何もしない院長 パート13 ― 南方病院、撮られる ―
これはフィクションです。実在の人物・団体とは関係ありません。実在の“昼行燈”との類似は偶然であり、確信犯ではありません。
南方総合病院の会議室に、いつになく緊張が走っていた。
テレビ局からの正式な申し入れ——
「地域医療をテーマにしたドラマの撮影地として、御院をぜひ使わせていただけないか」
かつて清原時代にはあり得なかった話だ。
だが今は、地域連携・患者満足度ともに評価の高い南方病院。
「雰囲気がいい」「スタッフの動きが自然」「清潔感がある」と、下見に来た制作陣は太鼓判を押していった。
■ 院長室にて
事務局長・中西:「……というわけで、ドラマの舞台がうちになるかもしれません」
野上:「へえ……まあ、ええんちゃう。患者さんのストレスにならんようにだけ、気いつけてな」
中西:「それと、ですね……制作側から“院長役のモデルに”と強く希望されまして……」
野上:「は?」
中西:「リアルな医療ドラマにしたいそうで、“あの院長さんの空気感を活かしたい”と。……つまり、“ご本人にご出演を”と」
野上:「……撮影って、何日くらい?」
中西:「本番一日。リハーサル入れても二日です」
野上:「なら、まぁ……副院長に代役頼んどいてくれる?」
中西:「いやいや、“代役じゃなくてご本人に”って話なんですってば!」
結局、押し切られる形で、野上院長、人生初の“カメラ前”に立つことに。
■ 撮影当日
脚本はしっかり作られていた。
院長が職員たちに穏やかに語りかけ、
「答えを出すのは君たちだ」と微笑む感動シーン。
監督:「では、院長役の野上先生、お願いします!」
スタッフが拍手。
野上は白衣のまま、ゆっくり歩いてくる。
本物の職員たちも、なぜか緊張している。
だが。
野上:「……」
沈黙。
野上:「……えっと、ワシ、何言えばええんやったっけ」
現場、爆笑。
監督も「OK! これでいきましょう!」と即断。
結局、セリフはすべてアドリブに切り替えられた。
野上は普段通りに、「ほな任せるわ」「がんばってな」の一言で通し、
それが「逆にリアルだ」と制作陣から絶賛された。
■ 放送後
ドラマは予想以上の話題を呼んだ。
「リアルすぎる」「本物の病院の空気」「院長の目線に泣いた」とSNSは大盛り上がり。
テレビ局スタッフは語った。
「あの院長さん、すごいですよ。
だって、“セリフを覚えない”んじゃなくて、“いらないセリフを本能で省いてる”んですもん」
■ドラマの最終話放送後。
院長室の扉に、誰かが新しい付箋を貼っていた。
「演技じゃなくて、あれが“日常”やからすごい」
野上はそれを見て、ただ笑った。
「ほな、ワシ、次は“エキストラ”で出ることにするわ。
……出ても、“なんもせん”けどな」
職員たちは思った。
それでこそ、うちの院長やと。
これはフィクションです。実在の人物・団体とは関係ありません