに給食室へ向かい、会談でお年寄り用の食事を1トレーずつ病棟へ。
「先生、重たいですって!」「だいじょうぶ、筋トレ代わりだ」
汗をぬぐいながら、彼は言う。
「こういうときこそ、“顔の見える医者”が動かんとな、病院の空気が止まってしまう」
「おばあちゃん、その手、ぎゅっと握らせて」
混乱する外来待合室で、一人の高齢女性がパニックを起こしていた。
「こわい、こわい、また来る!水が来る!」と涙ぐむ。
若いスタッフが困っていると、栗林が膝をついて、目線を合わせる。
「おばあちゃん、僕の顔、見える?
今、よく見ててね。僕も、ここにいるから。
おばあちゃんが、ここにいるってことは、もう“助かった人”。
あとはね、一緒に“助ける側”に回る番になろう!」
一瞬の静寂——そしておばあさんは、彼の手をしっかりと握り返した。
翌朝、誰かが言った
「先生……先生、昨日ずっと、止まってたエレベーター横の階段で給食運んでたって、本当ですか?」
栗林は黙って、いつものポットのコーヒーを注ぎながら笑った。
「僕だって、もう若くない。
でもね、病院ってのはね、“誰かが立ってる”だけで、救われることあるんだ」
その横に、早朝戻った野上の姿があった。
「——まったく。新年早々、張り切りすぎやないか」
「しゃあないでしょ、うちの院長は“何もせん”だから」
そして、ふたりはいつものように、黙って笑った。
これはフィクションです。実在の人物・団体とは関係ありません