何もしない院長パート102「コロナ・アウトブレイク、熊田の眼」
朝9時半。まだ院内が慌ただしく動き出す時間。
院長室の電話が鳴った。
「失礼します。報告なんですけど、4病棟でコロナ出ました。クラスターです。患者8名、職員3名。患者はほとんど微熱ですけど、現場判断でリスク高い患者さんにはすぐに検査をかけました。
ご家族への説明は各主治医に任せています。
受け入れは止めませんが、院内の移動は制限。面会は4病棟のみ制限としました。隔離は405、406の4人部屋を使っています。以上です。すみません、事後報告ですが。」
熊田副院長の声は落ち着いていた。
「さよか。手間かけさせたな。ありがとう!」
野上は短く返した。
だが、その手際の早さに舌を巻いた。
まだ始業後わずか1時間。微熱を「異常」と見抜き、同室者全員の熱型を洗い出し、抗原検査に踏み切る。感染者で高リスクの患者には、すでにレムデシビルの点滴が処方されてあった。
パンデミックの荒波を越えた経験があるとはいえ、芸術的な仕事ぶりだった。
■ 主治医たちの現場
循環器内科の若手医師・川勝は、連絡を受けて顔をしかめた。
「まさか、退院予定の田中さんも……? 退院前のカンファまで終わってたのに」
しかし、患者家族への説明を託されると、すぐに腹をくくった。
「感染は残念ですが、幸い軽症です。転院はせず、このまま隔離下で治療を続けます」
家族に頭を下げる姿を見て、熊田は小さく頷いた。
■ 看護部の動き
一方、看護部長・吉永珠緒の動きもいつもどおり速かった。
ナースステーションに入るなり声を張る。
「みんな、慌てなくていい! 手順通り、動線を分けて。酸素と抗ウイルス薬の準備は薬剤科に依頼済み。今日のシフトは感染症経験者を中心に組み直すわよ!」
その指示の的確さに、現場の看護師は安堵の表情を浮かべた。
「やっぱり吉永部長は止まらないな……」と誰かがつぶやいた。
■ 院長の“観察
院長室で報告を受けながら、野上はモニターに映る3測表を眺めていた。
確かに微妙に波打つ熱型。
「……よう気ぃついたな」
つぶやきは誰にも聞かれない。
そのとき、事務局長・中西が資料を抱えて駆け込んできた。
「院長、保健所への報告文案、ここでよろしいですか?」
野上は紙を一瞥し、にやりと笑って言った。
「ええんちゃう。、でももう現場は全部やっとるやろな」
■ 余韻
感染症法は5類に下がったとはいえ、ハイリスク患者にとっては依然として命にかかわる。
抗ウイルス薬は病院負担になるが、それもやむなし。
優秀な副院長、看護部長、そして主治医たち。
彼らの迅速な対応に、院長はふと誇らしくなり、椅子にもたれてほくそ笑んだ。
「ほんま、ええ病院になったなあ」