何もしない院長 パート12 ― 静かな対決 ―
改革を叫ぶ者は目立つ。けれど、何も叫ばずに居続ける者が、組織を保っているのかもしれません。
ある日の診療部 部長会議、珍しく中堅外科医・高浜が挙手した。
彼は清原前院長時代に“攻めの医療改革”を掲げた急先鋒のひとり。
近年は静かにしていたが、今日は違った。
「現体制下での意思決定の曖昧さと、責任の所在の希薄化が、
病院の競争力を削いでいるのではないか。
再び、病院経営本部の設置と、診療部門の評価連動型マネジメントを導入すべきだ」
資料は綿密で、ロジカル。
業績評価、稼働率、外来回転率、診療単価、ベンチマーク分析……。
清原時代の香りが色濃く残る内容だった。
「院長に、この改革案に対する見解を求めます」
会議室が静まり返る。
いつもなら「副院長に任せよう」で終わる場面だったが、
野上はそのとき、ゆっくりと手元の紙を裏返し、一呼吸置いて口を開いた。
■ 野上、静かに語る
「ええ提案やと思う。数字もしっかりしとる。現場も意識して書かれてる。Yes。
……でもな、But や」
高浜がわずかに表情を引き締めた。
「改革ってな、誰のためにするんやろう?
それが“正しい”ってことと、“現場がついてくる”ってことは、別の話やと思うんよ」
野上は、机に肘をつけ、視線を会議室全体に向けた。
「南方病院が、なんで今、そこそこ回ってるかってな……
“全員が、少しずつ責任を持ててる”からやと思うんや。
明確に“誰が上”じゃなくても、動けるようになった」
「逆に言えば、それが“誰も判断しない構造”では?」
「ちゃうちゃう、“判断が独りに偏らん構造”や」
沈黙が落ちる。だが、それは「反論のない沈黙」だった。
野上は、微笑みを浮かべて続けた。
「清原先生の時代が悪かったとは言わん。
あの時代には、あの形が必要やった。
でも、今の職員はな、命令より、信頼で動く癖がついとるんや。
それが“静かな強さ”になるまで、もう少しだけ待ってやれへんか?」
高浜は一瞬うつむき、それからゆっくりと頷いた。
「……私の言いたかったのは、きっと“早く変えたい”っていう焦りだったのかもしれません」
「せやろ? 変えたい気持ちは否定せん。
でも、蒔いた種が芽吹くのに水が要るんと一緒や。信頼にも、時間が要るんや」
■ 会議後
副院長・熊田が言った。
「院長……珍しく、全部自分でしゃべりましたね」
「いやぁ、たまにはな。放っとくと、また“評価制度コンテスト”始まりそうやったし」
「でも、あんなにロジック立てて返せるなら、普段も……」
「……普段から言うと、誰も喋らんようになるやろ?
せやから普段は、黙っとるんや」
熊田は思わず笑った。
その日の夕方。事務局の掲示板の横に、新しい院長メモが貼られた。
「静かに揺れる時は、“急いで支えに行く”より、
“揺れが収まるまで、そばに立っとく”ほうがええ」
職員の誰かがそれを読みながらつぶやいた。
「……あの人、何もせんのに、
いつも“ちゃんと答えてる”んだよなあ……」
これはフィクションです。実在の人物・団体とは関係ありません