何もしない院長 パート106「異国での悲しい死 - 住民としてのグエンさん」
土砂崩れ現場から搬送されたのは、南方市で暮らすベトナム人技能実習生のグエンさんだった。
28歳。妻と生まれたばかりの娘をハノイに残し、土木会社で働きながら技術を学んでいた。
彼は“病院の仲間”ではない。
けれど風邪をひけば外来に来て、看護師に「オハヨウゴザイマス!」と笑顔で頭を下げ、医事課に飴を差し入れしてくれる。人懐っこさで、スタッフの間でも人気者だった。
■ 南方の仲間としての手紙
ERで必死の救命が続いたが、願いは叶わなかった。
その後、職員たちは「ご家族に伝える言葉」を巡って話し合った。
「私たちは彼の“同僚”じゃない。患者さんでもない。どう言えばいいのだろう」
看護師の南野が涙声でつぶやく。
陳麗明(トリリンガル研修医)が提案した。
「“住民の仲間”としての手紙にしましょう。ここで暮らしていた証を伝えるんです」
寄せ書きにはこう綴られた。
・「いつも飴を配ってくれてありがとう」
・「外来で見せてくれた娘さんの写真、すごく幸せそうでした」
・「あなたがこの町にいたことを、私たちは忘れません」
野上院長は最後に短く書いた。
「ここは、あなたの町でした」
■ 院内追悼の場
数日後、食堂に白い花と娘の写真が飾られ、職員が集まった。
栗林は語った。
「病院に来るたび“センセイ、元気?”と聞いてくれた。ほんまに気のええやつやった」
吉永看護部長は、涙で声を詰まらせながらもこう言った。
「患者さんを超えて、私たちの友達でした」
静かな黙祷のあと、掲示板に翻訳付きの手紙が掲げられた。
■ 海を越えて届いた言葉
後日、ハノイから奥さんの返事が届いた。
「彼が日本でひとりではなく、友達がいたことを知り、涙が止まりません。ありがとう」
病院の廊下にそのメッセージが掲示され、通りかかった職員が足を止めて読んだ。
野上院長はつぶやいた。
「医療も町も、人が寄りかかって出来とるんやな」