何もしない院長 パート11 ― 二通目の手紙 ―
これはフィクションです。実在の人物・団体とは関係ありません。けれど、どこかの病院の、誰かの背中に、少しでも重なるものがあれば――それが、わたしが描きたかったものです。
その朝、南方総合病院の総務課に、ふたたび一通の封筒が届いた。
今回は、しっかりと名前が記されていた。
差出人は——前回の匿名投書の送り主だった。
封筒の中には、手紙と、もう一枚、手書きのイラストが入っていた。
拝啓 野上院長様
先日は、掲示板の文を読ませていただきました。
名前もなく、特別な言葉もなかったのに、
なぜか、あれほどまでに「応えられた」と思えたのは初めてです。
実は、うちの父が先月、そちらの病院で亡くなりました。
最後の入院先を迷っていた時期、
看護師さんが笑って接してくれていた姿を見て、「ここがいい」と決めたのは父自身でした。
あの時は、正直、病院で“笑顔”を見ることに戸惑いがありました。
けれど、いまは分かります。
人が笑える場所じゃなきゃ、
命を託す場所になんて、ならないんですね。
どうか、どうか、これからも、
“何もしてないように見える”院長でいてください。
いつか、私も誰かの不安に、静かに寄り添えるようになれたらと思います。
感謝をこめて。
小林香澄(富南市)
同封のイラストは、病院のロビーの風景だった。
若手医師が車いすを押し、受付の職員が子どもにシールを渡している。
隅の方には、壁新聞の前でコーヒー片手に立っている白衣姿の男——おそらく、野上本人。
それを読んだ総務課の職員が、静かにつぶやいた。
「……あの掲示、やっぱり、ちゃんと届いてたんだ」
■ 院長室にて
報告を受けた野上は、封筒を開けてすぐに読まず、
一度、目を閉じたまま深呼吸してから、ゆっくりと開封した。
読み終えると、手紙をそっとデスクに置き、
職員にも何も言わず、ただひとつ——新しい壁新聞を作り始めた。
タイトルは、
「それでも病院には、笑顔が必要です」
中には、
・廊下でのすれ違いざまの「お疲れさま」
・患者が手を振ってくれるときの小さな会釈
・看護師と認知症のおばあちゃんが交わした謎の“なぞなぞ合戦”
そんな何気ない日常が、四コマ漫画のように描かれていた。
野上はその新聞の隅に、小さな言葉を添えた。
“だれかが笑ってくれるなら、今日も、ここは病院であり続けられる”
貼り出された壁新聞を見て、井坂副看護部長がふとつぶやいた。
「……やっぱり、院長って“何もしない”んじゃなくて、
“絶対に、やりすぎない”人なんですよね」
その頃、院長室の机の片隅には、新しい付箋が一枚。
「言葉は、名乗ったとき、もっと深く届く」
——そして、そのすぐ隣にはもう一枚、落書きのような文字。
「でも、名乗らんでも届くときもあるから、ややこしいな」
病院はまた、いつも通りに動いていた。
何もしない院長が、今日も、そこで“何か”をしないでいる。
これはフィクションです。実在の人物・団体とは関係ありません