何もしない院長パート105「異国での悲しい死」
これはフィクションです。でも、“あれ、うちの○○に似てる…”と思っても、それはたぶん偶然です。たぶん。
ドクターカーに緊急出動の要請が入ったのは、激しい雨の翌朝だった。
「土砂崩れで作業員が生き埋め。重症複数名の可能性あり」——。
雄河をリーダーに、看護師の南野、医事課の城方(運転手役)、救急隊とともに現場へ急行する。
レスキュー隊が土嚢とジャッキで二次崩落を防ぎながら掘り進める。被災者のうちのひとりは、ベトナムからの技能実習生・グエンさんだった。
28歳。来日3年目。
南方では、人懐っこい笑顔で「センセー、コレ見テ」と娘の写真を嬉しそうに同僚に見せていた。まだ生後6か月の赤ん坊。奥さんはハノイで待っている。新婚なのだと、照れくさそうに笑った顔を、多くの職員が覚えている。
雄河はその身体を掘り出した瞬間、脈がないことを悟った。しかし、
「まだ…いけるかもしれん」
わずかな可能性を信じ、気管挿管、アドレナリン投与。心臓マッサージを続けながら、ドクターヘリへの引き渡しを検討したが、現場判断で南方から近い都南総合病院へ搬送が決まった。
都南総合病院ERに引き渡されたのちも、都南の医師・看護師たちは2時間以上蘇生を試みてくれた。
しかし、ROSCは叶わなかった。
「……残念です」
担当医が深々と頭を下げると、雄河も南方のチームも何も言えなかった。
帰路のドクターカーの中。
無線からは、別の救急出動要請が途切れなく流れる。
だが車内は沈黙に包まれていた。
南野はシートに背を沈め、ただ手を握りしめていた。
城方は前を見つめたまま、ハンドルを強く握りしめていた。
雄河は、自分の胸の奥に「仕方ない」と「どうしても」という思いがせめぎ合うのを感じながら、静かに目を閉じた。
——異国で懸命に働き、家族を支えようとした若者の死。
その喪失は、誰にとっても痛ましく、重い現実だった。
病院に戻ると、野上院長は静かに彼らを出迎えた。
「ご苦労さんやったな」
それだけ言い、しばらく沈黙したあと、ぽつりと続けた。
「……ワシらが守っとるのは命やけど、その人の“生きる物語”でもあるんやな」
誰も返事はできなかった。
けれど、その言葉は確かに、重苦しい沈黙の中に小さな灯のように残った。
これはフィクションです。実在の人物・団体とは関係ありません。